止まない雨はない、というような言葉がテレビから聞こえて
とてもいらっとしました。
『止まない雨はない』というのは真理ではないし、
論理が破綻しています。
たとえば大雨が降ったとして。
雨が降っている中、土砂崩れや大水で死ぬ人はいるわけです。
その人は、雨が止むところは見られなかったのですから、
止まない雨があったということになります。
雨が止んだのを見られる人は、その雨で死なない人だけです。
つまり、世の中には
雨の中、雨が止むのを見られずに死ぬ人と
雨が止むのを見られる、生きて雨を越える人、の二種類がいるのです。
『止まない雨はない』という言葉は、その片側だけを取り上げて、
『雨の中で死ぬ人はいるが、雨の中で死なない人にとっては、
止まない雨はない』というだけの意味であって。
『赤いりんごは赤い』、『もし、神がこの世に存在するとするなら、
神はこの世に存在する』
というような、なんの意味もないくだらない言葉遊びにすぎません。
これは、『生きていればきっといいことがあるよ』という言葉と同等です。
意味は、『お前には、生きていればきっといいことがあるよ』ではなく、
『お前がどうかは知ったこっちゃねえけど、
生きていればいいことがある人には、生きていればきっといいことがあるよ。
すくなくとも俺は生きていればいいことがある人グループだったから
生きていていいことがあったよ。ウェーイ!』
です。
そんなことを言われたって、だからなんだというものです。
生きていればいいことがある人にとっては、
生きていればいいことがあるのでしょう。
でも、生きていてもいいことがない人にとっては、
生きていてもいいことなんてないのです。
幸せな人は結局、幸せになれない人なんて考えません。
意識に入れようともしません。
それならそれで黙っていてくれればいいのに、
大きな声でおためごかすのが気に障ります。
くだらない世の中です。
とてもいらっとしました。
『止まない雨はない』というのは真理ではないし、
論理が破綻しています。
たとえば大雨が降ったとして。
雨が降っている中、土砂崩れや大水で死ぬ人はいるわけです。
その人は、雨が止むところは見られなかったのですから、
止まない雨があったということになります。
雨が止んだのを見られる人は、その雨で死なない人だけです。
つまり、世の中には
雨の中、雨が止むのを見られずに死ぬ人と
雨が止むのを見られる、生きて雨を越える人、の二種類がいるのです。
『止まない雨はない』という言葉は、その片側だけを取り上げて、
『雨の中で死ぬ人はいるが、雨の中で死なない人にとっては、
止まない雨はない』というだけの意味であって。
『赤いりんごは赤い』、『もし、神がこの世に存在するとするなら、
神はこの世に存在する』
というような、なんの意味もないくだらない言葉遊びにすぎません。
これは、『生きていればきっといいことがあるよ』という言葉と同等です。
意味は、『お前には、生きていればきっといいことがあるよ』ではなく、
『お前がどうかは知ったこっちゃねえけど、
生きていればいいことがある人には、生きていればきっといいことがあるよ。
すくなくとも俺は生きていればいいことがある人グループだったから
生きていていいことがあったよ。ウェーイ!』
です。
そんなことを言われたって、だからなんだというものです。
生きていればいいことがある人にとっては、
生きていればいいことがあるのでしょう。
でも、生きていてもいいことがない人にとっては、
生きていてもいいことなんてないのです。
幸せな人は結局、幸せになれない人なんて考えません。
意識に入れようともしません。
それならそれで黙っていてくれればいいのに、
大きな声でおためごかすのが気に障ります。
くだらない世の中です。