▲---前回の続きです・・・(-_-;)
・
・
※001-久保市乙剣宮の境内裏から、くらがり坂へ!
※002-くらがり坂周辺
▲-藩政期から粋人たちや旦那衆が、人目を避けて利用した坂であかり坂と対を為す。
※003-あかり坂周辺-参考カット (3月20日UP済み)
▲-あかり坂はずっと名無しだったのを、2008年金沢にゆかりのある小説家、五木寛之氏の作品
「浅の川暮色」から、五木氏が命名されたのだそうです。ゆるやかに曲がったあかり坂を下ると
主計町の細い路地に出ますし泉鏡花の「化鳥」や「照葉狂言」は主計町に架かる「中の橋」が主題作品。
このあたりは料亭や会員クラブ、バー等が多く千本格子が続く町並は落着いていて隠れた撮影スポットです。
※004-主計町茶屋街・裏手の雰囲気
※005-主計町茶屋街
▲-主計町(かずえまち)は加賀上級武士の富田主計重家【13600石】の上屋敷があったことにちなむ。
富田主計重家は富田流小太刀の始祖家の流れをくみ藩政中期、後期に小松城代や算用場奉行をつとめた藩士。
この主計町茶屋街は屋敷地を移転後、明治2年に遊廓地として整備された。
狭い路地と千本格子の庶民向け遊郭跡が続き、木虫籠」(きむずこ)と呼ばれる格子窓から、
三味線の音が聞こえてくる情緒ある町並みで、現在では格式ある茶屋街として京都の祇園と肩を並べる。
※006-浅野川大橋周辺から見る主計町
▲-手前には乃木将軍と辻占売り少年の記念石碑が立つ。
明治24年、乃木希典将軍が当地を訪れた際、出会った8歳の少年が生計を助ける為
辻占い売りを行っていた事に感銘を受け金2円(現在の換算価・2万円位)を渡し励ました。
その今井少年は努力を重ね金箔業界で重きをなした今井清三郎氏。
乃木将軍は日露戦争で後に勲功を立てる。この故事は東京・旧乃木邸跡に記念像があります。
※007-藩政期の火の見三櫓、浅ノ川櫓周辺(復元保存)
※008-同上
▲-金沢の三櫓は浅ノ川大橋詰・犀川大橋詰・堤町にあった木造作りの火の見櫓。
この櫓は明治中期頃まであったが、現在は道路の反対側に移転保存されています。
※009-藩政期の町屋 (金丸家)
・
・