日々是好日

10月21日(月)昨日の若夫婦と広島へ

今日は昨日のゲストと広島へ。ホテルカンラ京都で8:10にピックアップ。六角形のタイルでできた床が気に入っている。


ソファーのクッションの柄も六角形だった。


地下鉄で京都駅に行き、新幹線で広島に向かった。今日のエージェントはガイドもグリーン車に乗せてくれる。別のエージェントでは、ゲストはグリーン車でガイドは隣の車両の普通席だった。


広島駅に着き、山陽本線に乗り換え、30分くらい各停の電車に揺られ宮島口駅に着いた。この間、写真はないが、ゲストは楽しい体験ができた。車両は2人掛けの椅子が向かい合って、4人で座るようになっていた。4人掛けの椅子に1つだけあった空席を見つけ、マックスさんに座ってもらった。マックスさん、大きな体を折りたたむようにして座った。キャロラインさんにも、隣の4席のうちの1つを見つけることができた。マックスさんと乗り合わせた熊本から来た女性3人のご家族はとてもフレンドリー。私が少し手伝って、楽しいおしゃべりの時間になった。特に30代くらいの娘さんがフレンドリー。「背が高いね、2メートル?」から始まったが、マックスさんはメートル換算をしたことがない。スマホで調べると2メートルあることがわかった!お二人の旅行が2週間だと知ると、30代の熊本レディーは「いいなあ」を繰り返していた。レディー「私は3〜4日しか休暇が取れない」昨日、日本ではまとまった休暇がなかなか取れないことをお二人に伝えていた。実際にそのことを日本の人から聞くと、実感できる。盛り上がった会話にキャロラインさんも時折、笑っていた。ハイヤーを使う旅なら、日本人と話す機会は限定される。公共交通を使う方が authentic(本物)の経験ができるかもしれない。私はなるべく、ゲストがordinary people (普通の人たち)と話す機会が増えるように努めている。

宮島口駅から数分歩いて、港から11時10分発のフェリーに乗れそう。


この船に乗った。


船旅は10分ほど。お二人はデッキで景色を見ながら宮島へ。


高齢ガイドは船内の椅子に座って休憩。


大鳥居が見えて来た。今日の満潮は12時なので、宮島を先に行くことにした。満潮の時は、鳥居も厳島神社も海に浮かんで見える。


11時43分。満潮が近い。干潮の時のように、鳥居の下の部分が見えない。地中にたくさんの杭を打ち込んだ上にこの鳥居がポーンと乗っている図をお見せした。どうして、倒れないかって? 鳥居の一番上の部分に約4トンの小石が詰められているからです。


厳島神社に入った。昨日、奈良で話した南都の焼き討ちを指示した平清盛がこの神社を立派なものに作り変えたことを話した。


鳥居をバックに写真を撮りたい人の行列。今日は列が長かった。お二人は並ばず。


12時11分。キャロラインさんがこの海の中で、アカエイ、red stingrayを見つけた。なんといい目をされているのだろう。自然界で初めて見つけた!と喜んでおられた、


神社を出て、宝物館で宮島の文化遺産を見てから商店街へ。お二人は広島焼きを楽しみにされている。友人ガイドが勧めてくれた『くらわんか』に入った。キャロラインさん、古い写真を探して、ここは2010年にお母さんと来たお店であることを発見!お母さんとキャロラインさんの2ショットの写真を見せていただいた。同じお店に入れて大喜びだった。紹介してくれた友人ガイドにお礼を言ってね、と言われた。広島焼きは大阪のお好み焼きとは少々違う。小麦粉を水で溶いたものをクレープのように薄く伸ばし、その上に大量のキャベツと少々の天かすを乗せる。そして豚肉も乗せる。このお店ではここまでのものを大量に焼いておいて、お客さんが来てからおそばとトッピングを乗せる。だから待ち時間が少ない。お好み焼きの『お好み』はトッピングは好きなものを選べるという意味なので、その通りのことを見せてくれた。


マックスさんは牡蠣、キャロラインさんは帆立貝、私はチーズを選んだ。2010年と同じ構図で2ショットの写真をお撮りした。


広島焼きに満足して、帰りのフェリーに向かった。




宮島港から宮島口駅までは3人で走った。走って1時37分発の電車に乗るか、ゆっくり歩き20分、駅で待つかの選択だった。元気なお二人はもちろん走る方を選んだ。駅までは数分だが、信号のない交差点では地下道を使い、駅では反対側のホームまで階段を上り下りしなければならない。高齢ガイドも頑張ってお二人について行った。We made it!

横川駅で降り、タクシーに10分くらい乗って平和公園に着いた。資料館のチケットはネットで予約購入していた。資料館に入ったら、入り口のすぐ横にビデオルームがあった。毎15分、45分に23分間の映像が上映されている。着いたときは、2時15分から始まるビデオはもう始まっていた。展示を見てからビデオを観ようかということになったが、キャロラインさんの顔が曇った。「先に見たい」と。キャロラインさんを悲しませたくないマックスさんが困っているようだった。「じゃあ、1階の展示をざっと見て、2時45分のビデオを先に見ましょう」と私が提案した。1階の展示はあんまり見たことがなかったが、そうでも言わないと収まらない雰囲気だった。マックスさん、ホッとした。

1階の展示も見応えがあった。


金屏風に残っている黒い雨


ビデオを観た。とてもよくできたビデオだった。英語の字幕もついている。展示を見る前の予習になる。キャロラインさんの提案は正解だった。広島の原爆投下前の町の様子から始まり、最後は現在の高校生がITを駆使して、写真に写った3人の人物を証言を元に動かせていた。そのうちの1人が坪井直(すなお)さんだった。少年の坪井さんは服がボロボロで、半裸だった。オバマ元大統領が2016年に広島を訪れた時、坪井さんとハグをしたことをお話しした。オバマさんが広島を訪れた最初の現職大統領だと言うと、驚かれていた。前回広島を案内したゲストも驚かれていた。このあたりの微妙な経過は、私の英語力では説明できない。マックスさん、被団協がノーベル平和賞を受賞したことをご存知だった。


展示の入り口に入ったら、こんでいた。最初はなかなか進まなかった。テーマは『原爆の実相』。中は薄暗い。あまりに悲惨な現実を見て、おしゃべりをする人はいない。全ての展示物に日本語と英語の説明がついている。「自分のペースで見てください。明るくなった場所で待っていますから」と言った。


予想通り、お二人は丁寧にご覧になり英語説明文を熱心に読まれたようだ。しばらく待って、明るいところでお会いした。ここから一直線に並んでいる慰霊碑やドームが見える。


そして原爆の歴史や科学についての展示を見た。ここは明るくなっている。被曝前と被曝後のドームの模型。


そして資料館を出て、公園を歩いた。死没者慰霊碑の前では死没者の名簿に風を通す写真をお見せした。石室の中は湿気がたまるので、年に1回、名簿を外に出して風を通すそうだ。2024年8月6日現在で、34万4306人のお名前が128冊の名簿に記帳されている。

原爆の子の像。お二人は小学校の授業で『サダコ』のことを教えてもらったそうだ。アメリカは検定教科書を使わなくていいので、日本より授業の自由度は高いと思う。被爆の10年後に亡くなることもあることを知らせる授業は有意義だと思う。


原爆ドーム。またお嫁さんのお祖父さんの妹さんが、あの時ここで働いていた話しをした。お祖父さんが何度ドームに行っても、妹さんの手がかりを見つけることができなかった、と言った後、ここは爆心地に近いからevaporate したかもしれないと言った。涙が出そうになった。


お二人はこの説明書きを熱心に読まれた。原爆のことを真剣に知ろうとした若いアメリカ人をここにお連れできて、うれしかった。


ターゲットになったT字型の相生橋をお見せして、タクシーで広島駅に向かった。新幹線に乗る時間までに余裕があったので、改札口の前にあるモールで夕食を買い、それでもまだ時間があったので、「お茶を奢るね」と言ってお二人をカフェにお連れした。雑談は楽しい。2日間、案内したが、お二人の職業を聞いていなかった。マックスさんは弁護士でキャロラインさんは美術館や図書館をプロモートするNGOで働いておられる。結婚式は図書館で挙げられたそうだ。アメリカの歴史は250年ほどだが、古い建築物は美しいそうだ。特にボストンには残っていそうだ。図書館の閉館時間を過ぎると結婚式場に変身する。3人でセルフィーを撮って、お喋りタイムは終了。

新幹線の中で、私はおにぎりを食べた。


京都駅に着くと、お二人は駅の周辺を歩きたいとおっしゃるので、駅でお別れした。行きの新幹線では、咳が止まらなくなって不安だったが、なんとか12時間のツアーを終えることができた。そして素晴らしいゲストと広島を訪問し、私の広島についての知識も更新された。ありがとう。




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