母の介護をしていた時からお葬式まで、
ずっと泣かなかった父が、はじめて涙を流しました。
「わしは仕事ばかりしていて、どこにも連れて行ってあげられなかった。
子どものこともほったらかしで、もっと関わってあげたらよかったのに、
なんにもしてこんかった。
もっと(母を)いろいろ連れてってあげたらよかったと後悔してる。」
父が泣いている姿を見るのは、はじめてのことです。
母に問いかけてみました。
「お父さんが泣いてるよ、お母さん。」
そしたら、こんな言葉が返ってきました。
「お父さんを情緒的にこんなにも成長させてあげられて、
わたしはこの役をできて誇りに思う。」
そう言って、母の魂が誇らしげに、
まぶしく光ったように見えました。
わたしが予想した言葉とは違っていたので、
正直びっくりしました。
「お父さん、大丈夫やで。」とか、
「お父さんをよろしくみたってな。」とか、
そんな言葉が返ってくるのかと思っていたのです。
ところが、母は父の魂的な向上をなによりも喜んでいたのです。
父は感情をほとんど出さない人で、
仕事ばかりしている人でした。
わたしは子どもの頃、父と会話をした記憶がほとんどありません。
わたしが髪を切ろうが、靴下を色違いではいていようが、
まったく気づかない父でした。
そんな父を見て育ったわたしは、
「結婚する時は、家族を大切にしてくれる人。
優しくて包容力のある人。」
というのが、結婚相手を選ぶ時の優先順位第一位になりました。
そんな家族にほとんど関わってこなかった父でしたが、
母の介護をしたこの半年間、本当によく母の面倒をみてくれました。
こんなにも面倒をみて、優しく母に接してくれるとは、
予想していませんでした。
母の介護をとおして、家族でたくさん話し合う機会が増えました。
苦しい時も、笑える時も、たくさんの時間を
家族で味わうことができました。
それは子ども時代には味わうことができなかった、貴重な体験でした。
「老い」というのは、体のあちこちが思うように動かなくなったり、
いろんな人にお世話になっていくことが増えて、
できたら避けたいことに思うかもしれません。
けれど、「認知症の役をする人」「寝たきりの役をする人」がいてくださるおかげで、
魂の学びとしては普通では得られないぐらい豊かな学びができるのだと、
ある時気づきました。
介護関係のお仕事の方、看護師さんは、
愛の大きな魂年齢の高い方ばかりです。
そんな方々と接点がもてたのも、母の介護があったおかげです。
介護関係の方々、看護師さんから、
わたしはたくさんの愛情と、母への接し方を学びました。
あまりに優しく母に接してくださるお姿に、
感動のあまり何度も涙が流れました。
そして、今のわたしでは耐えられない「寝たきりの課題」に向き合っている母を、
心から尊敬するようになりました。
介護では、教わることばかりでした。
寝たきりになっている母は、けっして人のお世話になっているだけではない
と思えました。
母のありがとうの言葉や、ちょっとしたしぐさに、
「今日もお見舞いに来て、よかった。」と心が満たされました。
わたしが年をとって、人のお世話になる時がきたら、
「なんでこんな目に・・・。」と自分の体をなげくよりも、
お世話してくださる方々に「ありがとう」をいっぱいお伝えしようと思いました。
父が母に「もっといろいろしてあげたらよかった。」と後悔している姿を見て、
情緒的にこんなにも成長させてあげられたと喜んでいる母。
人は肉体をはなれ、魂になると、
こんなにも高い視点から人の成長を喜べるのだなぁ・・・
と、目の当たりにした出来事でした。