金曜日
キュリー夫人を語る13
◇ 創価女子短期大学 特別文化講座 キュリー夫人を語る 2008-2-8
使命ある留学生
一、パリの学生生活で、はじめマリーは、なかなか仲間と打ちとけられませんでしたが、やがて学問の情熱に意気投合し、多くの親しい友人ができていきます。
また、このころ出会ったマリーの友人には、その後、世界的な音楽家となり、ポーランドの首相になるような人物もいました。
留学生の方々は、それぞれの国の指導者となっていく、深き使命を帯びています。
マリーは、のちに大成してからも、各国からの留学生や研究者を、真心こめて大事にしました。それぞれの祖国への賛辞も、惜しみませんでした。
「あなたの美しいお国は、よく存じています。お国の方がたは、わたしをほんとうに歓迎してくださいました」
(前掲、河野万里子訳)等と。
私は、留学生の方々は、その国の宝の人材であるとともに、人類全体の「平和の宝」であり、未来への「希望の宝」と思っております。
屋根裏の日々がわが「英雄時代」
一、このころ、マリーが一人暮らしをしたのは、7階建ての建物の屋根裏部屋でした。
当時、マリーは、父からの少しの仕送りと、自分の貯金とを合わせて、わずかなお金でやりくりしなければなりませんでした。
冬は、暖房の石炭代を節約するためにも、ずっと大学や図書館で勉強。家に帰って、寒さに震えながら、さらに勉強。
「わたしは自分の勉強に専念した。わたしは時間を講義と実験と図書館での自習に分けた。夜は自室で勉強する。ほとんど徹夜のこともある」(前掲、田中京子訳)
何週間もの間、バターをぬったパンしか食べられないこともありました。くだもの一つ、チョコレートひとかけらが、どれほど大切な滋養であったか。
しかし彼女に、わびしい悲愴感はありませんでした。むしろ、澄みきった明るさを抱いていました。
自分の大いなる目標のために苦労することは、苦しみではない。
むしろ、喜びである。誇りである。青春時代の苦労こそ、不滅の財宝なのです。
「この期間がわたくしに与えてくれた幸福は、筆にも口にもつくせぬほど大きなものでした」
「未知のことがらをまなぶたびによろこびが胸にあふれる思いでした」
(前掲、木村彰一訳)──マリーの後年の述懐です。
華やかな社交がなくとも、古今の大偉人たちとの心躍る知性の対話があった。
贅沢な御馳走がなくとも、人類の英知の遺産が豊かに心を満たしてくれた。
流行のファッションがなくとも、大宇宙の真理の最先端の発見が光っていた。
彼女は、どんな殿堂よりも荘厳なる「学問の王国」で、王女のごとく青春を乱舞していたのです。
マリー・キュリーにとって、貧しさと孤独の中で、全生命を燃焼させて勉学に励んでいった、
この時期は、「生涯における英雄時代」であったと言われています。
撰時抄274p~275p
禅宗と申す宗は教外別伝と申して
釈尊の一切経の外に
迦葉尊者にひそかにささやかせ給へり、
されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、
犬の雷をかむがごとし、
猿の月の影をとるににたり云云、
此の故に日本国の中に
不孝にして父母にすてられ無礼なる故に、
主君にかんどうせられ
あるいは若なる法師等の学文に
ものうき遊女のものぐるわしき
本性に叶る邪法なるゆへに
皆一同に持斎になりて
国の百姓をくらう蝗虫となれり、
しかれば天は天眼をいからかし
地神は身をふるう、