大円寺ほうろくじぞう
はじめ神田柳原にあったが、慶安2年現在地に移り久しく「駒込の大円寺」と呼ばれた。
墓域には、幕末の先覚者であり砲術家の高島秋帆、小説家であり樋口一葉を終生助けた斉藤緑雨が眠っている。
また、八百屋お七との縁のあるお寺で山門真正面にある「焙烙地蔵」は、八百屋お七ゆかりの地蔵である。向井芳幸
海蔵寺(東京都文京区)
海蔵寺は東京都文京区向丘にある曹洞宗の寺院で、大智山富明院と号します。
鎌田次郎の末裔、内海彦右衛門が愛知県に開基しました。天文6年(1540年)に駒込に移転し、僧勝庵が開山し、慶安元年(1648年)、徳川家光より寺領8石のご朱印状を賜ったといわれています。
境内には多数の保存樹林があり、都内にあることを忘れるほど自然豊かな環境です。また、墓域内には富士信仰の布教に努めた身禄行者のお墓や、江戸後期の儒学者、立原翠軒夫婦のお墓があることでも知られています。向井芳幸
浄光寺
真言宗豊山派の寺院で、太田道灌説と豊島左衛門尉経泰説があります。江戸時代までは、諏方神社の別当でした。
諏訪台の高台に位置し、展望が開け眺めが良く雪見に適することから「雪見寺」とも呼ばれていました。この近辺には、月見寺(本行寺)、花見寺(青雲寺)などの寺院もあり、風流を好む江戸の文人墨客が集まったことで知られています。
江戸時代、将軍が鷹狩の際に立寄ってから御膳所にあてられ、将軍が来訪した時に腰掛けたとされる「将軍の腰掛けの石」と石の隣には、「三代将軍御腰掛石」という碑があります。
また、山門の左手には、元禄4年(1691)に空無上人によって江戸の東部6カ所に開眼された江戸六地蔵の3番目として知られる大きな銅造地蔵菩薩立像、文化6年(1809)作の銅造地蔵菩薩坐像、庚申塔等の石造物があります。
向井芳幸