年をとると時間が短く感じると言います。
わたしも、この前お正月だったのに、
気づいたらもう4か月も過ぎていて
数か月で一年が流れていると感じます。
この現象がなぜ起こるかについて考えていたのですが、
ふと、生命エネルギーの残量と関係しているのではないかと
思いつきました。
ところで、『分解能』という概念があります。
最低・最小のものを感知する能力です。
体に生命エネルギーがあると、分解能があがり、
時間を細かく見て、体感することができるのです。
たとえば、1秒を2コマとして感じる、というような。
事故にあったときに時間が遅く感じるというのは、
命の危機に際して、体が生命エネルギーをもやし、
分解能を高めるために、
1秒を10コマやそれ以上として感じることができるように
なっているのだと説明できます。
生命エネルギーが乏しくなると、
分解能が下がり、1秒を1秒としてさえ認識することができなくなります。
30秒で1コマと考えるならば、
1秒を1コマとしてとらえられる分解能持ちの人と比べると、
30倍の速度で時間が流れていることになります。
これを思うと、ある人が、1週間というのをどのくらいの長さと思うか、
1年というのが体感でとの位の長さと思うかをはかってためていけば、
その人の残りの生命エネルギー、残りの寿命なども
わかるのではないか、という気がするのです。
わたしは一週間は2・3日くらいで過ぎていく気がしていますし、
ちょっと前お正月だと思っていた気分で、ほぼ5か月が過ぎています。
1週間が3日だとすると、実際の日数と体感時間は7:3。
これまで5か月が過ぎているので、この場合の体感時間は
5か月は150日だとして
150:x=7:3
7x=450
x=64
64日、という感じはしません。
1週間が2日だとしてみると、実際の日数と体感時間は7:2。
150:x=7:2
7x=300
x=42.8
お正月は1か月半前、くらいの気分のほうがあいそうです。
1日を1日と正しく感じられる人に比べると
わたしの時間の分解能は0.285なので
三分の一くらい低くなっています。
365日を今の体感時間で計算すると
365:x=7:2
7x=730
x=104
104日で1年が終わることになります。
体感時間では3か月半です。
お正月の冬が終わったと思ったら
急に春から夏になって
気づいたらまた寒くなって葉っぱが散っていて
また気づいたらお正月。
そんな一年、そんな人生です。
なお、生まれたころから知っている甥っ子が、
小学生くらいの気分でいたら、
もう成人式だそうです。
最近はびゅんびゅん時間が過ぎていくせいで
あっという間に一年が終わっていて、
正直自分が何歳だったのかももうわかっていません。
25歳を過ぎたあたりからは今まであっというまだった気もします。
若造若造とあなどられる身分だと思ったのに
気づいたら他人からそういう態度でなく扱われて
逆にびっくりするような精神状態です。
いまでさえこれなら、世の人はどれだけ早く時間を感じているのでしょうか。
あるいはわたしもすでに終わりが近く、
ずっと年上の人と同じくらいの分解能になっているのでしょうか。
体感時間のものさしをしっかりと規定できれば、
おもしろい結果は出そうな気がするんですけどねえ。