直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

生きる世界

2020年07月01日 | ちょこのひとかけ
最近いろいろ覚悟する毎日を送っていたら
だんだん覚悟が染みてきました。

自分の人生のやることのなさ、人生の意味のなさが
とても退屈でつまらなく思います。
こんなつまらなさはもういいかなとしみじみ感じます。

世の中には、死んだほうがマシだと思いながらも
どうにか生きている、というようなことを言う人がいますが
それは違うと思います。
いっそ死にたいと思うけれど、
その状態でも生きるほうがマシだと思うから生きている
ということに思えるからです。

死んだほうがマシなら、死んじゃえばいいだけじゃないかと
最近はさっぱり考えられるようになってきました。

あらためて考えると、
どんなひどい目にあっても、生きるほうがマシ、
生きたいと思える人はすごいです。
その執着、生の渇望はどこから来るのでしょうか。
この世になにか大事なものをもっていると、
生きる希望や、生への愛着みたいなものがわくのでしょうか。
あるいは、それも愛と似たような感覚なのでしょうか。

この世界は、それほど生きたいような世界でしょうか?
何かしら成し遂げた人、あるいは成し遂げたいものがある人は
生きたく思えるのかもしれません。
でも全部失敗したし、全部あきらめたあとだと、
いやなことばかり目について、まったく執着したくなりません。
最近は執着がどんどんと薄れていくのを感じます。

思えばわたしは一人ではいたくない人間だったようです。
昔一人で観光地に行っても、まったく何もおもしろくないことに気づきました。
あれは誰かと一緒に見て、感想を言い合ったりするから楽しいのです。
一人で何か食べていても、別段おいしくはありません。
だから、毎食食べられる程度のものを口にするだけで充分なのです。
人生も、一人でいたってなにもおもしろくはありません。
終わりのわかっている、終わり間際の誰もいないネットゲームに
ただログインするようなものです。

ネットゲームをやっていたころは、レベルがカウントストップしても
まだ続きがあるからと、毎日のノルマをこなしていました。
でも、サービス終了と出てからは、そのノルマすらできなくなりました。
未来のあるなし、期待のあるなしは行動に大きく影響する気がします。

誰もいない人生なんて、わたしには死んだほうがマシです。
だから、マシが近づいてきたら、ためらいなくいこうと思います。
問題は、絶対に失敗しない手段と、残った体の処理です。

ゲームみたいに、死んだ後は体が光の粒になって消えていくなら
片付け楽なんでしょうけどねえ。
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