実在の本性について

2023-07-04 | あほらしきこと

タゴールとアインシュタインの対談

「あなたは神を、この世界から遊離した・超越したものとして信じていますか?」
と、問いかけるアインシュタインに、タゴールは答えた。
「私は神を信じています。けれど神は世界から遊離・超越してはいません。
人間の無限のパーソナリティーは宇宙を包含しているのです」

 

つまり物理学者であるアインシュタインは
この地上に人間が一人もいなくても、宇宙は存在すると主張するのに対し
タゴールは、神も含めあらゆる真理は人間が存在してこそ成り立つという。
なぜなら、宇宙の存在を感じているのは人間に他ならないのだから…

それでも宇宙の実在がなければ
科学というものも成り立たないとアインシュタインは反論。
対しタゴールは、科学も人間が生んだもの、実在を感じるのも人間。
人間というものがこの世の中に存在しなければ
この世界そのものが無だ、という。


アインシュタインは子供のころ好きだった。

多分、思いもかけず異端で人間臭いところ...
タゴールは大人になってから興味を持つことになった。
縁あって手にしたキューブラー=ロスの著書『死ぬ瞬間』のなかで
各章の扉に使用されていたのが、タゴールの詩だ。

 

『タゴール詩選/迷える小鳥』
 176
瓶の水は光っている、海の水は暗い、
小さい真理は明らかな言葉を持ち、
偉大な真理は偉大な沈黙をもつ。

 

 

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不確定という世界

2023-06-08 | あほらしきこと
 
裏木戸を開けると、
細長く伸びた土間の奥、
二つ並んで、ひび割れた釜戸が目に飛び込んできた。
時間の痕跡に四角四面の思い入れはなく、
こころに積み上げた無意味な閑さが胸を衝く。

拾い集めた小枝を焚口にくべると、
パチパチ赤い火の粉が纏わりつくようで
払おうと伸ばした左手が空をつかんだ。
 
 
 
 
 
自己に依存した主観的世界に、私は確かに存在している。
私が認識していた故郷の現実は誰も知らないだろう…
きっとね。
現実は観察者の数だけ存在するのだから。
 
それでも、どこかの偉い人が言うみたいに、
複数の認識回路が複雑に影響し合い様々な現実が存在するというのは、
納得しても、許容範囲をオーバーしてしまい、
本当に理解してるのかと問われたら、首が斜めに振られてしまう。
それでも、世界は本質的に不確定性をもっているってことは何となく分かる。
 
けれども、私は私に過ぎないのだから、
 
 あんなに愛しい家族が暮らした細長く伸びた土間の奥、
二つ並んだひび割れた釜戸が目に痛く沁みても、
そう、だから、つまり、そういうことなんだ。
仏教用語では『不可知性』っ言うやつだね。
 
ふるさとは遠きにありて思ふもの
 
 
 
 
 
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ポグロム

2023-04-21 | あほらしきこと

ポグロム(погром、パグローム):Wikipediaより


ロシア語で「破滅」、「破壊」を意味する言葉。
特定の意味が派生する場合には、加害者の如何を問わず、
ユダヤ人に対し行なわれる集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)を言う。
歴史的にこの語は、ユダヤ人に対して、
自発的計画的に広範囲に渡って行われる暴力行為と、
同様な出来事について使われる。

ポグロムは標的とされた人々に対する物理的な暴力と殺戮を伴っている。

 

人類が辿った愚かな歴史を学んだ。

ボキャブラリーは少し増えたけれど、

大切なものがボロボロにすり減ってしまった。

 

 

 

 

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真っ赤なバラ

2023-04-19 | あほらしきこと

 

勿体なくも大切な時間を使ってしまった。
でもね経験と知識をプラスして、裏切りにも強くなったし、
紛いもの(者)への対処にも賢くもなった。
ほんとうに色々学んだ。
「事実は小説より奇なり」
フムフム、なんだか異常で奇妙な人間社会の中でね。
バイロンの名言が大当たりだ。

 

話には羽が生えていて…(?
近頃疲れっぱなしのわたしだけど、
とてもぬくいお裾分けに心がほころんだ。
つい最近のこと、花屋の前を通過すると、
真っ赤なバラの花束を抱えた男の人が出て来た。
数十本は抱えていた…。
恋人へバラの花束をプレゼント(プロポーズ?)だね。
こんな田舎町には似合わないくらいのカッコよさだけど、
お相手の女性に幸せが届くのだ。なんて素敵なことだろう。
もちろんね、君の愛、もしかしたら寄り道もするだろうな…、
けれどね、ちょっと見たドキュメンタリーに思う。
これが大人の愛だってね。


ゴルバチョフ 老政治家の“遺言”」BSドキュメンタリー
ミハイル・ゴルバチョフ氏の最晩年を取材したドキュメンタリー。
モスクワ郊外で静かに暮らした旧ソ連最後の最高指導者が、
ソ連崩壊後の人生とプーチンのロシアを語っていた。
*世界最大のドキュメンタリー映画祭IDFAで最優秀監督賞。
*原題:Gorbacherv.Heaven(ラトビア/チェコ 2020年)


ドキュメンタリーの最後に、90歳を過ぎた彼が、
共に生きた妻を恋しく語る心は切なかった。
時が過ぎ、バラの花を抱え花屋から出て来た君が、
長年連れ添った妻に再びバラの花をプレゼントできたら…。
それは、もっと、素敵なことに違いない。

 

 

 

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2023-04-16 | あほらしきこと


本当の真実というものは
いつでも真実らしくないものだ。
真実をより真実らしく見せるためには、
どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。
だから人間はつねにそうしてきたものだ。
―― ドストエフスキー ――

 

人は生まれながらにして
嘘をつく才能を持ち合わせているらしい^^

私が生まれる前、祖父母は他界。
よくある出来事が暮らしを一変
それからというものずるずると斜陽の一途
(これ以上どのように下がるのと聞かれたら困るのですが(´0⊂ヽ)だった。

そんな、あがきの終止符に
お手伝いのAが暇を取った。
「もう歳なので引き取りたい」
ご子息から申し出があったのよ、と母から聞かされた。


お別れの挨拶もなくいなくなったのだから
人間だし、それはいろいろあったのだろう。
聞かせたくないことを選別するより
何も言わない判断をした母の嘘をそれなりに理解した。
そして、それはそれで何事もなければ忘れてしまう事だった。

しかし、さほど月日も経たないある日
知らない家の前を掃除しているAを見かけることになる。
何もこんな近くで働かなくても…と、なにやら悲しかった。
家族のように思っていたAとの距離は無限に遠のいた。

嘘を吐く手段は言葉だけではなく、映像も嘘を吐くことができる。
とっさの判断に私の脳は、Aが存在しない映像を記憶した。
中枢に記憶された映像は、訳の分からないものへの憤りと
嘘が嘘ではなくなるというレトリックだったのだろう。

言葉にはならないのだけれど守りたい何かがあった。
それは九つの年を数えた秋のことだった。

 

 

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