直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
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ジェネレーションギャップ 追加

2009年04月29日 | ちょこのひとかけ


草案の時には思っていたのですが、
書いてる最中に忘れたことを、
まとめて混ぜて追記。
本体は前日のをお読みください。


さて。
ジェネレーションギャップ――
ここでは世代間齟齬とでも訳しておきますが、
それを象徴する言葉は『なぜ?』
だということには思い至りました。

でも寝る前にもうすこし考えていたら、
それは前の世代から後の世代への
問いかけだけではないということが
わかったのです。

そこへ行く前に、『なぜ』の話。
なぜとはなにを訊ねているかといえば、
理由、もしくは意味でしょう。

「なぜ殺すのか」という問いは、
「殺す理由を聞かせて」、または
「殺す意味はなに?」と
置き換えて差し支えないはずです。

つまり、世代間齟齬の解釈に重要な単語は、
『なぜ?』ならびに『意味』なのです。


たとえばわたしたちが、
下の世代がやることがわからず、
「なぜ?」と問う時、
それはわたしたちの世代で持っている意味が、
下の世代にはなくなっているということが
考えられます。

たとえば、これは語弊のある例ですが、
わたしたちが人を殺すには、
相当の理由がいりますし、
殺すことに意味があります。
大事な人を殺されたから、
ひどいことをされたから、
自分の未来がどうなったとしても、
それを殺さなければ進むことすらできないから。

でも、下の世代は
人を殺すことには理由も意味もありません。
なんとなくむかついたから、
自分の腹が立ってたから。
それだけで、見も知らぬ他人を殺すことに
直結できてしまうのです。

そんなことを考えたら、
同じようなことを昔どこかで聞いたような気がしました。

それは、正法・像法・末法という考え方です。

これは仏法の考え方ですが、
仏の入滅後、人は最初、
正しく意識を持ち、正しく祈り、正しくその得を得ていますが、
次に意識は欠け、仏自体を敬うのではなく、
像だけに祈るようになります。
そして最後は形式さえも適当になっていくというようなものです。

もっと簡単に言えば、『いただきます』がわかりやすいです。
ずっと昔、人がたべるためだけに生活していたような時代、
たべものはとても貴重でしたし、とても重要でした。
肉を食べるとなれば、山に入り、獣をつかまえ、
その獣に刃を入れ、殺し、皮をはぎ、
血まみれになりながら肉を切り、そして加工して食べていました。

農作物を食べるにしても、
土を耕し、天候に邪魔され、水害や旱魃に悩まされ、
毎日世話をし、そうしてようやく収穫でき、口に入るわけです。

食べることは命を奪うこと、
手間そのものを口に入れることと同義でした。
だからこそ、かけてくれた手間、
自分のために命を失ったものに対して、
そのすべてを「いただきます」と言ったのです。
かつてのその言葉には、心からの感謝と
それで自分の命もつなげられるという喜びがありました。

でも、今はどうでしょう。
「いただきます」と口にする人が、
そんな時代と同じ意味を持って、言っているでしょうか。
たとえば空腹のまま六日間閉じ込められ、
七日目に迷い込んできたうさぎを自分の手で殺し、
食べようとして「いただきます」と口にするとして、
そのときと同じような気持ちで言っているでしょうか。

こんなとき、「いただきます」を
本当の気持ちで言っているのが正法の世。
食べる時の挨拶だからといって
習慣で口にするのが像法の世。
何も言わなくても食べられるんだから
そのまま食べればいいじゃないというのが
末法の世と考えるとわかりやすいでしょう。

そんな考え方でもわかるように、
すでにずっと昔から、
世代を経るごとに『意味』が
喪失されていくものだとは言われていたのでした。

――というところまでが、本来昨日書こうとしていたもの。


でも。
と寝る前にふと思ったのです。

上の世代がただ受け継いできたことに、
下の世代で『なぜ』を持てることがあるんじゃない? と。

たとえば、
男には男の社会的役割があるといいます。
女性には女性の社会的役割があるといいます。
……でも、それは、なぜ?

同じ仕事ができても、女性だと軽んじられて、
男性がいるだけで納得される、
そんなこともしばしばです。
結婚も男性と女性だけができて、
男性同士、女性同士ではできません。
でも、それはなぜなのでしょう?

わたしは一般的に言えば、同性婚には賛成です。
でもそんなわたしを見ると、
昔の世代の人はきっと言うのでしょう。
「結婚なんて男と女ですればいいのに、『なぜ』?」と。

べつに、わたしが結婚の意味を消失したわけではありません。
結婚なんてだれにでもできるはずだから、
やってみればいいというのでは決してありません。
別の『なぜ』を、別の『意味』をそこに見出すからです。

性の話はわたしの大学でのちょっとした研究だったのですが、
人の性には六つの形があります。ここでは省略しますけど。
でも昔の人はもっと単純化していて、
男は男、女性は女性でしかありませんでした。

ではここに、普通に結婚している
一組の夫婦がいるとしましょう。
この夫婦、結婚前も後も長いこと
性交渉を持ち続けているのですが妊娠せず、
不妊治療に行くのです。
そこで遺伝子診断を受けて、言われます。
「奥さんは遺伝学上、男性です」

さあこの瞬間、ゲイカップルの誕生です。
もしくはだんなさんが、
遺伝学上女性だと言われるのでも構いません。
その瞬間、レズカップルの誕生でしょうか?

男女だけが結婚できると考えている人は、
こういう場合はどうするのでしょうか。

性染色体で性が決まると考えるなら、
これはそれぞれ結婚できなくなります。
もし性染色体がXXYなら、男性とも女性ともつかず、
結婚すらできなくなります。

性器で性がきまると考えるなら、
性器さえ変えたらだれとでも結婚できることになりますが、
付き合い初めに性器を確認する人もいないでしょう。

そもそも今の戸籍上の性なんて、
生まれた直後に医者が男だ女だと言った、
そんな簡単な一言ですべてが決まっているだけです。
もちろん医者は、生まれたばかりの赤ちゃんの
性染色体なんか調べていません。
ただ見た目だけで判断しています。

一般の人は確固とした男性女性ばかりが
存在すると信じて疑いませんが、
実のところ白黒両端の間にいる、
灰色の集団はそうすくなくないのです。
わたしは実のところ、同性婚に賛成なのではなく、
性差別婚に反対という立場です。
だって、性ははっきりと定義できないのに、
定義できないものを前提に用いて定義する、なんて
愚の骨頂にしか思えませんから。


――と、話はすこしずれましたが、
わたしがこのように前の世代とは違う考え方を持つのは、
『前の世代とは違う考え方を持てる土壌の上にいるから』
に他なりません。
前の時代にはなかったものが存在するから、
あたらしい考え方が生まれるのでしょう。

「いただきます」にしても、
野生動物のようにただ食べることを中心にすえて
生活をするような時代では、今はありません。
なにがしかのお金を払えば、
畑や海、川のそばにいなくても、
直接生き物の命を奪わなくても
食事ができる生活になっているのです。

そう思うと、
わけがわからなく見える下の世代も、
実は上の世代から作られてきた土壌によって、
発生したと考えられます。

結核菌で言えば、原種と
動物に感染していいかげんに治療されたことで
ある薬物に耐性を持った新種との関係でしょうか。
元は同じでも、もはや治療法がことなる、
別種のものとしたほうがわかりやすいです。

というよりも。むしろ同じと考えてはいけないのです。
なまじっか、同じものだと考えて
同じ薬品が効くだろうと考えるところに
ジェネレーションギャップはできるのだと思います。

「原種結核菌にはヒーリングαが効くのは常識なのに、
 新種結核菌にはヒーリングαが効かない。なぜだ!」
これがジェネレーションギャップでしょうか。
考えてみれば、それもそのはず。
薬剤耐性をもって生まれてきたのが新種なのですから、
旧世代の常識なんて通用しないのです。

……と、ここらへんは書きながら発展した考えですが、
とうとうジェネレーションギャップの正体に
たどり着きました。

『下の世代は上の世代より常識がない』のではありません。
人間を病原菌と考えて、
『下の世代は上の世代よりも、毒耐性を増している』のです。

上の世代が下の世代に言います。
「自分たちは薬剤Aで死滅するという良識があるのに、
君たちにはそれがない。常識がない」
それはつまり、下の世代は
ずぶとい、しぶとく生きるという意味です。

未来の世界は、今の世界よりも
社会や人など、殺伐として毒々しくなっていくのでしょう。
だからそれに対応するために、続く世代はどんどんと
疫学でいうところの感受性を下げ、
さらに自らの毒性を強めているのだと思えます。

でも、その毒が社会に蔓延することによって、
次の世代はその毒に対する耐性があるもの
(=その毒に対する感受性が低いもの)が生まれていく
という悪循環が、いまの世の中に見えてきました。


つまり、人を病原菌と見て、
自分たちの悪性度は低いと思っている前世代の菌が、
次世代の菌に対し、
「自分たちに効いた薬(=良識・常識)への感受性が低く、
耐性も備えて、より悪性の菌になった」
と嘆くのがジェネレーションギャップの正体なのです。

……そう考えると、ジェネレーションギャップの発生も、
その継続も、自然の摂理そのままですね。
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