薬代や歯科検診費用などは、銀行から引き落とされないので、時々持っていく
11月の壁飾りはハロウィンだった
まだ、毛筆で字を書ける方もいる
母は寝ていた
まだ自分の歯で食べているが、歯並びが悪くなってきた
お茶のお稽古に行った
玄関で迎えてくれたお花
お茶の一年は、11月から始まる
「口切りの茶事(茶壷に保存していた新茶の封を切る)」のためのお茶壺が床の間に飾られている
お花はツワブキ
お軸は「松に古今の色、無し」の意
炉開きのときには、おぜんざいをいただくことになっている
炉の写真を撮るのを忘れた😅
寒くなってきたので、今日の夕食はおでん🍢
息子の家には、鍋ごと届けた
崩れそうなじゃがいもは別にして
瀬戸内寂聴さんが、99年の生涯に幕を下ろした
私は、瀬戸内晴美だった頃の、激しい愛や苦悩を描いた作品に心を動かされた
「美は乱調にあり」と「かの子撩乱」の本は、今も持っている
もう、読み返すことはないだろうが
私が瀬戸内さんを知るようになったのは、1953年に発生した「徳島ラジオ商殺し事件」が冤罪ではないかと、騒がれ出した頃だった思う。事件後、殺されたラジオ商の妻が逮捕された。本人は無罪を主張したが、判決は有罪に。瀬戸内さんは冤罪ではないかと筆の力で訴えた。再審によって無罪が言い渡されたのは、本人が亡くなった後のことだった。
今日のニュースで三輪明宏さんが言っていた。「瀬戸内さんは人の手助けをするのが、好きな人だった。弱者に寄り添う人だった」
批判を覚悟で、四面楚歌の小保方晴子さんに味方し、安倍政権が集団的自衛権を認める法案を通そうとしたときには、国会前のデモに参加した。
ガイドになってから、朝日新聞出版の「仏教新発見」という雑誌を10冊くらい買った。
この写真は第2号「興福寺」
この雑誌の最初のページは、いつも瀬戸内さんのエッセイだった
51歳で仏門に入り、仏教者として、人々の悩みに耳を傾けた
26歳のときに、3歳の娘さんを残して駆け落ちをした
後年、娘さんとは和解されたそうだが、幼い娘を置いていってしまったいう後悔の念から、生涯、自由になることはなかった。