投稿サイトなどを見ていて、次のページをめくるときに
わたしの想像していた方向と違ってとまどうことがしばしばあります。
そういうとき、混乱しながら わたしがおかしいのか、
それともサイトのほうがおかしいのかと悩みますが、
どうしてそう思ってしまうのかもわからずに流していました。
たとえば文字なしで、
[←] [→]
というボタンがあったとき、どちらが『進む』で、
どちらを『戻る』だと思いますか?
今回はそういうお話です。
まずはちょっと考えてみてください。
さて、考えたなら本文です。
わたしは、右矢印を『進む』だと思っていました。
なぜか。それは、理由なんてないものとも思っていました。
というよりも、考えたことがなかったのです。
わたしの時間は常に、右手側に未来があり、
左手側に過去があるものだと
思うまでもなく思っていたからです。
でも、この前新聞で、日本文化は左側に未来がある、
というような意味の文を見ました。
その文がいやにひっかかって、どうしてだろうと考えるうちに
はっと閃いたのです。
日本文化では左側ということは、ほかの文化では右側ということです。
日本が左で、たとえば西洋は右。そんなものには何があるでしょうか。
といえばもちろん、車の走るべき車線……ではなくて、文章です。
たとえばこんな文を挙げてみましょう。
『そのことは以下に説明します』
以下、というのは時間的にのち、つまり未来をあらわします。
言い換えれば、『そのことは未来で説明します』とも書けます。
これを縦書きの日本語で書いた場合、
未来はその文章から見て必ず左側に存在することになります。
つまり、日本語にとって、未来は左なのです。
一方、横書きの場合は、段落が変われば下になりますが、
同文内であれば未来は右に書かれる事になります。
というところで、お使いのブラウザにショートカットアイコンがあるなら
それをご覧ください。
『←戻る』というアイコンはないでしょうか?
左で戻る、左が過去ということは横書き文化の概念です。
でも、日本のサイトでは左方向で進むサイトなのも
少なからずあるようです。
わたしの意識では右が新しいほう、未来側になっていたので
そこで食い違いが生じてわけがわからないことになっていたのです。
思えば、わたしはずっと横書きで書いてきたので、
たまに縦書きで文章を書くと、バックスペースが
どっちがわに下がるかわからなくて混乱してしまいます。
そのため、縦書きが必要な場合でも、最後の最後まで横書きで仕上げたあと
貼り付けるだけで終了にしています。
もうすっかり頭の中が横書き式に慣れてしまっているのでしょう。
それはさておいて、個人的に日本の書式には昔から疑問を持っていました。
日本ではかなり古くから毛筆文化だったはずなのに、
なぜ縦書きで右から左に書くのでしょうか?
普通に鉛筆で書いていても、右から左に縦書きで書くと手が汚れます。
ペン入れをするときなどは、インクが乾かないうちに
手で擦ったりしないように、左のほうから入れていきます。
筆の持ち方は手が紙につかないようにするはずとは言え、
服にも墨がつきやすいはずで、合理的とは言えません。
それを考えると、本来日本の書き物は毛筆でなかったように思えてきます。
どう考えても、毛筆で右から左に書くのは合理的ではないからです。
書いた文章を読み返すのでさえ、たて読みで右から書いていったら
自分の手に隠れてしまいます。
せめて縦書きで左からなら、行間も目視しながらとれるのに。
そう思うと、日本の書き物文化には仮説も言いたくなります。
・日本の書き物文化は本来筆書きではなかったのを筆に変えた。
・日本人は昔から筆書きだったけれど、左手で書いていた。
・日本の書き物文化は本来左からの縦書きだったけれど右からに変えた。
・日本の書き物文化は筆は使わず、横書きで右から左へ書いていた。
・日本の書き物文化は筆は使わず、横書きで左から右へ書いていた。
まあ、知りたい過去はいろいろありますけれど、
過去の断片だけを知った人が、得意げな顔で
『これが歴史の新事実です』なんて、推測でしかないことを
世界の真実のように言うのは信用なりません。
そんなこんなで話は締めて。
さて、あなたの未来は、右手・左手、どちらにありますか?
左を向いてるキャラは過去に正面を向いてるキャラは停滞右を見てるキャラは未来に~みたいな。
二人で感想がまったく逆になることも考えられますね。
前提となる価値観はつねに異なっているかもしれないと
考えないと思わぬところで失敗しそうです。