直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
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日本の論文のだめな点

2015年04月08日 | ちょこのひとかけ


学術論文を書くために、似たジャンルの論文をいろいろ読んでみました。
論文にもいろいろな種類や質のよしあしはあるようですが、
わたしが読んだ日本語の論文はどれもひどいものでした。

だいたいが、中身が薄いです。
もしくは、まぜものが多いです。

たとえば序論。
「近年~~が~~して、~~だったり~~だったりしているが、
~~は~~で~~だからどうのこうの」
手紙の書き出しかと思うようなだるさです。

それなら、
「~~には○○などの研究があるが、近年の動向には合わなくなっている。
それは~~という理由だ。本稿ではそのずれについて論じ、
ずれを修正した考え方を述べる」
で済む話です。
なぜごちゃごちゃ意味のないことを書き綴らなくてはいけないのでしょうか。
論文なら、必要なことだけを、過不足なくまとめて書けばいいのにと思います。

でも、わたしも論文を書こうと規定を調べていたら
「原稿用紙50枚程度」というような文を目にしました。
まず間違いなく、これが害悪です。

論文を過不足なくまとめて25枚で完了したとしたら、
その論文は内容100%です。
でも原稿50枚程度というのであれば、42枚程度は書かなくてはいけません。
足りない17ページを埋めるため、意味のない文章を付け加えるとすると……
内容59.5%、蛇足40.5%になります。
それはこんなもの見ても、内容がまったくおもしろくないわけです。


ほかのだめな点は、ものすごく閉鎖的だということです。
大学院などでも論文はいろいろ出ているようですが、
それを参照するのには何か特別なものが必要になるようです。

たしか大学院は文化の進展に貢献するとかなんとかいうのが
目標の根本にあったはずですが、
一般の目に触れない場所に成果をしまいこんでいて、なにが文化の進展でしょうか。

すでに発表された論文なら、誰にでも見られるようにすればいいのに。
そうすれば一般人だって論文を見て、自分の考えと比べて
思考を進めることだってできるはずです。
もしくは、発表された論文を、すぐにほかのものと比べる事だってできるはずです。

そんなことをせずに、ごく狭い場所だけで後生大事に抱えて
ほかの人の目に触れさせることをしないから、
教授クラスの人間でさえも、簡単に論文の盗用や盗作ができてしまうのです。

なんというか、論文を読んでいくたび、周りを見ていくたび、
文化レベルの低さにがっかりします。

国立大学なり国立図書館なりで、論文をデジタル化、データベース化して
広く公開すればいいのにと思います。
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