ご近所さんのお風呂が壊れて、修理までに十日くらいかかったそうです。
わたしも北海道にいたときは家にお風呂はなく、
寒いし遠いしそうそう通えるものでもないし、
銭湯なんて数日おきで平気でしたが、
さすがに十日はきびしそうです。
でも、いまや東京でも銭湯なんて見なくなりました。
近所にもたぶんないでしょう。
普段は使わないからなくしてもかまわないけれど、
なかったらなにかあったときにすごく困るというのは
なんだか意味深いものだと思いました。
何もないときには近所づきあいなんて気にしなくていいけど
何かあったときは近所づきあいこそ大事になるというのも
その系統のものでしょう。
そう思うと、今はなんだか見えないうちに、
ほんとは大事なものを切り捨てているのではないかという
感じがしてなりません。
大学も、今やハデですぐにお金になる研究ばかりに力を入れて、
地味でお金になるかどうかもわからないような基礎固め、
基礎研究にはお金を入れなくなったようですし。
本来はそういう、資本主義とは関係ないところで
何の役に立つかわからないけど将来なにかあったら役に立ちそうなものを
研究しておくのが学問機関ではないのかと思いますけど。
かといって、普段使わないけどいざというときにはあったら助かるものを
どうやって支えればいいのかというところは
わたしにはまったくわからないのでなんともいえません。
世の中はお金があればだいたい自由です。
わたしも北海道にいたときは家にお風呂はなく、
寒いし遠いしそうそう通えるものでもないし、
銭湯なんて数日おきで平気でしたが、
さすがに十日はきびしそうです。
でも、いまや東京でも銭湯なんて見なくなりました。
近所にもたぶんないでしょう。
普段は使わないからなくしてもかまわないけれど、
なかったらなにかあったときにすごく困るというのは
なんだか意味深いものだと思いました。
何もないときには近所づきあいなんて気にしなくていいけど
何かあったときは近所づきあいこそ大事になるというのも
その系統のものでしょう。
そう思うと、今はなんだか見えないうちに、
ほんとは大事なものを切り捨てているのではないかという
感じがしてなりません。
大学も、今やハデですぐにお金になる研究ばかりに力を入れて、
地味でお金になるかどうかもわからないような基礎固め、
基礎研究にはお金を入れなくなったようですし。
本来はそういう、資本主義とは関係ないところで
何の役に立つかわからないけど将来なにかあったら役に立ちそうなものを
研究しておくのが学問機関ではないのかと思いますけど。
かといって、普段使わないけどいざというときにはあったら助かるものを
どうやって支えればいいのかというところは
わたしにはまったくわからないのでなんともいえません。
世の中はお金があればだいたい自由です。