直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

動機の発露

2009年08月07日 | ちょこのひとかけ


なにかを『したい』と思うのは
『それ』が自分に近いからだと思います。


たとえば、異性と付き合いたい と思うのは
付き合うという行為が自分に近いから、
そう思えると、思うのです。

たとえば小さいのに一パック5000円もする
アイスを食べたいと思うのは、
そういう行為が自分に近いからこそ
思えるのだと、思うのです。

ちなみにわたしは異性と付き合いたいとも
高すぎるアイスを食べたいとも思いません。
なぜなら、そういう行為は
わたしに遠いから。
いいかえるなら身の丈を越えているから
とでも言えるでしょう。


さて、それはさておいて。
最近、微妙に変な絵が
描きたくなることがあります。
昔は時間があったとしても、
絵を描きたいとは思わなかったのに。
それを思うと、多分絵を描くという行為が
わたしに近しいものになったのでしょう。

歌曲も、はじめて歌曲を考えた時から
どうしても現代ポップが作りたくて
ひたすら自分なりにあがいていたのですが、
音楽をやってきた人から
この前の歌(ロリフェス)で、
充分テクノでポップっぽいと言われました。

これで大願成就! 
もう曲なんて作らなくていいやと
思ったのですが、ふとしたときに
曲を考えている自分に気づきます。

テクノっぽいものは
コードが多少いいかげんでも
『現代っぽい』とかそんな単語で
ごまかせるので結構楽ですが、
積極的に作りたいかというと
まったくそんなことはありません。
わたしが現代ポップを好きなのかといえば
たいして好きでもないでしょう。

じゃあ、なにを作れば?
そう考えてることもちょっと
おもしろかったのですが、
そのまま考えていたら思い至りました。

わたしは、作るとしたら、
いつか自分のこどもに歌って聞かせたり、
いっしょに歌ったりできる歌がいいです。

そんなこんなで思い返せば、
わたしの歌は『みんなの歌っぽい』なんて
評価がいつも入っていました。
現代ポップだけを目指していたときは
「現代じゃなくて古い」という
意味に感じてただ落ち込んでいましたけど。
今の目で振り返ると、それはまさに
わたしの方向性どおりだったわけです。

『できるもの』と『したいもの』の
ベクトルがいっしょだと、
ちょっと楽しいです。

そして――書きもの。
最近アニメや漫画を見るようになった友達と、
最近のアニメや漫画について話したら、
やっぱりなにがおもしろいのか
わからないものが結構あるというのです。

たとえるなら、別に造形的にも
行動的にもかわいくない他人のこどもの
幼稚園での運動会ビデオのようなものです。

そんなのを見せられても、
ただ疲れるだけだし、「だからなに?」で
終わってしまいます。

でもわたしたちにとってはそういうものが、
世間では嫌に人気があったりします。
……まあ、わたしたちも
おもしろいのが見たいから、
世間で人気のあるものを見てみた、という
事情もありますが。

そこですこしむかむかして、
叩きつけるように思ったのです。
「ただ人がむごたらしく
死んでいけば満足なわけ?」

最近の話の中で、わたしが嫌いなものの
上位三位くらいに入るのが『惨殺モノ』。

手を変え品を変え、場所を変え見た目を変え、
でもやることはただ人を殺すだけ。
そんなものの何がおもしろいのかわかりませんが、
そんな状況に必然性がある設定って
どんなものでしょうか。
別に本当は人なんて殺さなくてもいいのに、
人を殺してしまわなければいけないような状況。

そんなことを考えていたら、
なんとなくプロットだけを思いつきました。
思いついたら、書きたくなってきました。
そんなの書きたくないのに、
書きたくてしかたありません。

これはわたしにとって
長編モノが身近になったということなのか、
それとも惨殺モノが身近になったということ
なのかわかりません。

でも、『やりたいもの』の
ベクトルがちがうものをやるというのは……
とても、微妙な気分です。

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