徒手空拳(としゅくうけん)
手に何も持っていない意。
物事を始めるとき、頼りになるものが何もなく、身一つであること。
「徒手」も「空拳」も、手に何も持たないこと。手が空であること。
この言葉を目にしたとき「徒手空拳のような人生」とは、どういうものなのだろう…
と、昨日、たっぷり雪道を歩いた、疲労感いっぱいの身体は休ませ、それとは逆に、疲れで鈍くなっている脳みそは、フル回転させて想像してみました。
私も、自分の人生に於いて、このような想いに至ったことは、何度か、あります。
けれど、今、振り返ると、誰かしら傍に居て、助けて貰っていたなぁと思うのです。
あの頃、きちんと理解できていたら、もっと、心のこもった、感謝の気持ちを、表すことが出来たことでしょう。
いや、今からでも遅くはない。。。 感謝の念は、贈り続けよう。。。 (͒๑⃙⃘´꒳`๑⃙⃘)͒

話は逸れますが。。。 もうすぐ、3月11日が訪れます。
あの年、一度も足を運んだことのない、北の大地に移住すると決めたことは、我が家にとっても、大変、大きな決断で、とても心許ない気持ちで、いっぱいでした。
けれども、当時の私には、ありったけのエネルギーを注いで、後押しをしてくださる方が居てくださいました。
そういった背景を鑑みると。。。
天は、私の片手に、頼りになるものを、しっかりと、握らせてから、
もう一方の、空っぽの手で、必死になって、新天地で希望を掴めるように…!
と、余力を残して置いてくれたように感じます。

私自身、こういった、謙虚な気持ちに至るまで、かなりの年月が掛かりましたが。。。
今、こうして、気づきを得ることが出来て、良かったです。(*ˊᵕˋ*)


私個人は『徒手空拳』という言葉を、目の前にして。。。
何も持っていないと思い込んでいた、自分の人生を、振り返る機会を頂けたこと。
また、振り返ることで。。。
当時も、感謝すべき人達と出来事が多々あり、それらに、気づかせて頂けたこと。
を、大変有難く思っております。
何もない身ひとつの人生が、人によっては、どれほど辛く悲痛なものか。
結局、今の私には、真の意味では、推し量ることすら出来ませんが、その方に存在する、これからの時間が、心を和ませる、微笑みと共に過ぎて行くことを、願うばかりです。