なんとなくおじいちゃんを思い出しました。
おじいちゃんと言って思い出すのは、いつかこどものころ、
さっぽろ近郊で、もぐさのような形のコンクリートの山の表面に
タイヤがいっぱい鎖でつながれたような場所。
こどもの目にはとても高く思えて、二・三段くらいしか
登れずに引き返しました。
あれはいったいどこだったのか……。
それから近所のお盆。
わたしたちはよそものでしたが、いっしょに行って、
町内会かなにかでお菓子などをもらった気がします。
それと、いつぞやの帰り。
近くの古本屋さんで、帰りの寝台で読むための
ロマンシングサガの分厚い本を買ったのでした。
あれらがもう完全な過去で、二度と戻らないなんて。
そしてそんな時間と血をついだわたしは
未来になにかをつなぐこともできず、
家系図のひとつのどんづまりで失敗の歴史として消えていくのだとは。
正直わたしは昔から自分の未来について
なんにも想像できませんでしたが、
ほんとになんにもなれないところを見ると
こどものころから案外未来視していたのかもしれません。
これほど生きるのも苦しく、死ぬのもつらいものならば
生まれてくるものではなかったと思います。