直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

タイプAの根っこ

2008年07月15日 | ちょこのひとかけ


時系列としては前回の続きです。

いちいちゆらぐ自分がどうにかならないかと
思ったところ、ふと思いついて、
タイプAについてまた調べてみました。
するとそこに、タイプA特性として、
『他人から与えられる名誉や評価、地位を求める』
といった記述がありました。

……ああ。
やっぱりわたしがなにかをすることで
求めているのは『名誉』、なのでしょう。
正直、名誉がすごく欲しいです。

もしかしたら、それだけなのかもしれません。


わたしは、もし他人にいろいろ持っていると
思われていたとしても、自分自身では
『何一つ確かなものを持っていない』と思っています。
謙遜でも冗談でもなく、そう思うのです。
かつて、「そう思えないほど謙遜や卑下をする」と
いったようなことを言われたことがありますが、
いま改めて思うとそのせいなのでしょう。

わたしがいろんなことに必死なのは、
なにかをすることでからっぽな自分の中身を
埋めようとしているからかもしれません。
でも、自分でどれだけやったとしても、
わたしは自分の中身を自分で満たすことはできないのです。

……なんだか、ようやくわかってきました。

わたしは基本的に、昔から誉められることは
ありませんでした。
きょうだいと比べても、能力としてはできそこないです。
わたしができることなんて、もっとうまくできる人間が
必ず回りにいました。
わたしの思うでもなく思っていた目標は、
それよりも能力を上回らせること。

自分が誉められることはあっても、
自分よりうまい人がいるという状態では、
それをすなおに喜ぶことはできません。
たぶん、『誉められる価値がない』と
自分で思っているからでしょう。

……もしかすると、わたしの欠損の根はそこでしょうか。

わたしよりも能力の高い人がいることは、
それを見るわたしの能力を相対的に低めます。
能力のある人に価値があるとしたら、
そこから下がるわたしは自分に価値を見出せません。
確固とした自分がなく、すかすかなので、
だれか他人から誉められるという『水』をもらっても、
わたしの土壌を潤すことはなく、
すかすかの地面へ流れさってしまい、乾いたままです。

わたしは誉められるのがとてもへただし、苦手です。
わたしより何かがうまい人をわたし自身が知っているので
その人たちでなく、わたしが誉められることが
分不相応だと思うからです。


自分に価値がないと思うから、
自分を大切にできないし、自分を愛せません。
自分が愛せないから、
他人から愛される価値がないと思います。
もし愛されたとしても、わたしはそれに納得できません。
愛されて与えられたものも、すかすかのわたしには
受け止めることができないからです。
自分自身が『ない』ので、愛されているものも
向けられた気持ちも、映画を見るような
どこか現実味のない、位相のずれたものとして
わたしの目にはうつります。

だから基本的に、自分に向けられる憎悪や嫌悪以外の
好意系の感情には気づけないし、
自分が持っているらしい感情や情動にも気づけず、
はたから見ると感情が乏しいように
見えてしまうのかもしれません。

もしわたしのそばに、わたしがなにをできなくても
ただわたしだから愛してくれるひとがいたら、
わたしも違っていた――

かもしれないと思って、思い出したら
中一までは近所に住んでいたひとが
わたしをよくかわいがってくれました。
家に遊びに行くと、にこにこと笑顔で
わたしだけを見て、わたしをとても大切に
してくれたものでした。

でも中一の半ばで引っ越してしまいました。
そういえば中一まではクラスの全員の名前は
覚えていたし、記憶もあります。
人の名前と顔が覚えられなくなったのは中二から。
高校時代は記憶のほとんどを失っています。
もしかしたらわたしがおかしくなりはじめたのは、
わたしを支えてくれた人がいなくなったときから、
だったのかもしれません。

それ以来、家でも学校でも自分の価値を出すのは
結果でしかありませんでした。
でも自分よりできる人なんていくらでもいます。
その中でわたしは自分の価値を
失いつづけたのでしょう。

そして今。
わたしはすべての価値を失いました。
職も失い、社会的な価値も見出せません。
自分になにもないと思っているので、
会社に応募して断られるのは、
さらに自分の価値を下げることです。
それがどれだけ苦痛かわかるでしょうか。

たとえば突然理不尽に監獄に閉じ込められ、
何一つ周りには無く、看守は通り過ぎるたびに
「おまえには価値が無い」
といいながらつばを吐いていきます。
それがどれだけ絶望的で、
時には死にたくなる気持ちもわかるでしょうか。

たとえ他人にはわからなくても、
それがわたしのいる現実で、
わたしの見る世界です。
そこから抜け出したくて手を伸ばすけれど、
蹴られはじかれる毎日なのです。


もしかしたら――タイプAの人は、
わたしと同じ根っこを持っているのかもしれません。
自分に価値がないと思うから、
せめて自分に価値をつける行為をしていなければ、
生きていけないのです。
でも求める価値は、『だれか』からのものでなく、
『だれからも』認められるもの。
多分、求めても手に入らないものです。

そう思うと、わたしが日本でショートショート最多で
十位には入りたいと思ってがんばっているのも、
ただ認められたいからだけに思えます。
わたしよりちゃんとしたおもしろい文を書く人なんて
いくらでもいます。
わたしはその中には入れません。
できるとすれば、質でなく数だけ。
だから、やるしかなくてわたしはやっているのでしょう。


足るを知らない人は不幸です。
走り出してもゴールがわからないので
止まることができません。
走ってきた自分を認めることができないので
走り続けるしかないのです。――たぶん、死ぬまで。


わたしは、いつか足を止めることができるのでしょうか。
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4 コメント

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これまた深いお話ですね・・ (にょほ)
2008-07-15 11:10:05
あまねさん、タイプAという枠は気にしないでね、
日本人だけですよ、血液型で性格を縛る人種^^;

名誉ですか。。。私は要りませんw結果としてそうなっても、謙遜しちゃいます。名誉を手に入れても、虚しいとか思っちゃうのは自分だけでしょうか?

例えば、駆け出しの頃一生懸命やってた自分が楽しいと思ってやっていたのに、有名になったら、なったで自分に無理したりするので、結果、いったい自分は何をやっていたんだろう。。あの頃は楽しかった。。と成りかねません。(あ、文章力ない^^;すみませんん)

心の中の乾き、ですか。どうしたら満水になるのかな・・。あまねさんの心

自分も、有名Pさんとか比較されたらそれはもう凹みますよww
でも、最近は自分は自分と割り切れる様になりました。
だってそれ以上の能力は今は出せませんもの!^^;
でもいいんです、もしこの趣味が5年、10年続いてたら。。きっと凄い曲が出来るかもしれません。
そう、前向きに、ねvあまねさん。

あまねさんに価値が無いなんて簡単に言わないで下さい;;
うーん、少なくとも自分はあまねさんの作品凄いなって思いますよ、文章力も長けてます、なかなか人にはマネできないと思いますよ、自分の文章なんて、こんなまとまりが無い有り様でございます^^;;;

いろんな感情あるかと思いますが、自分が楽しいなって感じたら・・それだけでいいとか思うのですが。

ゴールはそこなのです。
返信する
Unknown (あまね)
2008-07-16 01:51:52
わたしは心理検査のテスターをできる程度には
心理学を学んでいるので血液型に興味はありません。
タイプAは心理学用語です。
泳ぎ続けないと死ぬ魚や、機関車のようなイメージの
性格をもつ人間のことをいいます。

わたしの性格は基本的にタイプAの典型なので
興味があったら検索してみてください。

友達は結婚して幸せに暮らしている人もいれば
転職して役職もついてすごいお金を
もらっている人もいます。
わたしは無職で求職してもつばをはかれて
社会のゴミ扱いです。

わたしは今がなにより空しいので
何か一つでも欲しいです。
返信する
Unknown (にょほ)
2008-07-16 12:18:10
そ、そうでしたか(;´∀`)心理学用語・
今日新たな知識を得ました^^

そですね・・確かにそれに近い人知り合いにいますね。

ちなみに、やはりかと思われますがw
私はタイプBです^^;;(多分)

うーん・・・幸せ・お金・名誉・・
誰でも欲しがる物でしょうね。

あまねさんには是非、幸せを手に入れて欲しいな。。

人間って結局そこが必要なんですよね。
小さな幸せじゃダメですか?
ほんのささいな事。例えば、ご飯食べてておいしいなぁ!とか。(本当にささいな事過ぎw)
公園とか散歩して、すごく爽やかな風なんか吹いたら今日は最高!なんて思えれば良いのですが;;

あまねさん、こんな幸せ、ど、どうでしょうか?
返信する
Unknown (あまね)
2008-07-17 02:51:45
わたしは基本的に鬱傾向なので
いいことは心に響きません。
常に死が背中でうろうろしているので
とても怖いです。

誰かがでかけているときは
もしかしたら二度と会えないかもしれないと
考えて恐ろしくなります。

でかけたい天気のときは
それでもどこにもいけない自分を恨み、
この季節を死ぬまでにあと何回
味わうことができるのだろうと思います。

基本的にわたしが自分を取り戻せるのは
何かに向けて走っているときだけなのですよ。

それでもその瞬間が終われば
なんでこんなことをしてるのだろうとか
自己嫌悪です。
返信する

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