近くに知的障害者の為の児童福祉施設があり、いつも笑顔の○○君が
毎日のように駐車場に立って誰かを待っている。
私が配達に行くと、彼は飛び切りの笑顔で片手を挙げ私を迎えてくれる。
私も笑顔で 「よ!」 と片手を挙げ軽く挨拶を交わす。
それが日課のようになっている。
いつだったか彼は私に近づき、大事に抱えた手提げ袋を指差し笑顔で何かを
話すのだが言葉にならず何を言っているのか分からない。
でもとても嬉しそうに話す。
少し話して納得がいくと、またさっきまで居た場所に戻って立っている。
毎年お盆や正月には家に帰る子供達が多いのだが、彼は一年中施設にいる。
家族が迎えに来てくれないのだ。
「○○君、手提げ袋に荷物を入れて、家の人が迎えに来るのを待っているのかな・・」
・・・こんなことを思うと、とてもやるせない気持ちになる。
○○君、もう寒いよ・・ せめて中に入って待っていよう・・
毎週日曜日の訪問・運動会やバザー。
私たちの訪問を楽しみにしてくれていました。
言語に障害のある子もいましたが、喜んで待っていてくれるということはわかりました。
職員のお話で、家の人が面会に来るケースがまれであることを知りました。
明日は会いに来てくれるかな、と希望を持ってにこにこしていた姿が○○君に重なります。
悲しい笑顔もあるのですね。
初めての入所日に出くわしたこともあります。
ぎゃ~ぎゃ~と泣きわめく子供さんの手を取る
お母さんが若かったことに驚かされました。
彼も障害がある人だったけど、僕が差し入れをすると喜ぶのだけど、すぐ物陰に隠れれて飲んでいましたよ。
働き場所が厳しくて見つかったら叱られるそうです。
彼にもそう云えば随分あっていないですね。
今、どうしているのだろう?
認知症になってしまった方とのお付き合いは
難しいですし慎重にしなければなりませんよね。
決して人としての尊厳を傷つけてはいけないので
難しいです。
そういった障害をお持ちの皆さんは敏感なので
すぐに感じ取ってしまいますもんね。
はじめは、正直、ゎ・・とか思ったけど(ごめんなさい。)
めちゃくちゃ可愛ぃのです。
とっても純粋。
とても感慨深いものです。
世界中の人々が障害を持った方達に対して偏見や差別をせず、
自然にサポートできる世の中になるといいですね。
でも現実は酷いものです・・ 陰口や悪口のオンパレードです。
まだまだ人としてのレベルが低すぎるんですよね。
でも、自分がそうだったらその親を責められるだろうかと考えます。毎日だったらほんとに大変なんでしょうね。老人介護もそうですから。
学生の頃、教育実習で聾学校に行ったことがあるんですが、知的障害がありながら聴覚障害と視覚障害のある子供が作業をしているのを見て、非常にショックを受けた覚えがあります。五体満足でありながら毎日我がまま放題に過ごしている自分が情けなくなりました。それと同時にその子達に何もできない自分が恥ずかしくて。
精一杯楽しく暮らしているように見えます。
どの子も明るいんです。
人の幸せって上を見たらきりがないですよね。
だから「普通」に暮らせることが一番の幸せなのかな・・と思ってます。
どんな環境下で暮らしていても、1つだけでも
幸せを感じることができればそれでいいかな・・と。
「もう1つ幸せを増やそう」と思って頑張ればいいわけですし。