既存曲をアレンジするために、
曲の譜取りに挑戦してみました。
まずは尺を合わせながら
メインメロディーをとっていきます。
ここらへんは聞きながら弾いていって
それを音符にあてていく作業です。
それでもどうやって割っているのか
わからない音符もあって
一日かかってしまいました。
次。伴奏です。
カセットデッキでひたすら
再生と巻き戻しをしていたころとは違います。
いまはパソコンにデータさえあれば
簡単にリピート再生ができるのです。
いい時代になったものです。
――が。音がとれません。
わたしは決して耳は悪くありませんが、
絶対音感なんてものは、
近いものすら持ち合わせていません。
わたしの耳取りは、伸び続ける音の糸をほぐして
目的の一本をつまんだら
それをひっぱりだしてたぐっていくような感じです。
でも最初のほぐしとつまみあげ自体も
かなり集中していないとできません。
……まあ、文章を書くのも絵を描くのも
それぞれ集中が必要な行為です。
集中状態にもっていくのはとても疲れるので
集中開始までにだらだらと
無駄に時間がすぎていくこともよくあります。
そんな苦難を乗り越えて本日の集中。
精神を研ぎ澄ませて音を捕まえようと
身構えます。
再生→ミス。
再生→ミス。
再生→ミス。
以後何十回と繰り返しますが音がつかめません。
自分の耳がおかしくなったかとぞっとします。
なにがどうなったのかと考えたら、
漫画の一シーンが浮かんできました。
野球のキャッチがいやにうまい少年が、
サッカーでキーパーをやることになったら
普通のシュートはとれるけれど
カーブにはまったく対応できずに
ゴールを奪われてしまうという場面。
そしてもう一つ。
これはテレビですが、いわしなどの小魚が
大きな魚に襲われた時に
集団でかたまりになってぐるぐるまわる場面です。
大きな魚はどれを狙ったらいいかわからず
襲いにいけないのだそうです。
こんなもの、口を開けて突撃すれば
勝手に入ってるんじゃないかと思いましたが
そうではありません。
いま思いついたら、こんな感じです。
ラーメンの食べ終わりになると、
長いラーメンは汁の中からすくえますが、
短いラーメンはすくえない、といったような。
わたしが投げられたボールをキャッチできるのは、
そこに軌跡があるからです。
『あそこから飛んで、今はここまで動いているから
手の届く未来にはそこにあるはず』
そんな処理を頭は半自動で行い、手をのばします。
でも現代の曲は切れたラーメンです。
目の前にいきなりとんでくるボールです。
軌跡も読めないものなんて
わたしにはつかめません。
たとえば一番上のメインメロディーをとり、
次は真ん中をとろうと集中するのに、
耳に入ってくるのは断片の音だけ。
メインメロディーがピアノで、
真ん中がフルートというものではありません。
ただそのとき、ワンフレーズだけを
冷やかすだけに入ってきた楽器の音が流れていきます。
どれを聞いていいのか、
どれをとればいいのかがぐちゃぐちゃにからんでいて、
聞けば聞くほどちんぷんかんぷんです。
さらにそこからリズム楽器が入ってくるのです。
リズムはわかりますが、音符にできません。
どんな符割りになっているのかわからず
楽譜に置けないのです。
加えて、それがなんの音なのかわかりません。
どんな太鼓なのか、それともなんなのか。
聞こうと耳を澄ます頭の中で、
だかだかだかだか どんどんどんどん
鬱陶しい音が響いてきます。
そんなのを聞いていたら
本気でいらだってきました。
きばらしに他の曲でも聞いてみようとすると、
聞く曲聞く曲、太鼓太鼓。
なに流してもリズムリズム。
ずんどこずんどこうんばばんばんば
めらっさめらっさです。
手近なところに何かがあれば
投げつけたいくらいの苛立ちです。
……リズム楽器がそんなに大事ですか。
あまりに不愉快でもう集中もできず、
現代ポップのリズムにもうんざりして、
世の中からピアノ類と管弦楽器以外
なくなってしまえばいいとも思いました。
楽器も楽器です。
なんの主義主張も持たずにふらふらしていて、
言えるところだけ口をはさんであとは黙ってるなんて、
文句だけ一人前な高校生ですか。
現代音楽だけに現代っ子の精神そのものですか。
……断片には辟易です。
人も楽器も正体不明につぶやくのではなく、
きちんと立って、誇り高く謳っていればいいのに。