浮游社の『崎戸』本・Ⅰ・Ⅱ & 浮游庵通信 

炭鉱に生きた人々を、国家が遺棄した時代を記録し、記憶する。
1968年、「一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ヶ島」

崎戸小の廃校/ 石碑『平和』のゆくえ// 水陸機動団が崎戸で訓練計画

2022年03月19日 18時30分55秒 | 記録
浮游庵通信 4  WEB版
Communication & Journalism 
2022年3月20日発行 発行・浮游社 発行人・響トオル 
〒814-0023 福岡市早良区原団地11棟101号
電話・FAX 092-836-7735 tohru@able.ocn.ne.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長崎レポート➁
 明治以来、政商・三菱財閥の圧制と搾取の下で石炭を採掘し、帝国主義国
家・日本の侵略戦争を支えた「一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ヶ島」。
崎戸炭鉱があった『崎戸』は日本の縮図であると、改めて認識した崎戸取材
であった。

 崎戸町では今年3月末日で、平和教育の最初の場である小学校が廃校となる。崎戸小学校(旧・蛎浦小学校)の校門脇に、大人の体ほどの大きい石碑
が屹立している。「平和」の文字を力強く大きく深く、自然石の断面いっぱ
いに彫っている。石碑の建立は昭和25年(1950年)、今日まで70年間にわたり、地域一番の高台にある学び舎から、子ども達をはじめ町民に『平和』を
呼びかけてきた。
 崎戸には、もう一つ『平和』があった。昭和24年に建てられた鉱員用宿舎『平和寮』である。炭鉱町の中心部の高台に、鉄筋コンクリート造り三階建
ての白亜の巨大な『平和』が鎮座していたのだった。しかし、石炭と炭鉱家
族を遺棄する国策で崎戸炭鉱が1968年に閉山し50年余、炭鉱遺構の象徴だった『平和』寮は、行政と土地所有者の三菱資本に邪魔な存在となり破壊された。
 今、『平和』の残骸に土が盛られ、一帯は墳丘のようだ。
 自公に維新も加わり、現憲法の平和思想を踏みにじる政治家が跋扈する時
代である。崎戸では、戦後の『平和』を象徴したシンボルが破壊されて、も
う一つの『平和』も崎戸小学校の閉(廃)校式ですら顧みられず、忘却の途上
にある。
 崎戸で、平和を教え学ぶ学校が廃校となり、代わって崎戸に出現したのが、「奪回」という敵との交戦(戦争)を前提として編成された陸上自衛隊の水陸
機動団の訓練場計画だ。水陸機動団は佐世保市相浦に駐屯する、日本版の米軍・海兵隊である。崎戸から目と鼻の距離にある佐世保港には、米軍の艦船
がひしめいている。
 崎戸の、日本の子ども達の『平和』が危機に瀕している。
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▼崎戸小学校の校門脇に70年間屹立する「平和」の石碑。大人の体ほどの大 
 きな自然石の断面いっぱいに、力強く大きく深く「平和」を彫っている。 
 石碑が「子ども達を再び戦場に送ってはならない」と、叫んでいるようだ。


       
昭和25年4月30日の建立。建立者は、同校の育友会一同。
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注記:崎戸小学校は1968年、昭和、浅浦、崎戸(本郷)の3校を蠣浦小学
校に統合し、名称は蠣浦小学校を崎戸小学校に改めた。崎戸小学校は2022
年3月末で廃校となり、隣島の大島町の小学校に統合される。西海市の大崎
地区小学校適正配置(学校統合)実施計画によるもの。
崎戸中学校は2013年に廃校、大島町の大島中学校に統合されている。さらに、令和4年度末で幼稚園、保育所も大島町のこども園に統合される予定と
いう。子育て環境が大きく変化することでさらなる過疎化が懸念されている。崎戸町は、2005年4月の5町村合併で、西海市に属する。
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「平和」を彫った石碑が見つめた崎戸小学校の閉(廃)校式

 3月13日、崎戸小学校の「閉校式」と「感謝のつどい」が崎戸町中央公民
館と小学校運動場であった。この日時点の児童数は21人。
 海岸べりの道路に面した中央公民館から傾斜がきつい坂を上がって、校門
前でひと息ついて見上げた視線の先に、ブロック五段で正方形に固めた土台
に自然石を重ねて巨大な石碑が屹立している。この自然石には「平和」の二
文字が力強く大きく深く彫られている。
 閉校式典で、この小学校(旧・蠣浦小学校)の卒業生である杉澤泰彦市長
はじめ射場邦子校長ら地元で要職にある人々が挨拶したが、だれ一人として「平和」を彫った石碑について触れもせず、子ども達と郷土の「平和」を語
らなかった。
 現在、世界中の人々がロシアとウクライナの戦争に関心を向け、戦争反対
を叫び、平和を希求しているという状況である。崎戸の子ども達もテレビや
新聞で悲惨な状況に置かれている世界の子ども達の現実を知っている。
 崎戸小学校は、今日まで70年にわたり、校門脇の石碑で「平和」を掲げている学校である。大人達は大きな声で、なぜ石碑の「平和」を子ども達に
改めて伝えようとしなかったのだろう。大人達は「平和」を忘却していたの
だろうか。学校は廃校になる。
 この「平和」の石碑は、いかなる運命をたどるのだろうか。

『崎戸』は日本の縮図。平和が廃れ、再び戦争の足音が…

 崎戸が、陸上自衛隊が新たに編成した精鋭部隊・水陸機動団の訓練場にな
ってしまうという風の便りが届いたのは昨秋だった。崎戸の土地の大半は、
石炭を採掘した三菱鉱業の後継企業の三菱マテリアルが所有しているので、
地元住民が過疎地振興を名目に賛成したら、訓練場計画は容易に進み、崎戸
は戦場の様相に一変する。住民は、平和な生活環境を失ってしまうと危惧し、不安の色を濃くしたのだった。昨年10月からの経過は以下の通り。
 10月 水陸機動団による崎戸町住民説明会。これに先立ち、崎戸町行政区  
    長会で水陸機動団の訓練計画をめぐって議論が行われる。
 11月  郷土を愛する有志が「崎戸町生活環境を考える会」(代表・上野久
    美子さん)を結成。~陸上自衛隊水陸機動団の訓練計画は全島全域
    が対象で、巨大なヘリコプターによる騒音による生活環境の悪化や
    漁業への影響が危惧される~として、西海市長宛に申し入れを行う。
       西海市12月定例市議会(30日)で、渕瀬栄子議員が水陸機動団の訓練
               計画について質問し、西海市長として対応すべき重要案件であり、    
    市長としての考えを市民に示すよう求めた。杉澤泰彦市長は、自衛
    隊から丁寧な説明を聞いて判断したい、と答弁。
    渕瀬議員は、訓練計画が市会議員にも知らされていない、と苦言を
    述べ、西海市としての対応を強く求めた。
 12月 「崎戸町生活環境を考える会」が西海市長に「西海市は、住民の合 
    意が得られていないことを踏まえ、陸自水陸機動団の訓練計画の中
    止を求める」要望書を提出。応対した西海市長は、訓練計画は中止
    と水陸機動団から連絡があった、広報する、とも。
 1月     19日、崎戸島の旧・ホテル咲き都の展望台駐車場に、陸上自衛隊の
    車両3台が駐車していた。この場所は眼下には荒磯が広がっている。   
    訓練場所を視察していたのだろうか。カメラを向けると直ぐに移動。
    水陸機動団の調査活動か? 地元では、訓練計画は中止ではなく休
    止で、計画の見直しと受止める声もある。
    3月まで、市発行の広報紙に市長見解、経過の記録、訓練計画中止
    の広報はない。

    
                  
    
                ●
 西海市崎戸町の人口は1200人余り、過疎地だ。全国各地の過疎地に軍事
施設や原発、巨大風力・太陽光発電装置が突如出現し、人々の穏やかな日常
を脅かす。
 明治から昭和の敗戦まで、日本(人)は他国を侵略し悪行を重ねた。1945年
の敗戦で、崎戸も被爆地・長崎も日本全体が軍事・翼賛体制を恥じて、明治
以来の帝国主義国家を否定し、国民主権の新しい憲法に平和を規定し、心に
銘記した。平和を希求する国家に生まれ変わったはずだった。しかし、アメ
リカの金に媚びて、自衛のための防衛力という戦力は膨張を続け、「敵基地
攻撃能力」という政治的な言葉で戦争を肯定する憲法(武力行使の放棄)違反
がまかり通る。日本が世界に誇れる平和憲法なのだが、核に怯えて核保有を
公然と主張する元首相や、日本維新の会関係者などが核抑止力という幻想に
取り憑かれ、核自滅への道に踏み出している。核は怯えと狂気だ。核は再び
使われたら世界の終末である。核抑止力は幻想にすぎない。
 日本人は歴史を顧みて、愚行を重ねてはならない。武力行使の放棄と戦力
の不保持を規定した平和憲法こそが、真の平和を実現するのだ。 
             文責・中西 徹(浮游社・編集者/崎戸町出身)
★ 浮游社 2022年の新刊予告 ★
『炭坑誌』補遺(仮題) 
  『炭坑誌』の著者・前川雅夫氏、執念の書き下ろし作品❢
「1968年。うち、おい達の『崎戸』という時代」
   2018年刊の初版を増補改訂
               

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