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京都大原『清香山玉泉寺寂光院』
の前に、下の山口県下関 昔、壇之浦で
源氏と平家の最後の戦いがありました
平清盛の娘徳子が高倉天皇の中宮となり
第一皇子 安徳天皇の母になり、
源平合戦で平家滅亡、安徳天皇天皇は
数え年三歳で即位されそして僅か八歳で
ご崩御、歴代の天皇で一番
若くて在位が短い天皇であるとの
事です、
有名な歴史上の事なので皆様の方が
ご存知かと思います
山口県下関『赤間神宮』
ネットより、
平清盛の娘、二位尼は安徳天皇を抱えて入水する際に「海の中にも都はございます」と歌を詠んだといわれています。壇ノ浦を見守るように建つ鮮やかな赤間神宮は、関門海峡のシンボルです。
このような悲劇が起きました
ウキより、
文治元年(1185年)9月、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残った高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母である建礼門院徳子(平清盛の娘)は阿波内侍を頼って入寺し、出家して真如覚比丘尼と称し後に第3代住持となって当院で余生を送った。また、平重衡の妻・藤原輔子も出家し当院で徳子に仕えた。
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=yjapp3_and_wv&p=%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E5%AF%82%E5%85%89%E9%99%A2&iau=1&aq=2&ai=479db5dc-9b23-4077-b156-c4a98b7acacd&ts=13817&x=art
やっとここから「寂光院」の事です
ここは聖徳太子からの尼寺で建礼門院で
三代目住持
私の独身時代は、
悩みを持つ女性などが、ここの尼寺の尼様のもとへやって来る
「かけ込み寺」として有名で
小さな本堂です
独身時代に
私が訪れた(2回)時は、来た人が
日誌で悩み事を綴っていて何冊か置いて
ありました、遠い所から来られた人もいて
書いてあることを読んでいて、想いを膨らませていました
当時独身時代は好きな人と一緒になれないなら 駆け落ちする と言う言葉がありました、
寂光院は心が傷ついて疲れた女(ひと)が
一人来るそんなお寺だったのです
ですが… なんと
2000年、平成12年?
この寂光院が誰かの放火で、焼けてしまったのです、ニュースになっていますが
それほど大きな寺院ではないので
全国的に知れているかは分かりません
諸行無常の鐘と書いてあります
諸行無常の鐘と書いてあります
2000年の火事で本堂が燃えその炎が
千年姫小松にふりかかりこんな風に
なったと書いてありました、
ネットから
撮影禁止のそれほど大きくない
宝物殿があり懐かしい
琵琶法師の掛け軸がありました
正直以前の書き込み室はどこか分からなかったのですが、お茶室があったので
そこかなあ?て思いが馳せています
徳子が壇之浦で安徳天皇と入水して
たまたま源氏侍が熊手の様な物に、髪の毛が引っ掛かり助けられたとか?書いてました、
徳子は京都の洛北で出家して尼僧になり
この『寂光院』で安徳天皇や平家一門の菩提の弔むらいをしていたとの事です
ネットでも少しずつ違う面がありますが
私の寂光院の思い出はあの日誌を読んだ
事が残っていて、それが、まさか
放火の火事で全焼に近いとの事で
本堂の立像から殆ど再建されているみたいでした、
最後に、こんな哀しい思い出を
ネットにしてしまい尚更悲しいのですが
昔を傷んで?て事無いのですが😀
懐かしい歌、
『女ひとり』貼り付けました
良かったら聴いて下さい。
最後に
この『寂光院』へ行かれたかたは
おられるでしょうか?
心癒される大原の隠れ家
そんな風に思いました。
長いブログになりすいません
ご訪問、読んで下さった方々
有難うございました~~