キュリー夫人を語る8 「移動大学」

2010年06月20日 23時18分22秒 | 日記

日曜日


キュリー夫人を語る7
◇ 創価女子短期大学 特別文化講座 キュリー夫人を語る 2008-2-8

学びゆく者こそ人間の王者

学生時代のキュリー夫人
 「未知の事柄を学ぶたびに喜びが胸にあふれました」

青春 二歳(ふたとせ) 誉れあり 白鳥よ 幸福の大空へ

 短大生  生き抜け   勝ち抜け    この一生

 人生には、さまざまな試練や悲しみがあります。
 しかし皆さんは、決してそれに負けてはいけません。
 創価女子短大に縁したすべての方々は、必ず人生の勝利者になっていただきたい。それが私と妻の願いです。

 監視の目をくぐって勉強
一、家族が「一家の魂」と慕う母を失った後、マリー・キュリー(キュリー夫人)のお父さんは、いっそう、子どもの教育に大情熱を注いでいきました。
 "先立った妻のためにも、必ず子どもたちを立派に育て上げてみせる!"という、深き真情であったのでしょう。
 マーニャ(マリーの幼き日の愛称)は15歳のとき、最優秀の成績で、女学校を卒業しました。
 しかし、当時のポーランドでは、それ以上、学問を続けることができなかった。
 高等教育への門は、いかに優秀であっても、女性には開かれていなかったのです。
 勉強したくてもできないことが、どれほどつらいことか。私は自分の経験からも、痛いほどわかります。

 私たちの世代は、最も勉強に励める10代の青春を、戦争で滅茶苦茶にされたからです。
 マーニャは、16歳のころから、家計を助けるために家庭教師を始めました。
 とともに、自らの学問への熱情は、いささかもやむことがなく、「移動大学」で学んでいったのです。
 「移動大学」は、正規の大学ではありません。祖国ポーランドの復興を目指す青年たちが、自発的に設立した"秘密の大学"です。

 なぜ、「秘密」か? もしも、集まって勉強しているところを、警察に見つかれば、ただちに投獄されたからです。
 監視の目をかいくぐって、場所を転々と変えながら、青年たちは、ときに教師となり、ときに学生となって、教え合い、学び合い、互いの知性を錬磨していったのです。

 独立のために幾たびも勇敢に蜂起し、過酷な弾圧を受けてきたポーランドの人々は、「暴力で社会を変えることはできない。教育によって、民衆に力をつけていく以外にない」という結論に深く達していました。

 学ぼう! 苦しむ同胞のために!
 力をつけよう! 未来のために!──青年たちの勉学の原動力は、この崇高な使命感でした。
 汝自身の使命を深く自覚することは、人間としての根を深く張ることです。その人は才能の芽を急速に伸ばしていけるのです。



撰時抄271p

秀句に云く「経に云く若し須弥を接つて
他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だこれ難しとせず
乃至若し仏の滅度悪世の中に於て
能く此の経を説かん是則ちこれ難し云云、
此経を釈して云く
浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり
浅を去て深に就くは丈夫の心なり
天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し
叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云


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