邪馬台国がどこにあったのかは長年のなぞ――
などと言われたりしますが、実のところ、そんなことはありません。
伝わるところにはずっと伝わり続け、
書かれているものにはずっと書かれつづけているからです。
邪馬台国はどこにあったのかわからない、という人は、
古文の伝統的な読み方をきちんと学んでこなかった上に、
総合的な視点を持って物事を考えられないのでしょう。
どこにあったか、くらいは
いろいろなものを手がかりとして簡単にわかります。
まず、ひとつめは。
古い神道です。
現代の、明治に魔改造された明治神道・現代神道では
なんにも説明していないかもしれませんが、
いわゆる『卑弥呼』は現代にも残る神様になっていると
古い神道では述べられています。
神様の名前には意味があり、
神様の伝説には本拠地が述べられますから、
卑弥呼がどこの人で、邪馬臺国はどこにあったのかは、
現代の神道でなく、古い神道さえ知っていれば、
古い神道にかかわる神社などの文書を読めば、
簡単に説明できます。
もちろん、卑弥呼はアマテラスなどではありません。
卑弥呼がアマテラスだ、などと言うのは
神道関係者でもなければ、神道研究者でもない、
神道のことなどまったく知らない、無関係の人間でしょう。
次に、ふたつめは。
いわゆる魏志倭人伝の名前です。
いわゆる卑弥呼に邪馬台国。
これは、どう読むかわかりますか?
いま、わからなくてもいいのです。
考えれば、わかります。
卑弥呼と邪馬台国、加えて卑弥弓呼という名前は、
それが存在した地域によって読み方が変わるはずですが――
それすら、知らない人がいるのです。
卑弥呼と邪馬台国、加えて卑弥弓呼という名前は、
ある地域にあったと考えた時にのみ、
すべての発音が有機的な意味をもち、
歴史にもつながってきます。
たとえば、現在有名な九州説と畿内説で考えましょう。
現在では、
卑弥呼はひみこ
卑弥弓呼は……ひみなんとか。
邪馬臺はやまたい
と読むことになっているようです。
では、この根拠も何もない読みは、
畿内で成り立つでしょうか?
畿内では、
卑弥呼はひみこ
邪馬臺はやまたい
と読めるでしょうか。
そして、そう読むことに意味はあるでしょうか。
一方で、
九州では、
卑弥呼はひみこ
邪馬臺はやまたい
と読めるでしょうか。
そして、そう読むことに意味はあるでしょうか。
……すくなくとも、どちらか一方には、
そう発音できない、してはいけない言葉が混じっていますよね?
ならば、読みが間違っているのです。
正しい読みをすれば、場所はわかります。
これがわからないのならば、それは古語の知識が不足しています。
卑弥呼を ひみこ
邪馬臺を やまたい
と読む人は、古語の知識にかけ、
古い時代のこの国の常識を知っていません。
知識不足です。
それに、三つめは。
卑弥弓呼との関係です。
卑弥呼と卑弥弓呼。
名前のよく似た二人は、どういう関係なのでしょうか。
なぜ、卑弥弓呼は卑弥呼を憎んだのでしょう。
卑弥弓呼が卑弥呼を襲ったとするのであれば、
卑弥弓呼はどこの人だったのでしょう。
畿内説なら、
卑弥弓呼はどこにいて、どう襲い、
卑弥呼はどう守ったと考えられるでしょうか。
九州説なら、
卑弥弓呼はどこにいて、どう襲い、
卑弥呼はどう守ったと考えられるでしょうか。
こういったことを総合的に考えるだけでも、
卑弥呼がどこの人で、
邪馬臺国はどこにあったかなんて
だいたいの位置はわかるはずです。
それすらできない、そもそも古文すらまともに読めない研究者の
なんと多いことか……。
とりあえずは、
卑弥呼を『ひみこ』
邪馬臺を『やまたい』
と読むのをまずやめろ、と言いたいです。
古い時代では、その文字にそんな発音はしません。
古文の文字を、近現代の日本語発音で読む、とかいう
とちくるったことをして、そのとち狂った概念で
古いものごとを考えようとするから、
考えのピントがずれて焦点が合わないのです。
卑弥呼が日本のこの神様になった、と言いたいなら
神社なり神道文書なりを、きっちり研究してから述べてください。
研究するだけで正体も本名も本拠地も明らかになります。
いわゆる魏志倭人伝のほうの記述から明らかにしたい、と思うなら、
地名にこじつけるギャグばっかりするのではなく、
卑弥呼はだれで、どこを拠点として、どう攻めて、どう守ったか、
実際の地形で考えてみてください。
偏った狭い部分だけ見て考えたってなにもわかりません。
広く、おおきく、総合的に見るものです。
などと言われたりしますが、実のところ、そんなことはありません。
伝わるところにはずっと伝わり続け、
書かれているものにはずっと書かれつづけているからです。
邪馬台国はどこにあったのかわからない、という人は、
古文の伝統的な読み方をきちんと学んでこなかった上に、
総合的な視点を持って物事を考えられないのでしょう。
どこにあったか、くらいは
いろいろなものを手がかりとして簡単にわかります。
まず、ひとつめは。
古い神道です。
現代の、明治に魔改造された明治神道・現代神道では
なんにも説明していないかもしれませんが、
いわゆる『卑弥呼』は現代にも残る神様になっていると
古い神道では述べられています。
神様の名前には意味があり、
神様の伝説には本拠地が述べられますから、
卑弥呼がどこの人で、邪馬臺国はどこにあったのかは、
現代の神道でなく、古い神道さえ知っていれば、
古い神道にかかわる神社などの文書を読めば、
簡単に説明できます。
もちろん、卑弥呼はアマテラスなどではありません。
卑弥呼がアマテラスだ、などと言うのは
神道関係者でもなければ、神道研究者でもない、
神道のことなどまったく知らない、無関係の人間でしょう。
次に、ふたつめは。
いわゆる魏志倭人伝の名前です。
いわゆる卑弥呼に邪馬台国。
これは、どう読むかわかりますか?
いま、わからなくてもいいのです。
考えれば、わかります。
卑弥呼と邪馬台国、加えて卑弥弓呼という名前は、
それが存在した地域によって読み方が変わるはずですが――
それすら、知らない人がいるのです。
卑弥呼と邪馬台国、加えて卑弥弓呼という名前は、
ある地域にあったと考えた時にのみ、
すべての発音が有機的な意味をもち、
歴史にもつながってきます。
たとえば、現在有名な九州説と畿内説で考えましょう。
現在では、
卑弥呼はひみこ
卑弥弓呼は……ひみなんとか。
邪馬臺はやまたい
と読むことになっているようです。
では、この根拠も何もない読みは、
畿内で成り立つでしょうか?
畿内では、
卑弥呼はひみこ
邪馬臺はやまたい
と読めるでしょうか。
そして、そう読むことに意味はあるでしょうか。
一方で、
九州では、
卑弥呼はひみこ
邪馬臺はやまたい
と読めるでしょうか。
そして、そう読むことに意味はあるでしょうか。
……すくなくとも、どちらか一方には、
そう発音できない、してはいけない言葉が混じっていますよね?
ならば、読みが間違っているのです。
正しい読みをすれば、場所はわかります。
これがわからないのならば、それは古語の知識が不足しています。
卑弥呼を ひみこ
邪馬臺を やまたい
と読む人は、古語の知識にかけ、
古い時代のこの国の常識を知っていません。
知識不足です。
それに、三つめは。
卑弥弓呼との関係です。
卑弥呼と卑弥弓呼。
名前のよく似た二人は、どういう関係なのでしょうか。
なぜ、卑弥弓呼は卑弥呼を憎んだのでしょう。
卑弥弓呼が卑弥呼を襲ったとするのであれば、
卑弥弓呼はどこの人だったのでしょう。
畿内説なら、
卑弥弓呼はどこにいて、どう襲い、
卑弥呼はどう守ったと考えられるでしょうか。
九州説なら、
卑弥弓呼はどこにいて、どう襲い、
卑弥呼はどう守ったと考えられるでしょうか。
こういったことを総合的に考えるだけでも、
卑弥呼がどこの人で、
邪馬臺国はどこにあったかなんて
だいたいの位置はわかるはずです。
それすらできない、そもそも古文すらまともに読めない研究者の
なんと多いことか……。
とりあえずは、
卑弥呼を『ひみこ』
邪馬臺を『やまたい』
と読むのをまずやめろ、と言いたいです。
古い時代では、その文字にそんな発音はしません。
古文の文字を、近現代の日本語発音で読む、とかいう
とちくるったことをして、そのとち狂った概念で
古いものごとを考えようとするから、
考えのピントがずれて焦点が合わないのです。
卑弥呼が日本のこの神様になった、と言いたいなら
神社なり神道文書なりを、きっちり研究してから述べてください。
研究するだけで正体も本名も本拠地も明らかになります。
いわゆる魏志倭人伝のほうの記述から明らかにしたい、と思うなら、
地名にこじつけるギャグばっかりするのではなく、
卑弥呼はだれで、どこを拠点として、どう攻めて、どう守ったか、
実際の地形で考えてみてください。
偏った狭い部分だけ見て考えたってなにもわかりません。
広く、おおきく、総合的に見るものです。