水曜オフ、義母を迎えに茨城へ~
そこへ5年前に義母が入った時はクリスチャン専門のホームで、
その敷地の入り口には『日暮れにも光がある!』などという言葉が掲げてあって、
へ~!なかなかいい言葉だ~!・・と私は感心したものですが・・・
今、何で迎えにいくことになったんだか?・・・なんですけど・・
新しく病院を建てた21年前から義父母とは同居していて、
13年目に義父が亡くなり、その後、その義父を頼っていた、結婚していない父の姉妹たち2人も次々と亡くなった後、
義母が、「もうおじいさんの世話は済んだんだし、私もこれからは自分だけの事を考えて生きたい、
幸いおじいさんの残してくれた物と年金を使えば、子供達に迷惑かけずにやってけるから・・」と。
多分その前から大阪の長男には相談していたんだろう、
長男が私に、「ま、そういう事なんで、今まで面倒みてもらっていて有り難かったけれど、母の好きにさせてやって欲しいのよ、よろしくね」
オットも、「じゃあ行けばいいじゃん!」
義母、「これからは神様の方だけ向いて、祈りの生活をしたいの。。もっと身体が不自由になったら、そのまま特養ホームへ自動的に行かれるようになってるから、あんたたちには迷惑をかけなくて済むし」と。。。
私には特に行くなと反対する理由もなかったけれど、でも(きっとどこかここが気に入らなかったんだろうな?)って気分がしましたよ、そりゃあね。。。
それにそこの入所金というか権利金というか、いったいどれくらいのものを支払ったんだか?
息子達も聞かないのか、私には言わないのか?分りませんけど。。。
行ってしばらくは、向こうの生活を褒めちぎっていて、料理は美味しいし、素材は良いし、人も仲間も良いこと尽くめ!と言っていました。
大阪に行った時には、兄嫁にまで!・・・
それってー、反対に今まで居たうちがひどかったっていう意味になるんじゃあないの~~?
義兄嫁すらちょっと呆れ顔でした~
行ってしばらく義母もまだ元気な頃は、こっちにも毎月のように帰ってきて、1週間ほど泊まり、こっちの友達と出歩いたりしてたんですが、
段々と春夏秋冬に1度づつとか、回数も減ってきて、最近は年に2回くらいになり、
とうとう今年の正月は、「そっちは寒いから春になるまでこっちに居るね」と言って、帰ってきませんでした~
義母が入所した後から、医療法の改正など色々と変化があり、ホームも、特にクリスチャンだけでなく誰でも入所できるようになって、
(母によれば)質が落ちたというか・・クリスチャンだけだった頃の良い雰囲気が無くなってきたのだとか・・・
というか、今は「ここは●チガイ病院並みだよ!」と言う始末。。。
まあその他にも、多分私には語ってない話がまだまだあるようで、
若い神学生を一人、自分が育てたようなものだと、語っているとか・・・
って、どんだけ授業料を払ってあげたんだか?
今のホームがダメでも、また別の知り合いの教会が良くしてくれていて、今度建てるホームには、第一号として入ってもらう、と言われていただとか?・・
そんなんで、きっとそっちへ逃げ出すつもりで沢山寄付をしていたらしいが、一向にらちが空かず?
結局は、そのホームを作る話は、自分が入れるような近くのことではなく、遠い将来の夢みたいな話だったと解り・・
一時は、自分は騙された~~!みたいな、パニック状態になっていたみたいです。
大阪の兄が電話でその相談相手になっていたんだか?
義兄からオットに様子覗いの電話があり、
そして呼びたくても呼べない兄宅の事情もあり、
オットも兄から頼まれれば悪い気はしなかったんじゃないでしょうかね・・
またまたオット、「じゃあいいよー」ってことになったらしいです。。。
そんなこんな程度で・・私はあまり事情を飲み込めないまま、お迎えに向かったわけです、
引越し業者の『お任せパック』を頼んだそうだから、ただ「ホームにご挨拶して、おばあさんを連れに行けばいい」と言われていたんですが・・
着いて見ると・・・
義母、「ま~、先生ご夫婦にお手伝いしていただいちゃって申し訳ないわ・・」などと言っている???
とっ散らかった部屋の中で荷物の整理をしてまとめてくれている人達は、どうやら?(このホームとは別の)牧師さんご夫婦らしい・・・
業者も居るが、整理ダンスやダンボールに詰めた本などの大物を運び出している。
え!?お任せじゃなかったのか~?そう思ったものの、他所の人がお手伝いしているので、それを部屋の外から見ている訳にもいかず、
しょうがなく、我々も狭い部屋に入り、「これはどうするの?持っていくの?捨てるの?」など聞きながら整理を手伝うこととなり。。。
最後の雑巾がけから掃除機かけまで・・
しばらくして、ホームの人が来て、「電話は切ったかしら?」と。
もちろん義母、やって無く・・・(ってこの人に出来るかどうか見てて分るでしょうにー!)オットも義母にガミガミ文句言ってるばかりで行動なし・・
なのでそのドサクサに私が部屋から局に電話して終わらせ、電話番号の転送案内も頼み・・
「排気物も一切業者が引き受けて捨ててくれる契約になってたのよー!」とホームの人が、また後から言ってきて・・・
もうトラックは出た後じゃん~~~
え~~!私たちが手伝っている時に言ってくれれば、家具や電気製品など大物のゴミも捨ててもらえたのにーーー
「じゃあ有料になるけどホームの物置に運んでおけば、後から市のゴミに出しておきます」と言われたので、
しょうがなくオットが、2階のその部屋から何度も外の物置まで物を運び出し・・・(なんか不親切)
でもまあ・・
このホームから、家族がお迎えにきて戻っていった人は初だ!ということでーー
玄関前で、他の人たちやヘルパーさん達と記念写真を撮り、母が感激してお友達(なのか?)・・
「あの人は、こっそり私の部屋にきて物を盗んでいく人だよ」なとど私に言ってたけれど・・・とお別れ。。。
センター長さんとコックさんの二人から、「そしてこれから先の道にも恵みを与えられ・・・、良い出会いを・・・、なんとかかんとか~」というお祈りの言葉をいただきました。
ヘルパーさん達も、「え~?どこへ戻るの?素晴らしいわね~♪」と。
義母、「次男の所よー、前もそこに一緒に住んでたのー、お嫁さんともとっても仲良しだったの~」って答えてたけど・・・?
それを聞いてて私、きっとヘルパーさん・・(じゃあ何でここに来たのよ?)って思っただろうなと^^;。。。
素晴らしいお天気の中!(写真)
帰ってきて、引越し業者がトラックから荷物を、おばあさんの部屋の座敷へと運び込む。
指示してとりあえず、タンスや本棚は位置を決めて置いてもらい、後はダンボールを運び込んだだけで終了しちゃった。。
(これでお任せパックだったの~?)
取りあえず店屋物でお昼を済ませ、郵便局に転居届けを出して来なかったと気付き・・・
茨城の郵便局に電話して聞くと、近くのどこの郵便局からでも手続きは出来ると言われたが、新たな住所の証明書が要るとのこと。。。
ならば今日のうちに仕事を終わらせようと、
今度はおばあさんを私の車に乗っけて市役所へ行き、こっちに転入届けを出し新たな住民票を作り、
健康保険などの届けも出し、その場で住民票をもらってから、郵便局の本局へ行き、郵便物の転送を頼み、
そのまま夕飯の買い物して帰り。。って、後半ほとんどおばあさんは車の中で待っていましたが~
夕飯は手巻き寿司にする予定で、でも仕度だけしたら、その後はみんなで食べてもらってて、私はジャズに出たい人・・・
しかし、あの足の踏み場もない部屋のままだと義母が寝られもしないだろう・・・
義母が寝られるようにしておかなくちゃ~!!
衣類や本やビデオなど分るものだけざっと荷解きをし、適当に本棚とタンスに突っ込んで、
とりあえず、マットレスだけは置けるスペースを作り、寝られるように布団だけは整えた!
それから手巻き寿司などの用意をして、
ヘロヘロながら・・ジャズだけはなんとか出てきました~!
で、実は、その夜、
その前の日に来た猫の骨折の手術が待っていて、
私は、バリバリやるつもりで、ジャズで元気ももらってきたしーーー!
なのに、茨城までの往復の運転と、引越しの手伝いなどさせられ、お疲れだったオットが伸びててダメ。。。
次の日に持ち越しとなりましたとさ~~~
そこへ5年前に義母が入った時はクリスチャン専門のホームで、
その敷地の入り口には『日暮れにも光がある!』などという言葉が掲げてあって、
へ~!なかなかいい言葉だ~!・・と私は感心したものですが・・・
今、何で迎えにいくことになったんだか?・・・なんですけど・・
新しく病院を建てた21年前から義父母とは同居していて、
13年目に義父が亡くなり、その後、その義父を頼っていた、結婚していない父の姉妹たち2人も次々と亡くなった後、
義母が、「もうおじいさんの世話は済んだんだし、私もこれからは自分だけの事を考えて生きたい、
幸いおじいさんの残してくれた物と年金を使えば、子供達に迷惑かけずにやってけるから・・」と。
多分その前から大阪の長男には相談していたんだろう、
長男が私に、「ま、そういう事なんで、今まで面倒みてもらっていて有り難かったけれど、母の好きにさせてやって欲しいのよ、よろしくね」
オットも、「じゃあ行けばいいじゃん!」
義母、「これからは神様の方だけ向いて、祈りの生活をしたいの。。もっと身体が不自由になったら、そのまま特養ホームへ自動的に行かれるようになってるから、あんたたちには迷惑をかけなくて済むし」と。。。
私には特に行くなと反対する理由もなかったけれど、でも(きっとどこかここが気に入らなかったんだろうな?)って気分がしましたよ、そりゃあね。。。
それにそこの入所金というか権利金というか、いったいどれくらいのものを支払ったんだか?
息子達も聞かないのか、私には言わないのか?分りませんけど。。。
行ってしばらくは、向こうの生活を褒めちぎっていて、料理は美味しいし、素材は良いし、人も仲間も良いこと尽くめ!と言っていました。
大阪に行った時には、兄嫁にまで!・・・
それってー、反対に今まで居たうちがひどかったっていう意味になるんじゃあないの~~?
義兄嫁すらちょっと呆れ顔でした~
行ってしばらく義母もまだ元気な頃は、こっちにも毎月のように帰ってきて、1週間ほど泊まり、こっちの友達と出歩いたりしてたんですが、
段々と春夏秋冬に1度づつとか、回数も減ってきて、最近は年に2回くらいになり、
とうとう今年の正月は、「そっちは寒いから春になるまでこっちに居るね」と言って、帰ってきませんでした~
義母が入所した後から、医療法の改正など色々と変化があり、ホームも、特にクリスチャンだけでなく誰でも入所できるようになって、
(母によれば)質が落ちたというか・・クリスチャンだけだった頃の良い雰囲気が無くなってきたのだとか・・・
というか、今は「ここは●チガイ病院並みだよ!」と言う始末。。。
まあその他にも、多分私には語ってない話がまだまだあるようで、
若い神学生を一人、自分が育てたようなものだと、語っているとか・・・
って、どんだけ授業料を払ってあげたんだか?
今のホームがダメでも、また別の知り合いの教会が良くしてくれていて、今度建てるホームには、第一号として入ってもらう、と言われていただとか?・・
そんなんで、きっとそっちへ逃げ出すつもりで沢山寄付をしていたらしいが、一向にらちが空かず?
結局は、そのホームを作る話は、自分が入れるような近くのことではなく、遠い将来の夢みたいな話だったと解り・・
一時は、自分は騙された~~!みたいな、パニック状態になっていたみたいです。
大阪の兄が電話でその相談相手になっていたんだか?
義兄からオットに様子覗いの電話があり、
そして呼びたくても呼べない兄宅の事情もあり、
オットも兄から頼まれれば悪い気はしなかったんじゃないでしょうかね・・
またまたオット、「じゃあいいよー」ってことになったらしいです。。。
そんなこんな程度で・・私はあまり事情を飲み込めないまま、お迎えに向かったわけです、
引越し業者の『お任せパック』を頼んだそうだから、ただ「ホームにご挨拶して、おばあさんを連れに行けばいい」と言われていたんですが・・
着いて見ると・・・
義母、「ま~、先生ご夫婦にお手伝いしていただいちゃって申し訳ないわ・・」などと言っている???
とっ散らかった部屋の中で荷物の整理をしてまとめてくれている人達は、どうやら?(このホームとは別の)牧師さんご夫婦らしい・・・
業者も居るが、整理ダンスやダンボールに詰めた本などの大物を運び出している。
え!?お任せじゃなかったのか~?そう思ったものの、他所の人がお手伝いしているので、それを部屋の外から見ている訳にもいかず、
しょうがなく、我々も狭い部屋に入り、「これはどうするの?持っていくの?捨てるの?」など聞きながら整理を手伝うこととなり。。。
最後の雑巾がけから掃除機かけまで・・
しばらくして、ホームの人が来て、「電話は切ったかしら?」と。
もちろん義母、やって無く・・・(ってこの人に出来るかどうか見てて分るでしょうにー!)オットも義母にガミガミ文句言ってるばかりで行動なし・・
なのでそのドサクサに私が部屋から局に電話して終わらせ、電話番号の転送案内も頼み・・
「排気物も一切業者が引き受けて捨ててくれる契約になってたのよー!」とホームの人が、また後から言ってきて・・・
もうトラックは出た後じゃん~~~
え~~!私たちが手伝っている時に言ってくれれば、家具や電気製品など大物のゴミも捨ててもらえたのにーーー
「じゃあ有料になるけどホームの物置に運んでおけば、後から市のゴミに出しておきます」と言われたので、
しょうがなくオットが、2階のその部屋から何度も外の物置まで物を運び出し・・・(なんか不親切)
でもまあ・・
このホームから、家族がお迎えにきて戻っていった人は初だ!ということでーー
玄関前で、他の人たちやヘルパーさん達と記念写真を撮り、母が感激してお友達(なのか?)・・
「あの人は、こっそり私の部屋にきて物を盗んでいく人だよ」なとど私に言ってたけれど・・・とお別れ。。。
センター長さんとコックさんの二人から、「そしてこれから先の道にも恵みを与えられ・・・、良い出会いを・・・、なんとかかんとか~」というお祈りの言葉をいただきました。
ヘルパーさん達も、「え~?どこへ戻るの?素晴らしいわね~♪」と。
義母、「次男の所よー、前もそこに一緒に住んでたのー、お嫁さんともとっても仲良しだったの~」って答えてたけど・・・?
それを聞いてて私、きっとヘルパーさん・・(じゃあ何でここに来たのよ?)って思っただろうなと^^;。。。
素晴らしいお天気の中!(写真)
帰ってきて、引越し業者がトラックから荷物を、おばあさんの部屋の座敷へと運び込む。
指示してとりあえず、タンスや本棚は位置を決めて置いてもらい、後はダンボールを運び込んだだけで終了しちゃった。。
(これでお任せパックだったの~?)
取りあえず店屋物でお昼を済ませ、郵便局に転居届けを出して来なかったと気付き・・・
茨城の郵便局に電話して聞くと、近くのどこの郵便局からでも手続きは出来ると言われたが、新たな住所の証明書が要るとのこと。。。
ならば今日のうちに仕事を終わらせようと、
今度はおばあさんを私の車に乗っけて市役所へ行き、こっちに転入届けを出し新たな住民票を作り、
健康保険などの届けも出し、その場で住民票をもらってから、郵便局の本局へ行き、郵便物の転送を頼み、
そのまま夕飯の買い物して帰り。。って、後半ほとんどおばあさんは車の中で待っていましたが~
夕飯は手巻き寿司にする予定で、でも仕度だけしたら、その後はみんなで食べてもらってて、私はジャズに出たい人・・・
しかし、あの足の踏み場もない部屋のままだと義母が寝られもしないだろう・・・
義母が寝られるようにしておかなくちゃ~!!
衣類や本やビデオなど分るものだけざっと荷解きをし、適当に本棚とタンスに突っ込んで、
とりあえず、マットレスだけは置けるスペースを作り、寝られるように布団だけは整えた!
それから手巻き寿司などの用意をして、
ヘロヘロながら・・ジャズだけはなんとか出てきました~!
で、実は、その夜、
その前の日に来た猫の骨折の手術が待っていて、
私は、バリバリやるつもりで、ジャズで元気ももらってきたしーーー!
なのに、茨城までの往復の運転と、引越しの手伝いなどさせられ、お疲れだったオットが伸びててダメ。。。
次の日に持ち越しとなりましたとさ~~~