最近自分の考えを持たないメリットについてよく考えるようになりました。自分の考えを言わない日本人は良くない・・・みたいな言い方をされるけれど、自分が自由自在になるメリットの方が大きい気がする。
自分(自由自在)
相手(Aの意見)
相手(Aの意見)
この二人が話しあったときにCの意見でまとまったとすれば、それが正しいか正しくないかは別として調和できたことになります。
自由自在の自分は相手よりも創造的だし、自分の意見に固執することなく話し合いができる。しかし相手がもし自分だとしたらAの意見があり、相手の話をそのまま聞くのが難しく、妥協したり調和したりするのが大変なのではないかと思う。
自分の意見を持つということでアメリカの話になるが、裁判で法律は言葉で定義されている、言葉自体の考え方が違うので意見が分かれてしまうらしい。言葉の無力さを感じると言う。
何故こんなこと考えているかというと、討論とか、民主主義とかって意見が分かれて終わる事が多い。それは家庭でも国会でも社会でもそうなのです。私は高校生の時からこの議論の難しさに辛い気持ちになることがしばしば。なんとかならないものなのかとずっと考えていた。
それで最近ある本を読んで自分の考えを持たないほうがいいと。それってほんとにそうなの?と思ったけど・・・情報や他者の意見によって自分の考えはいくらでもかわっていくというイメージが持てたらどんなにいいかなと考えました。好きなものも嫌いなものも変わることがあります。そう考えると自分の考えなどというものは存在しない、その時の考えがあるだけですよね。
自分の考えがないと、特に悪いことに流されてしまうということは確かにあるのかもしれない。自分が情報収集したり、勉強したり、ということは必要だけれども、話し合いをするときに自分の考えを主張するよりも、違う意見のある人とどうしたら今よりよくなるか考えることの方が重要なのかなあと。
ADHDは行動力があり、つい本音を言ってしまう気が短い人も多いと思う。この自分の考えによる怒りがやっかいなのだ、続くとそれがストレスになってくる。すこしでも前向きな方向にシフトしていきたいと思うから切実です。
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