その日はアルバイトで、
新宿にある高層ビルの30階のいました。
→2011年3月の記事
久しぶりにその頃の記事を読み返して、熱に浮かされたような
奇妙な緊張感に支配された3月を思い出しました。
その日の前日にたまたま大量に作っていた豚汁
(普段は2~3人分くらいしか作らないのにその時に限ってシチュー鍋一杯分あった)
を食べながら、
ただただ津波に襲われる東北の映像を見たりしていました。
とても寒くて、コタツに入りながら…。
また、東京に住んでいながら、お金があっても食べ物や牛乳が買えないなんて
想像したこともなかったけど、
近所のスーパーの棚は見たこともないほど空っぽになっていました。
同居人のSちゃんは、仕事の帰り道、
自動販売機でミネラルウォーターを何本も何本も買いしめている人を見かけて、
夜道に響くガコンッという音に心が寒くなる思いだったと言っていましたっけ。
3年たっても、まだまだ仮設住宅に住んでいる人は大勢いて、
県外に避難したままの人も沢山いて、
そして故郷に帰る目処すら立たずに諦める人も出始めていて…
今日は、思い出したことをまた忘れないように
豚汁を沢山作って食べようと思います。
新宿にある高層ビルの30階のいました。
→2011年3月の記事
久しぶりにその頃の記事を読み返して、熱に浮かされたような
奇妙な緊張感に支配された3月を思い出しました。
その日の前日にたまたま大量に作っていた豚汁
(普段は2~3人分くらいしか作らないのにその時に限ってシチュー鍋一杯分あった)
を食べながら、
ただただ津波に襲われる東北の映像を見たりしていました。
とても寒くて、コタツに入りながら…。
また、東京に住んでいながら、お金があっても食べ物や牛乳が買えないなんて
想像したこともなかったけど、
近所のスーパーの棚は見たこともないほど空っぽになっていました。
同居人のSちゃんは、仕事の帰り道、
自動販売機でミネラルウォーターを何本も何本も買いしめている人を見かけて、
夜道に響くガコンッという音に心が寒くなる思いだったと言っていましたっけ。
3年たっても、まだまだ仮設住宅に住んでいる人は大勢いて、
県外に避難したままの人も沢山いて、
そして故郷に帰る目処すら立たずに諦める人も出始めていて…
今日は、思い出したことをまた忘れないように
豚汁を沢山作って食べようと思います。
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