SEと愉快な仲間たち

定時帰りとデスマーチの狭間で奮闘するSEの日々を綴る愉快な日記。
高収入の男性と結婚してこの悪夢から抜け出したい。

中学校卒業式の思い出 「旅立ちの日に」

2016-03-04 22:35:50 | 日記

今日はとても暖かかった気がします。

3月はじめと言えば、卒業シーズンですね。
気分的には4月の入学シーズンよりも暖かかったりしますよね。

ということで、ふと思い出した中学の卒業式の思い出話を綴りたいと思います。



「旅立ちの日に」という合唱曲があります。
私と同年代の方には馴染みがある曲ではないでしょうか。

私の中学校でも流行に乗り、私たちが卒業する代に式歌が「仰げば尊し」から「旅立ちの日に」にかわりました。
私は先輩方と同じ「仰げば尊し」を歌いたかったのですが、
中学生にぴったりな、等身大の歌詞とメロディーに、最終的には大好きな合唱曲の一つになっていました。


私のクラスの担任は、音楽教師の女性でした。

音楽教師は受験生のクラスは持たないというものがありました。
なぜなら、行事があるごとにピアノの伴奏としての雑用がある為です。

ですが、私たちの代だけは大人の事情の特例で、音楽教師が3年生を受け持っていました。

卒業式で、担任が裏方にまわるということはできません。
ですが、小さい田舎の中学だったので、代わりができる先生もいませんでした。

そこで、私に声がかかりました。

答辞の生演奏BGMから式歌、そして校歌までの一連のピアノ役をやってほしいというものです。

私も一応卒業生なんだけど、裏方・・・?

とは言えず。
部活の顧問でもあり、クラスの担任でもあり、3年間お世話になりっぱなしの先生の頼みとなれば、
私だって一肌脱ぎますよね、そりゃあ。

伴奏はちょろいもんでしたが、答辞のBGMがなかなかやっかいです。
答辞をフルで録音したものを用意して、何度も何度もタイミングをはかりながら繰り返し部分を計算して準備をしました。

人生賭けた受験勉強の傍らで、卒業式の練習。
自分でいうのもなんですが、県で一番の進学校の受験と、首都圏の難関校の受験が控えており、
正直、しんどいなと思い、ストレスでピアノ叩きたくなったこともありました。

とは言え、大好きな学校と、大好きな先生の為です。
3年間の集大成として、頑張りました。


卒業式当日。
在校生による送辞も終わり、とうとう答辞。

この答辞野郎、壇上に上がった時点ですでに号泣しているという大惨事。

泣きながら話す為、録音とはペースが段違い。
静かにテンパる私。

どうにかこうにか普段繰り返さない部分をアドリブで繰り返し、帳尻を合わせましたが、
体育館に大勢の泣き声が響く中、私は正直心臓がバクバクすぎて、泣くどころの話じゃありませんでした。

何度となく聞いた答辞ですから、いまさらそれくらいでは泣けませんしね。

BGM係が終わって一安心、そのあとの伴奏はつつがなく終えることができました。


緊張の糸がとけたのか、式が終わってクラスに戻った瞬間、
私の涙腺がマックスに崩壊し、親友に抱き着いて声をあげて泣いた記憶があります。

もう、赤ちゃんのようにわんわん泣きましたね。


卒業式後、クラスに集まって、担任のありがたいお言葉の時間。
一人ひとり、先生が名前を呼んで、黒板まできて、みんなの前でコメントを頂くというスタイル。


「では、これから皆さんを一人ひとり、泣かせに入りたいと思います!笑
 ちゃんとね、伝えたい言葉も、名前を呼ぶ順番も決めてありますよ~!
 
 やっぱりここはね、一番最初だけは譲れなかった。

 『豆腐ちゃん!』」



もうね、この時点で号泣ですからね。

先生もう卑怯、大好き。

大泣きしなが黒板に行きましたよ、クラス全員大泣きだったから恥ずかしくなんかないですよね。



「豆腐ちゃんは、1年生の時から部活の顧問として見守っていたし、
 3年生になってからは担任としても見守ることになりました。
 おそらくクラスの中で、一番長く、濃く、関わってきた生徒だと思います。
 
 このクラスはみんなにも最初に説明した通り、2年生までにいじめられていた子と、
 いじめられていた子を助けてあげられるような子を集めて作った、ちょっと特殊なクラスです。

 そんなクラスの担任として、最初はとても不安でしたが、
 そのクラスの名簿をもらった時に、豆腐ちゃんの名前があって、本当に安心したのを覚えています。
 
 豆腐ちゃんには、いつも助けてもらってばっかりでしたね。

 私自身がよく知っている生徒だったこともあり、
 春の時点では、クラスの雑用を頼んでしまったり、協力してもらったり、
 いろいろな場面で頼ってしまっていました。

 今日も、本当は私がやらなければならない役を、私以上に立派にやり遂げてくれました。
 受験勉強をやりながら、こんなにプレッシャーのかかる仕事をさせるのは心苦しかったけれど、
 豆腐ちゃんならやってくれると信じていました。

 豆腐ちゃんにしかできないと思っていました。

 ・・・本当は、私がそのタイミングだけ裏方にまわる、という話もありました。
 でも、初めての卒業クラスの担任として、どうしてもずっと最後まで皆を見守りたいという私のわがままから、
 豆腐ちゃんなら出来ると、私が先生方にお願いして、今日この卒業式を迎えました。

 私の勝手なわがままに付き合ってくれて、本当にありがとう。

 豆腐ちゃんなら、きっとすごく素敵な女性になると思っています。」



およそ10年の月日が経ちましたが、この時の先生の言葉はとてもよく覚えています。

むしろ、忘れられませんね。

先生の期待通りの「素敵な女性」にはまったくなれず、
高校受験はうまくいきましたが、大学受験は失敗し、夢だった中学校の教員は諦め、
就職活動は途中で挫折、諦めて入った会社では仕事が辛くてうつ病になり休職。
特に決まった男性もおらず、なんとなく過ごす毎日です。

先生のいう「素敵な女性」とはなんなんでしょうね。
どこから間違ってしまったのでしょうね。


・・・とかなんとか。
春風にふかれながら柄にもなく、ちょっと感傷に浸っちゃったり?


今日は散々泣いたので、明日からはまた一所懸命「素敵な女性」になれるように、頑張りたいと思います。

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2016-03-04 12:38:57 | 日記

昨日、同期で唯一仲の良いの女の子に言われた言葉。

「新しい家具のコーディネートすごいお洒落だね~」

「だろう?私も我ながらハイセンスだと思った。ってか超ハイスペックだと思うわ、私。
 こんなセンスあるし、家事もめっちゃするし、そこらの男よりも稼ぐし、顔も別に普通じゃん、
 かなりお買い得だと思うんだよ、私。なのになんで彼氏できないの」


「なんかもう、そういうところが本当に可愛くない」


なんか、ごめんなさい。


同期が続々と結婚する中、彼氏いない独身SE女仲間の新垣ちゃん(仮)。
名前の由来は、会社にあるカフェのおばちゃんが、この子のことを新垣結衣に似てるって言っていたことからです。

女好きの先輩曰く、

「たしかに、新垣結衣をぽっちゃりさせて、パーツを地味にさせて限りなく可愛くなくしたら似てるかもしれない」

とのことです。
それはもう、似ていないんだと思います、先輩。


まあ、彼氏いない独身仲間とは言っても、
新垣ちゃん(仮)は部署の先輩2人をいい感じに手駒にとって遊んでいるので、
そのうちどっちかと付き合ってしまうと思いますけどね。

新垣ちゃん(仮)のはっきりとぐさっと心抉ってくれる所、大好きです。


産業医面談は圧迫面接

2016-03-03 12:31:03 | 日記

今日は天気もよかったので、家の近くのパン屋さんに行きました。
川沿いに咲いている菜の花の香りが、風に乗ってふわっと流れており、もう春だなと感じられるひと時でした。

とまあ、珍しく穏やかな書き出しですが、
それは何故かと言うと、昨日の産業医面談で私が絶賛ストレスフル中だからです。

穏やか取繕わないと、あのくそ産業医の顔思い出して、
パソコンの画面叩き割りたくなるからです。

ああ、忌々しい。

・・・よし、冷静になりました。


昨日は、産業医面談でした。
結果から言いますと、おおかたの予想通り、生活リズム表作成して、
また二週間後に面談してOKもらえそうな感じでした。

それはいいんです。
ただ、あの産業医の態度がもう、大嫌いで大嫌いで絶対に仲良くできないタイプで、
ストレスがもうひどい!!!ってことなんです。

・・・順を追って話しましょう。

面談事態は午後からでしたが、
休職中に引越しをした為、住所変更関連の書類を集めるのに、
午前中からなんやかんやバタバタしておりました。

お恥ずかしながら、我が家にはプリンターがない為、
何かを印刷したい場合はコンビニか漫画喫茶に行くわけです。

そして、家の近くの漫画喫茶に行ったわけですが、
そこの店員の接客態度に激しくイライラしたのはまた別の機会に。

時間つぶしに入った喫茶店の店員の接客態度に激しくイライラしたのも、また別の機会。


書類関連も揃い「いざ、出陣」という気分で、会社に向かいます。
会社関連の建物に近づくのは、およそまるまる2か月ぶりです。

普段は行かない支部なこともあり、すでに胃がキリキリキリキリ・・・。

ちょっと待ち合わせ場所を間違えつつも、無事に部長と合流。
産業医面談の前に30分程、今後の流れを説明されつつ、部長と世間話。

「そういえばさー、チワワくんの住所調べてきたんだよー」

チワワくんというのは、
私の新人時代の担当アドバイザーで、年次的には3つ上の男の先輩です。
年齢的には、5つ上なわけですが。

え、年下じゃねぇの?

ってレベルの童顔で、コミュ障で、さらにいつももの悲しそうな顔をしているので、
チワワに似てると私が勝手に騒ぎ続けています。

まあ、誰にも賛同得られてませんけどね。

チワワ先輩は、私の引越し先と同じ駅付近に住んでいます。

チワワ先輩は、チワワみたいな顔のくせに、職場内のセクハラ問題に敏感です。
ので、新人時代のアドバイザーでしたが、あんまりプライベートでは関わっておらず、
詳しい住所は知りませんでした。

偶然ばったり会ったら嫌だな、と思い、ちょっと前に部長にそれとなく聞き出していました。
逆セクハラで訴えられたくないし。

「ほら、ここー、ちゃんと調べたんだよー」

相撲取りみたいな体格の癖に、話すと可愛い部長が、自分のスマホを見せてくれました。


えええええ、くっっそ家近いんですけど!!!!

丁目まで一緒だったうえに、番地も3つしか変わらないという、まさかのニアピン。
確かに住宅街でしたが、これはいつ会っても不思議ではなし。

よくすっぴんで出歩くから、逆セクハラで訴えられないように気を付けよう・・・。


とまあ、無駄に動揺させられながらも、産業医面談の時間になり、
部長とセットで健康相談室までGoです。

自分の支部とは違い、都会の綺麗なビルで、風格のある部長の後ろを歩く私。
さながら、社長秘書になった気分で歩いていました。

どうでもいいですけど。

そんな気分で歩いていたものの、さすがに面談室まできたら心臓がクライマックス。
部長が先に入り、受付の人に話しかける。

「すみませーん、今日予約してる豆腐(略)の面談ですがー」

「え?今日は予約ありませんよ?」


なにそれこわい。


焦るお相撲さん、もとい部長。
電話でよくよく確認したところ、手違いで支部ではなく本社で面談の予約が入っていた模様。

しっかりしろよ部長。

ここで延期してしまうと、復帰までの期間がさらに長くなる。
最近暇でどうしようもない私は、それだけは避けたい。

部長の交渉の元、なんとか同日の夕方に予約を入れられることになりました。

そこから部長と別れ、私はダッシュで本社に向かいました。

出鼻くじかれてイライラしている私は、
電車と徒歩を使って急げば一時間かからない距離を、脳内で部長への文句垂れ流しです。


さて、本社に到着です。
研修でよく使う場所なので、さっきの支部よりはまだ心に余裕がありました。

いざ、出陣です。

今度はつつがなく受付を済ませ、面談の前に厚生課の方がちょろっと今後の流れを説明して下さいました。
私の前の人が出てくると、とうとう私の番になりました。
慣れた場所でも、ここまでくるとやはり心臓がクライマックス(再)。

まあね、就職活動の頃には面談まで行って落ちた企業はいないと私の中で有名だった位、
私は表面的には社交的であるわけです。

就職活動ならいざ知らず、たかだか自分のこと話せばいいだけの産業医面談なんぞ、
ちょろいちょろい、と自分をなだめつつ。


産業医の第一印象、笑わない男。

もうね、この時点で怪しい気はしていましたよ。
ちょっと話した段階で確信しましたね。

「こいつは根っから私と合わないタイプの人間である」と。

心療内科系の先生のパターンには、
気さくで話しやすいパターンと、淡々と話して相手から情報を聞き出すパターンとありますが、
こいつは完全に後者の野郎です。

一言話すたびに、私の不快感ゲージが溜まりだします。

もしかしたら、こういう圧迫にも耐えられるくらい精神状態回復してるかチェックの可能性もある、と踏んで、
それでも笑顔絶やさず、ニコニコ話してやりましたよ。

就職活動の時の圧迫面接を思い出して、ちょっと泣きそうでした。


「豆腐さんさー、どうしてそんなに頑張っちゃったの?」

「あー、評価が気になちゃうタイプなんですよねぇ」

「豆腐さん、何大学の何学部だっけ?」

「○○大学の△△部です」


「評価気にするタイプの人が入らなさそうな大学と学部だね(笑)」


なにこいつ、死ねばいいのに。

どうせ滑り止めのくずみたいな大学ですよ!!!!
人が気にしているところをずけずけずけずけ!!!!

何言っても笑わなかったくせに、このタイミングで笑うとかもうほんと、
人の神経逆なでするのお上手ですね・・・!!!

まあ心療内科の先生もストレスたまりますもんね!
こんな圧迫面接できるような時にしか、はけ口ありませんよね!!!

とまあ、このあたりから、不快感ゲージが限界突破をしておりまして、
必殺技いつでも繰り出せます状態でしたが、
なんとかひきつりつつも笑顔をキープすることができました。


そんなこんなで、イライラマックスのまま面談が終わり、
もう一度厚生課の人から説明。
生活リズム記録表の付け方などを教わったり、必要書類を記入したり。

本社から出てきた時には、精神的にも体力的にもぐったり。
帰ったらジム行こうとか思っていましたが、帰って速攻ご飯食べて寝ました。

非常に疲れた一日でございました。

今後最低でも半年間もあの産業医と関わらなければならないと思うと、
それだけで鬱になる気がします。


ということで、まだ思い出すとイライラするので、
今日はなるべく心中穏やかに過ごそうと決めておりましたところでございます。