特化。
得意なものに全力突っ込むと、生産力が最大化される
というような概念です。
オンラインゲームとかのステータス値をプレイヤーが振ることを考えて、
魔法攻撃力と物理攻撃力、器用さとすばやさなどに
満遍なくポイントを振ったキャラが集まっても
凡庸パーティーにしかなりませんが、
魔法攻撃力特化、物理攻撃力特化など、ステータスを極めて振ったキャラは
パーティーを組むととても強くなります。
この極振り(ごくふり)のことを、経済用語では特化と呼びます。
上記の例でもわかるように、特化はものすごい力を出せますが、
本領を発揮できるのは『パーティーを組んだとき』です。
攻撃力だけの紙耐久キャラは、敵の攻撃を一発二発受けただけで落ちます。
それを防ぐ、防御力特化や回復力特化のキャラがいて、
三人分を一人でまかなうような攻撃を放てるわけです。
今回のコロナ騒動を見ていると、特化というものは
信頼の上に成り立つものなんだなあとしみじみ感じました。
たとえば、マスクなどは中国が特化して作っているような感じですが
それを他国にまわさない、となりました。
すると他国はどうなるか。
中国が特化して作るマスクを流さないなら、
うちの国で特化して作っている他のものも回さない、という
態度を取るわけです。
これは、マスクだけの話に終わりません。
この先、燃料が不足することがあれば、
「お前の国には燃料は渡さない」
食料が不足することがあれば、
「お前の国には食料は渡さない」
全部これが起こるというのが、今回のことで完全に明らかになりました。
日本なんかは食料自給率を下げるために減反だの
食料の関税下げだのなんだのやってきましたが、
信頼のない世界において、特化方向への振り切りはやはり愚策でした。
特化をやめて、自国の体力や応用力を持っておくべきだったのです。
そしてわたしも思うと、ステータスの特化、極振りなんて
すべきではなかったのです。
興味がないことや世界のこと、周りの何かをやる力も能力も
わたしにはまったくありません。
お金稼ぎさえろくにできない始末です。
生まれる前のわたしに言えるなら、せめて運に極振りを、と。