学会、といえば、
「学会の連中に復讐してやる……!」
とか、
「早く論文にまとめて学会で発表しなくちゃ」
とか、そんな風に漫画などで語られる、よくわからない組織です。
だいたいが科学がらみの話なので、
なにかこう、いわゆる「有識者会議」みたいなものかと
ぼんやり思っていましたが、最近いろいろ調べたことで
ようやく意味がわかってきました。
まず、学会とは、「愛好会」のちょっとすごいバージョンです。
たとえば全国の肉まん好きを集めたら、「肉まん愛好会」のできあがりです。
その愛好会が何ランクか上になったものが、「肉まん学会」です。
肉まん学会のメンバーは、基本的には料理人(学者や教授)です。
この学会の主たるメンバーは、常にレシピ(論文)を投稿しつづけなくてはいけません。
レシピは、自分が作ったあたらしいもの、
もしくは既存のレシピを大胆に改造したもの、などです。
なぜレシピを投稿しなければならないかというと、
提出して認められたレシピの本数により、
学会内、もしくは肉まん業界内での知名度や人間ランクがあがり、
お金が稼げるようになるからです。
ものすごく簡単に、そして下品に言ってしまえば、
学者が論文を書くのは、お金が欲しいからです。
(研究費が欲しいにせよ給料が欲しいにせよ、
地位が欲しいにせよ、仕事が欲しいにせよ、お金のためです)
そして学会とは、論文を発表できる認定機関のようなものです。
たいてい、学会で論文を発表できる雑誌を出しています。
すこし違いますが、有名な科学論文誌のNature(ネイチャー)も
科学学会が出している論文雑誌のようなものと考えるとわかりやすいです。
でも、学会には問題が生じます。
無色透明でない判断、色眼鏡の判断です。
学者は論文雑誌に自分の論文を載せたいと思いますが、
その論文を論文雑誌に載せるかどうかは、人が判断します。
そこに、すくなからず恣意が入るのです。
たとえば先ほどの肉まん学会で考えましょう。
肉まん学会には、ものすごく有名な肉まん料理人がいます。
この人は世界的な肉まんの権威です。
この人が新しいレシピを書けば、
それはものすごいこととして雑誌に載ります。
この大御所のレシピを不掲載にしようとする人間はいません。
なぜなら、それがばれたら表から裏から手を回されて、
料理人としてやっていけなくなるからです。
一方で、新人が新しいレシピを発表しようとします。
でも、場合によっては簡単に拒まれます。
大御所の息のかかった料理人たちは、
自分の流派ではないので、その肉まんを「肉まんではない」として
簡単にこばめてしまうのです。
それを発表して多くの人が読めば、
多くの人が肉まんだと認めるようなものでも、
学会内で力のある人が「肉まんではない」と言ってしまえば、
世に出る前にすべてつぶされてしまいます。
これが、『MASTERキートン』や『MASTERキートン Reマスター』で、
キートンや周囲の人が陥っている状況です。
キートンは洋風味付けの具の肉まんを発表しようとしていますが、
肉まん学会の権力者は、中華風味付けの具以外は肉まんと認めない派なので、
決してキートンのレシピを雑誌に載せることもしないし、
お前のレシピは絶対に載せないと暗に言っています。
ほかの漫画や映画でも、「学会の連中に復讐してやる」と言う状況の元は
だいたいそんなものです。
学会では学会誌を印刷発行するためにお金が必要になります。
そのお金は学会員(参加者)から集めます。
よって、学会員が多ければ多いほど学会は潤います。
……が。その学会にけちをつける、
あるいは学会の有力者に、会合などで文句をつける、
などする人がいるとじゃまなので、
会員登録を抹消したり、会員登録の更新をしなかったりする――
それが、学会追放です。
ニッチな分野では論文を発表できる学会なんてそうないので、
メインの学会から追放されたら論文が発表できず、
学者の地位も、お金の入手経路もつぶされてしまうということになります。
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学術論文は、常に世にない新しいものを書かなくてはいけないことになっていますが、
本当に新しいものは常識はずれだとして、
学会の権威から切り捨てられることもあります。
学会のありかたは本当にそれでいいのか、
論文の査読は本当に正しく機能しているのか、
ありかたは本当にそれでいいのか、
漫画を読みながらもしみじみと考えてしまいました。