主人公の暢子が東京に行くことになった。バス停で見送る母と姉妹たち。
沖縄が本土に復帰した頃のお話。あの頃、沖縄から東京へ行くのは、外国に行くようなものだった。物理的にも心理的にも。
このお母さんの笑顔に違和感を感じた。
2008年3月に二人の娘が家を出て行った。息子はもっと前からいなかった。長女が大学を卒業し、次女は2回生になる時だった。長女は一人暮らしをしたいからと、わざわざ遠い所で仕事を探した。名古屋で働くことになった。次女は2回生になるとキャンパスが遠くなるし、部活も忙しかったので、神戸でアパート暮らしを始めた。二人はいさぎよく部屋の持ち物も思い出も捨て去り、出ていった。長女が家を去る日、私はさよならが言えなくて普段着のまま、名古屋までついて行ってしまった(笑)
子育てを始めた頃、18歳になったら家を出ていくような子供に育てよう、と夫と言った。実現してしまった。名古屋は近い。新幹線で1時間で行ける。それでも寂しかった。笑顔は作れなかった。
空の巣症候群になった。その年の7月にカナダ人の高校生を受け入れることにした。彼女は6週間くらい、私の家で暮らした。2年前の6月にモントリオールで彼女に会うはずだった。飛行機もホテルもナイアガラツアーもシルクドソレイユも予約した。全てキャンセルをしなければならなくなった。とても残念だった。
小学生になった孫の初遠足は、雨のために順延になった。大阪城公園に行く予定だった。夕方には孫をピアノ教室に連れて行く。お嫁さんが仕事が忙しそうなので、夕食を届けることにした。
スーパーライフに行き、「やわらかな希少部位、豚ランプカツ」を買った。
孫娘が大好きな枝豆も買わないと。
孫をピアノ教室に連れて行き、
おかずを届けた。ミラノ風カツレツ、スパゲッティサラダ、枝豆
これは、私の夕食。しいたけのバター焼きが美味しかった。