ピカピカの誇り

2023-04-09 | あほらしきこと

横断歩道をランドセルを背負う少年が渡っていく。
身体からはみ出す真新しいランドセルが今にも肩から落ちそうだ。
二つの小さな手がランドセルのたすき(?)をしっかり掴んで、
少年の足取りは身体が傾く方向へと弧を描く。
小さいながらも懸命さに、ピカピカの誇りがある



そう言えば美濃和紙の産地に出かけたときだ。
やはり大きなランドセルが肩からズレるのを気にしながら、
お店から出てくる少年に出会ったことがある。
その仕草があまりにあどけなくて、思わずカメラを向けた。
少年はずり落ちるランドセルに体を傾かせ、
踵を返えした。
驚かせちゃったね^^
 
そうだね、君もまた、
ちいさな誇りを知った、ピカピカの一年生だったね。
 
 
 
 
 
 
 
 
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白い鳥と黒い鳥

2023-04-05 | あほらしきこと

コートジボアール人から聞いた寓話です。

 


「もしも騙されたら、騙した人が悪いのではなく
 騙された自分にも原因があるって、
 僕は子供のころ、そう教えられたんだ。
 僕の生まれた国のお話なのだけど…」

そう言って彼は話し始めた。
褐色の闇の中で、キラキラと二つの目が輝いた。




人の心には小さな白い巣と黒い巣があってね
白い巣には白い鳥が棲んでいて
もう一つの黒い巣には黒い鳥が棲んでいるんだ。

例えば僕が、相手を騙してやろうとしたら
僕の心のなかの黒い巣から黒い鳥が飛び立っていく。
もしも相手の黒い巣が空いていたら
僕の黒い鳥は相手の心の中の黒い巣を占領する。
だけど、相手が誰も騙そうと思っていなければ
相手の心の黒い巣は塞がっているから
僕の黒い鳥は僕の心の黒い巣に帰ってくるしかないんだ。
だから僕の相手を騙してやろうとする心(黒い鳥)は
相手に何の弊害も与えることができないということなんだ。

反対にね、僕が人にやさしくしてあげようとする時は
僕の白い巣から白い鳥が飛んで行く。
もしもその人が、誰かにやさしくしていたらその人の白い巣の白い鳥は
誰かの白い巣へ飛んで行っているわけだから白い巣は空になっている。

だからね、僕のやさしさがその人の空いている白い巣を埋めてあげられる。
そうしたら、僕の空いた白い巣にも
どこからかやさしい白い鳥が飛んできてくれる。

つまりさ、騙されるということは
自分の心の黒い巣が空だということだから
誰かを騙そうとしている自分がそこにいるってことなんだ。

 

 

ふむふむ、一理あるかも…。

 
 
 
 
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月光を蝕む地球と少しずつ離れゆく月の時間

2023-04-02 | あほらしきこと

太陽や月が欠ける現象を 蝕甚 :月蝕 (食)、日蝕(食) と書く。

蝕はむしばむと言う意味をもつのだけれど、

月が影に隠れてゆく現象を「むしばむ」と表現するのは何故だろう?

それは「欠ける」でもなく「虫が食べる」のだ。

月が欠ければ修復が大変だが、

そりゃ子供の頃は、月を「誰が食べるのか」って、不思議だった。

食べられたら月がなくなるのだと思ったものだ。

 

食べたら、ちゃんと返してくれなければいけない…!

 

それからは良いのか悪いのか、

私も少し賢くなって望遠鏡も買った。

夜な夜な三脚も立てたものだ。

いつだか「皆既月食」の日、厚い雲が出張ってきたから、

もう気力もないからNAOJの中継を見ていた。

時々他の中継に浮気しながら^^

落胆のため息が聞こえそうなチャットが駆け足で流れる。

 

私としては、雲の向こうを透かして見せてくれるかなと、期待もしたけれど…

 

そういえば、スーパームーンでもあったんだね。

今追いかけたら月の下に行くことが出来るかも知れないと錯覚するほど大きくて。

でも、月はつれないもので、近づけないどころじゃなくて遠ざかっていく。

科学者たちはそれを「月の後退」と呼んでいる。

 

月光を蝕む地球(月食)と少しずつ離れゆく月の時間、

なんだか不思議なドラマだ。

50億年後、太陽系の存在そのものも確かなものじゃないのに、

そうした不確かにつながる時間をいつまでわたしは生きているのだろう…。

 

時間の存在って何なのだろうとこの頃思う。

 

 

 

 

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花も団子も

2023-04-01 | あほらしきこと
 
 
 
 
暦の上ではまだ春だというのに25℃を超えた。
ちょっぴりどころか、花を追いかけ動き回ったら、
かなりジトジト模様。
涼を求め(…❓)、飛び込んだうどん屋さん。。
少し遅いお昼を注文。
「冷たいおうどんくださ~ぃ」
「ころうどんですね」
「いいえ、冷たいおうどんです」
「ころうどんが冷たいうどんです」
「あっ? じゃあ、それ一つ^^」

と言うことで『ころうどん』と言うのを食した。

”ころ”ってなんの意味だろうと思い
「”ころ”って何の意味ですか?」「語源は何ですか?」
と、お店の方に矢継ぎ早の質問をした。
しかし誰一人答えてくれなくて、お客さん達も???だ。
地域の暮らしのなかで、
いつの間にか固有名詞は定着していたらしい。
普段、気にしないのだろうね。。。
それでも、私の名前だって由来はそれなりにあるようだし…
きっと”ころうどん”にもなにがしの謂れがあるに違いない…、
で、帰宅後、さっそく”ころ”を調べた。
 
”ころ”は香露と漢字で書くと言うことが分かった。
日常の中で”こうろ”から”ころ”に変化したのかな?
冷たいうどんのつゆがかおる(?)、多分なのだ^^
その昔、田舎町の庶民の『香露うどん』
きっとそのころ、漢字は暮らしになかったのだろう。
それにしても「ころ」だなんて、
呼び名の音から来るイメージは、かわいいけれど、
漢字で表現するとちょっとイイ女に変身する。
 
花より団子じゃなくて、
今日は花も団子もゲットだ...
 
 
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僥倖

2023-03-31 | あほらしきこと
悲しいから泣くんじゃない。
何らかの刺激に涙が流れ、身体に起きる変化が情動を起こす。
その情動が脳に伝わると、悲しいという感情がイメージされる。
 
例えば味覚の種類は「甘」「旨」「酸」「塩」「苦」(渋もあるし…^^)。
「お味はいかが‥」と聞かれて「おいしい‥」と答えるとき、
それは味のバランスだけでなく、香りや食感などの感覚、
そして一番大事なことは、どのような空間で誰とその時を過ごしているかとか、
そんな記憶も含めて全ての刺激に心地よい心が生じ、その情動が脳に伝わると、
「おいしい(ここちよい)」という表現になるってこと…^^

つまり美味しいって「料理の味」だけを表わすものでもなさそうだ。
「ここちよい」という自分の気持ち、
今のこころの情景も表わしている言葉ということになるのだろうな…

そうだったね。
あれは山の頂で一緒にお茶とおにぎりをほおばり、
「おいしいね~」と言った君との出会いこそ僥倖だったってこと。
けれども、人の心は古今東西老若男女関係なく、哀しいほどにひ弱で、
この頃は少しばかり物事を斜めにのぞき込んではふさぎ込むことも増えた。
僅かにこころが滲むと、
今は遠くなった「おいしい」という感情が愛おしいと、脳が言う。
これは、悲しくもありここちよくもあるという二つの感情がダブる「泣き笑い」なのだ!
ああ、なんて人生は忙しいのだろう。



 
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