Digital Photography MaSa

北陸地方の写真と隠れた歴史紹介を投稿します!

お茶屋街-散策

2015-03-20 23:30:04 | 北陸-写真
※005-イメ-ジカット【東お茶屋街】

  ・
  ・
 天候に恵まれた先月の茶屋街散策から投稿します。
金沢市には三箇所の茶屋街があり東茶屋街の他に、にし茶屋街、主計町茶屋街があります。
 それぞれが当時の景観をとどめていて、その中で東お茶屋街は観光客の方々も多く昔ながらの
景観とあわせて三味や太鼓の音も漏れ聞こえ、なんとも言えない情緒ある雰囲気があります。


 ※001-東茶屋街-懐華樓(かいかろう )「一客一亭」の主座敷


 ※002-同上・懐華樓(金箔織畳のお茶室)


 ※003-同上・懐華樓・群青の間(加賀友禅の花嫁暖簾と蔦健三氏絵の芸妓さんの襖絵)

 
 当地では藩政期から花嫁道具に加賀友禅の暖簾を持参。
嫁入り先の仏間入口に掛けられた暖簾をくぐって初めて嫁入りが認められる風習があります・・・。

 ※004-同上・懐華樓 

  ・
  ・
 ※005-志摩(国重要文化財)帳場に設置された炉の雰囲気を!


 志摩--文政三年(1820)に建てられたままに残る東茶屋街一古い建物で、二階を客間とし遊芸を主体とした
藩政中期以来の茶屋独特の粋な造りとなっており、江戸時代の風情を心ゆくまで堪能する事ができます。
 
 懐華樓が建物内部の造作・小物を中心として茶屋雰囲気が色濃く残る事に対し・・
志摩は象牙櫛や鼈甲(べっこう)を材料とした櫛や笄(こうがい)、又は色草子や廓着物等々の展示物が
多く外人客の方々に人気があります。

 ※006-主計町お茶屋街・・桜の古木と右側展示は旧金沢城堀割りの説明版


 ※007-同上・あかり坂


 主計町(かずえまち)は加賀上級武士の富田主計重家【13600石】の上屋敷があったことにちなむ。
富田主計重家は富田流小太刀の始祖家の流れをくみ藩政中期、後期に小松城代や算用場奉行をつとめた藩士。
 この主計町茶屋街は屋敷地を移転後、明治2年に遊廓地として整備された。

 あかり坂はずっと名無しだったのを、2008年、金沢にゆかりのある小説家、五木寛之氏の作品
「浅の川暮色」から、五木氏が命名されたのだそうです。ゆるやかに曲がったあかり坂を下ると
主計町の細い路地に出ますし泉鏡花の「化鳥」や「照葉狂言」は主計町に架かる「中の橋」が主題作品です。

 このあたりは料亭や会員クラブ、バー等が多く千本格子が続く町並は落着いていて隠れた撮影スポットです。
  ・
  ・





最新の画像もっと見る

コメントを投稿