友人からは「いい年をして今更、なぜ社交ダンスなど習うんだね」とあざけられる。
妻からは「年よりの冷や水」と言われる。
50歳すぎでダンスの教習会に通う主人公は、老い始めた自分の肉体と向き合う。
遠藤周作の1970年代の短編「五十歳の男」である▼ (朝日新聞・天声人語より)
若い人たちと一緒にステップを踏むことに疲労を感じ、あえぎながら坂をのぼる古い自家用車に自分を重ね合わせる。
つい、この前までは1曲3分程度を踊っても何ともなかった。
続けて次の曲を踊ることも楽々とできた。
しかし、今や練習会場を1周(約50秒ほど)すると息切れしてハーハーゼーゼー、我ながら情けない。
さくらの季節を迎えると、年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 の一節が浮かぶのもこの頃の習い。
見渡せば、一緒にダンスを競ったり、楽しんだりした、かつてのダンス仲間は周辺にもう誰もいない。
最初に習った先生も既にこの世にはない
引き時・・・そんなことが脳裏に浮かぶ昨今である。
妻からは「年よりの冷や水」と言われる。
50歳すぎでダンスの教習会に通う主人公は、老い始めた自分の肉体と向き合う。
遠藤周作の1970年代の短編「五十歳の男」である▼ (朝日新聞・天声人語より)
若い人たちと一緒にステップを踏むことに疲労を感じ、あえぎながら坂をのぼる古い自家用車に自分を重ね合わせる。
つい、この前までは1曲3分程度を踊っても何ともなかった。
続けて次の曲を踊ることも楽々とできた。
しかし、今や練習会場を1周(約50秒ほど)すると息切れしてハーハーゼーゼー、我ながら情けない。
さくらの季節を迎えると、年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 の一節が浮かぶのもこの頃の習い。
見渡せば、一緒にダンスを競ったり、楽しんだりした、かつてのダンス仲間は周辺にもう誰もいない。
最初に習った先生も既にこの世にはない
引き時・・・そんなことが脳裏に浮かぶ昨今である。