日本語の古い文章は、神道知識がなければ正しく訳せない
というものが意外とあります。
竹取物語もそのひとつ。
誤訳の多い『かまど』につづく
『十六そをかみにくとをあけて』などもそうですが、
それに加えて、五人の求婚者も。
竹取物語の五人の求婚者、
そのうちの一人は『いるわけがない一人』なのですが、
それが、わかるでしょうか。
ざっと調べたところ、五人の求婚者に対し、
その異常性について述べているものは見つかりませんでした。
神道の知識があれば正しい形はわかるのに、
本当に、古文も知らずに古文訳してる人がいるんだなあと思うと
その教養のなさに驚くばかりです。
万葉集なんかも、古い神道知っていなければ
意味がわからないものもかなりあるのに
意味のわからなさを追求せず、
意味のわからないものは意味のわからないままに訳を作ろうとする
その態度がすごいと思います。
それをわたしがどれだけ言ってみたところで
まともな手段で発表できない研究なんて
便所の落書きと同じ。
ばかばかしい。
というものが意外とあります。
竹取物語もそのひとつ。
誤訳の多い『かまど』につづく
『十六そをかみにくとをあけて』などもそうですが、
それに加えて、五人の求婚者も。
竹取物語の五人の求婚者、
そのうちの一人は『いるわけがない一人』なのですが、
それが、わかるでしょうか。
ざっと調べたところ、五人の求婚者に対し、
その異常性について述べているものは見つかりませんでした。
神道の知識があれば正しい形はわかるのに、
本当に、古文も知らずに古文訳してる人がいるんだなあと思うと
その教養のなさに驚くばかりです。
万葉集なんかも、古い神道知っていなければ
意味がわからないものもかなりあるのに
意味のわからなさを追求せず、
意味のわからないものは意味のわからないままに訳を作ろうとする
その態度がすごいと思います。
それをわたしがどれだけ言ってみたところで
まともな手段で発表できない研究なんて
便所の落書きと同じ。
ばかばかしい。