元となる話は何日か前のですので
詳しくはそちらをごらんください。
さて そのままぼちぼちと世界のサビ、
オルガスムスについていろいろ考えています。
もう一度それなりに今までの自分のものも
見直してみたところ、
サビ箇所を作ろうとしたところはありました。
歌でもなんとか盛り上がりを作ろうとしているところを
見つけられたのですこしほっとしました。
サビがあるからどう、ないからどうではなく。
そんな話以前の問題だったようです。
さて、起承転結です。
わたしも昔は国語やなにかの授業で、
起承転結は大事だと言われてきました。
でも確かそこでは、
『転』は、今までの話を転換して、
予想もしなかったものを出すのだ
というようなことを言われていた気がします。
でもいま、すこし変わった目でみると、
その説明は中途半端だったとわかりました。
というよりも、そもそも起承転結という言葉は
意味がすごくわかりにくいです。
悪即斬、みたいに一目見て、「ああ!」と
いうような直感的処理ができません。
そこで、起承転結を
わかりやすく言い換えられないかと考えて、
わたしなりに思いついたのがこれ。
【刺激→興奮→絶頂→弛緩】
以後の説明はこの単語を用います。
【刺激】フェイズ
対象者(読み手・聞き手・見手)の興味を刺激するところです。
簡単な状況説明・世界観・人物などをここで示します。
【興奮】フェイズ
対象者の興奮(緊張)を高めるところです。
刺激フェイズと完全に分かれるものではありません。
簡単な状況説明に引き続いて、
状況や人物像を掘り下げるような事柄を描写していきます。
【絶頂】フェイズ
創造物はここがもっとも盛り上がるように構築します。
対象者はその処理によって今までからのカタルシスを得、
オルガスムスを味わいます。
【弛緩】フェイズ
気持ちよくまとめるところです。
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だいたいこんな感じですが、
前回までで絶頂はよく言われているパターンのほかに
もう一種あることがわかりました。
いい用語が思いつかないので、
適当にタロットから単語を引っ張って、
<正位置>・<逆位置>とでも言っておきましょう。
よく言われる絶頂は、<逆位置>です。
思いもしないようなことをひっぱってくる、
というような解説です。
これは、【刺激→興奮→絶頂→弛緩】の
日常で言うならば、空腹の絶頂です。
おなかが減りはじめる→おなかがすごく減る→
と来て、絶頂になるのは
『おなかが減ってどうしようもない状態』ではなく、
『ものを食べておなかいっぱいになる状態』です。
空腹から反転しているのがわかるでしょうか。
こういうのが、対象者(簡単に言えば観客)の
予想を裏切る、典型的な『転』です。
たとえば悪者がお姫様をさらい、
別の世界から召喚される女の子たち。
お姫様を助けるのが正義だと、
悪者を倒すために奮闘しますが、
いざたどり着いてみると別の世界から呼ばれたのは
お姫様が殺して欲しかったから。
これは『魔法騎士レイアース』で、
見せ場で正義と悪とを反転させています。
一方、<正位置>の絶頂も、
これはこれですごく使われています。
日常で言うなら、排泄の絶頂です。
排便したい→出してしまいたい→だから出す→すっきり
という流れです。
ここでは絶頂フェイズで予想しなかったことは起こりません。
最初から出したいと言っていて、
そのまま盛り上がりで排泄するだけです。
たとえば、『射殺』というような劇でも作るとしましょう。
・刺激……冒頭、死んでいる男と銃を持って立っている女
・興奮……暴言を吐いたりする男と、憎しみを燃やしていく女
女は銃を手にして、撃とうか撃つまいか悩みます。
・絶頂……本当にどうしようもないところまで追い詰められて、
一発の銃弾が男を殺します。
・弛緩……冒頭の回想シーンから続いて、まとめ。
それでも愛していたと言ったり、
逆に笑ったりで殺すという行為が
どういうものだったかの意味づけをして、完了。
たとえば推理物でも同じ。
【刺激→興奮→絶頂→弛緩】は
殺人事件→調査。明るみに出る被害者の人物像と
周りの人間の過去→探偵などが犯人をあばく→
語られる犯人の動機
という構図です。
その他、勧善懲悪ものでも同じ。
事件が起こる→敵が出てきて追い詰められてピンチ→
→お前にふさわしいソイルは決まった→敵殲滅
シリーズ物になるのは、こちらの絶頂パターンが断然多いです。
セガールの映画もこういうものですね。
事件が起こる→迫る悪の手→セガール大活躍→悪の組織壊滅
……というよりも、ヒーローモノは基本的にこの形でしょう。
わかっているからこそ、そこが逆にたのしみ、
そういう流れです。
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こうして、骨組みとその意味がわかったので、
どうすれば絶頂を絶頂らしく装えるかを考えてみました。
たとえば、わたしの好きな、調べものをする話。
かつて書いたものは、最後だけを見据えていました。
これを、なにもなく弛緩にもっていくのではなく、
絶頂の位置に据えるとしたら、どうすればいいのでしょう。
考えられるのは、調べなくてはいけないという状況。
調べること、答えがわかることが
重要な意味をもつ場面。
簡単にわかっては盛り上がらないので、
調べるのを邪魔する存在が必要でしょう。
つまり、主役は邪魔されながら調べるわけです。
迫る追っ手。追われながら調査をし、
つかみかけては断念して逃走し、
かけらをつかんでは逃走しつつ、
真実に近づいていく主役。
……あれ?
これ、すごく見たことある気がしません?
国の敵と言われて軍隊から追われながらも
世界の知恵を見つけていくお話……
『聖なる予言』そっくりです。
自分でも知らないうちに手にしていたものをめぐって
変な組織に追われる主役。
理不尽に追われながら、逃げながら、
その理由を知っていく……
これだと『エネミー・オブ・アメリカ』です。
『ダヴィンチ・コード』も確かそんな話でしたっけ?
あとはついでに、握っちゃった真実で、
自分を追ってきた組織を叩き潰せば
もうハリウッド映画の完成です。
――わかる! わたしにも話がわかる!
……の、ですけど。
あれってそういうことだったんですね。
調べものをする、というのを
万人向けの【刺激→興奮→絶頂→弛緩】パターンに
押し込んだだけだったなんて。
それならわたし、そんな話なんて書きたくありません。
たとえばどこかのだれかについて小説を書こうとして、
図書館やネットなどでその人のことを調べて。
そうして調べていくうちに、その人の考えや、
その人の軌跡がわかって はっとする、
その経験をそのまま書いたほうが
わたしにはよっぽどおもしろいです。
恋の話を書くとしても、
だれか好きな人に、その人を好きな人がでてきて
すったもんだをするよりも、
わたしはただその人を好きで、
その『好き』がとても大事で、
とても大事だからそのままの気持ちで
毎日の一歩を踏み出す――
そんなお話のほうがずっと書きたいです。
……なんでわたしはこう、かたっぱしから
地味なのが好きなんでしょう。
本当に、わたしはサビ、絶頂が要りません。
なにも起こらなくたって
日々の生活の事件のほうが
よっぽど事件のような気がします。
わたしと他人との観点の違い、
求めるものの違い。それはすごく難しいです。
他人の目を意識するというところでは
お化粧と似たようなものがあると言えるでしょう。
でも、お化粧しておしゃれしているらしいおばさんが、
そばに寄るだけでほんとに反射的に
胃の中のものを戻してしまいそうな、
すごい臭いの香水をつけている、という
ねじれも起こりやすいのは事実。
他人の気持ちを読み取って、
他人のこのむような形にする……
言葉にすればそれはとても簡単なことですが、
他人の気持ちを汲むことが破滅的にへたなわたしには
とてつもなく難しいです。
他人の気持ちのわかる人、かぁ……