最近箱根の山に噴火の兆候があるとかで、
人の足が遠のいているそうです。
それで困るのが観光業や店屋。
どうにかして人を来させようとしているのか、
テレビもあからさまにステルスマーケティング手法などを使いはじめました。
たとえば、何か新しいものが出た、としてとりあげるのは箱根がらみ。
こんな観光名所が、として取り上げるのは箱根付近。
こんなお店が、として取り上げるのも箱根付近。
わざとらしいほど箱根押しで、目に入るととてもいらっとします。
町に観光客が来なくなると、困るのは町と店関係者だけです。
わが町立川でも夏に昭和公園で花火大会をやりますが、
それで潤うのは店屋ばかり。
一般市民のわたしたちには何の得もありません。
それどころがその日は駅が使えなくなり、損しかないくらいです。
箱根に来てね! なんていうのは客商売の人間だけで、
危険性がないと言っているのも客商売の人間だけです。
でも、自分が金儲けの対象になるほうは思うわけです、
「本当に危険性がないの?」と。
むしろ、「万一危険があったらどうなるの?」と。
客商売をやっているほうは、他人の命なんて金と同レベルなので
「四の五の言わずに来て金落とせ。
さもなきゃおれらが干上がる!」
という気分でいいでしょうが、
客のほうは死んで失うものはお金ではなく自分の命や人生です。
万が一にでもそれを失うことを考えたら、簡単に行けるものではないでしょう。
つまり、客商売で金が欲しい人と
商売の対象になる旅行者とでは、賭けているものが違います。
旅行者は自分の命を賭けているのに対し、
客商売者は金しか賭けていません。
なのに、金しか賭けていない人間が、
「危険地域に危険はないから来てね」というのは
あまりに不釣合いだと思わざるを得ません。
箱根の山が噴火もせず安全で、だれも命を失う危険はないと確信できるのであれば、
そう確信できて箱根付近に来て欲しいと思う人が、
実名を出してそう述べるべきだと思います。
そして万が一、安全だといっていたのに爆発でもして人が死んだなら、
名前を出した人は命の代償として、速やかに自分で命を絶って
同じく死ぬべきだと思います。
それくらいでもしなければ、言葉の重さ、他人の命のおもさにつりあいません。
他人に命をかけさせておいて、自分の命をかけないというのであれば、
軽々しく来いなんて言わずに黙っていて欲しいです。
無責任に言葉だけ出すのは簡単です。
でもわたしが欲しいのは、その言葉が裏切られたとき、
何を差し出すか、というところです。
政治屋も簡単に約束や公約を口にして、それを投げ捨てます。
それはとても簡単なことです。
でも問題はそこではなく、公約が果たせなかったらどうするか、です。
自分が出した約束も守れないなら、二度と政治屋をやらないなり、
自分で命を絶つなり、それ相応の罰を受けるべきです。
その自罰を、覚悟の重さとして約束と一緒に他人に提示すべきです。
今の世の中、言葉がやけに軽すぎます。
言霊無視にはうんざりです。