好夫のブログ

奈良県に咲く花を中心にデジタルカメラで撮影して照会させていただきます。

奈良の工芸作品を紹介

2015-01-21 14:40:46 | 日記
今年はなぜか「羊年」である。この奈良県商工観光館に何人おられるのか問いただしたい気持ちである。

なぜかはそれほど重大な事ではなく、厄年の人はいかに働いてくれるかが問題なのです。おそらく自覚されているはずで、ほっておいてもリーダシップを発揮できる能力があるのが厄年の人である。

ただし調子に乗ると丑年と一緒で突っ走ってしまい崖に落ちる危険性もあるのが厄年である。




この奈良県商工観光館で奈良の工芸作品の「雛人形」一刀彫りを展示してあります。





やはり奈良の工芸品はすばらしいが僕はあまり値打ちが分からないです、あしからず。

この館で働くスタッフには、体格がよく、賢く、そつない女性が数人おられ毎日が楽しく、そして愉快な雰囲気がムンムンと漂う職場である。

特に、事務的職場で奥に控えし娘様たちは、少しは歳は過ぎている懸念はされているが、よく気がつく昔の娘様である。体格もよく、二人が同時に動くとこの館がきしむ音がするほど重量感がある女性たちが奥で控えている。

一度この館の展示作品ものをご覧ください。私たちは奈良県の歴史的名産を売っています。目についたものがありましたら、私たちがお客様に対して「もてなし」の心で接しますから遠慮なく言ってください。

昨年は、いろいろとこの商工観光館で奈良県の歴史的商品を買っていただき感謝に堪えません、今年も職員一同一生懸命体にムチを打ち売り上げを向上させる努力も行います。皆様方に愛され、親しまれる館に成りたいとおります。更に「もてなし」の心得も忘れずに接しますので気楽にお越しください、お待ちしております。

奈良県に来ていただきありがとうございます。是非奈良の名品を買ってくださいお願いします。「ラストファーライ」再度「ラストファーライ」神の恵みを授かりますようにお願いします。



奈良公園周辺の2015年の風景

2015-01-21 06:13:00 | 日記
奈良公園周辺の2015年の風景


新年を迎えて奈良公園にでかけました。今年は「羊年」で優しく・おおらかな年であることを値がって最初に春日大社に向かいました。

沿道には屋台等が夕べから外泊しています。早朝に来て準備している人や、店の前のゴミを拾ったり、沿道の掃除も行っている人も見ました。おそらく今年も一段と商売繁盛し儲かること間違いなしと感じました。「ラストファーライ」「ラストファーライ」神の恵みを授かりますようにとお願いします。

それから大仏殿に向かいますが、奈良と言えば「鹿」しかちやんがおねだりしに「鹿せんべい」ほしい。正月や僕にも年玉代わりのせんべい買ってくださいとおねだりしているかのような仕草を・・・・。

毎年正月の元旦の12時には大仏殿の窓が開けられて外から大仏さんを拝めますし、大仏殿の入場料も無料なんです。だから沢山の人が大晦日の除夜の鐘を鳴らしてから東大寺の大仏殿にきて開門を待つのが奈良の古都のしきたりなんです。

皆さん知っていましたか。なおもう一回大仏殿の窓が開く日があります。僕は以前は毎回往っていました、蚊の多い時期で奈良では大文字焼きが高円山で行われる日です。

これだけヒントを出すとわかりますね、世間では終戦記念日と言っている日です。

帰り道に氷室神社から若草山を拝みました。今年も奈良県で一番早く咲く「しだれ桜」のある神社です。そこからほんの少し西に向かうと沢山の人が列を作り何かを待っている光景を目のあたりにしました、ここが有名な「釜飯屋さんしずか」なんです。何時間でも待つても価値のある釜飯で有名です。

奈良県庁に到着したら西側を改装しています、大規模な改修らしく6階までテントで見えなくしている。

どうも県民の皆様や観光客の方々にも喜んでいただく展望できる場所を造っているらしいです。以前から西側は見晴らしが抜群で何で壁などで景観を遮断しているのか分からなかった理由は改修する予算がないのと誰も言いだせなかった役所の体制が物語っています。


現職の知事さんは、県政をいかに軌道に乗せて邁進させられるかを職員に意見を求めながら企画立案を立てられていると聞きます。

がんばって奈良県にいい光が当たる町づくりを行ってください期待しております。「ラストファーライ」最後にもう一度「ラストファーライ」

好坊が生まれた時代の家族構成

2015-01-21 03:15:54 | 日記
好坊が産声を出した年は、昭和22年の1月でこの年に「日本国憲法」が発布されました。いやな事件は「帝国銀行強盗」でした。東京のど真ん中にあつた銀行が毒殺されるといった事件でした。
家族構成は、父が関西配電(関西電力)につとめていたサラリーマンでした。母は家族が多い時代で戦後2年後しかたっていない終戦直後の時代は想像絶する時代に4男(好坊)を生んでいます。

長男は郵便局員でまじめ人間です。次男は養子にでていましたが学校の先生をしていました。
次は女性2人の姉です。長女は会社勤めで、再三田中家に帰り家庭サービスをしてくれる優しい姉です。次女は大阪府富田林市に住んでいて近所ではカラオケ娘とも言われるほど歌がすきな女性です。

3男は会社勤めで田中家の一番の秀才で男前で歌のうまい好青年でした。しかしこの兄貴も養子になりました。



画像で兄弟を紹介しますが実兄貴と姉だけです。
真正面が3男の輝夫兄さんです。右が長男の義治兄さん、ヒダリガ長女政子姉。



好坊いい服着てるがな、どこの代物なのジャマイカで、これ着てレゲーのオンパレードなんです。すばらしかったな、是非もう一度行きたいけど、お金と体力がいります。

4男の好夫は昭和40年に奈良県庁職員として出発しています。

結婚は29歳に養子として桜井市で住み始めました。百姓家に養子として行きましたがなれない農家生活で3カ年で見切りをして元の田中家に戻っています。

この時代に長男も生まれましたが、ここの家庭になじまなかったのか3年で死に至っています。かわいそうな男の子で、この家では孫としてかわいがられなかったのが残念です。
好坊が土曜日に昼から帰っておんぶしながら桜井駅まで行って電車を見せに行った思い出が彼には今でも目に浮かぶらしく、後にこの桜井駅に何回も足を運んで涙を出していた光景をみました。今でも毎年墓参りに行って。この桜井駅まで散歩して当時の子供の思い出を瞼に思い浮かべるのが楽しみのようになっているらしいです。



この田中家で、唯一の楽しみは今はありませんが兄弟で泊まりがけの旅行をしていた時代には、山陰の香住(かに料理)や賢島に行ったときにはカラオケ大会をスナックで行いました。歌手だらけで、一番歌のうまいのが3男で歌唱力と聴き手の心をとってしまうほどの小節と歌唱力がすばらしく地元天理市でも有名な歌手なんです。二番目は4男(好坊)か次女の美空ひばりの物まねもすばらしい歌唱力ですが、好坊のエントリーの多さもしかり、前川清・吉・北島・石川さゆり等なんでもこなせるほど自信にあふれている。最近は「すぎもとまさと」の歌を歌っている。

もともと音楽好きでレゲーを聴きにジャマイカに。日野皓正のトランペットを聴きにクアラルンプールに行っています。外国旅行も昭和52年に米国の本土(サンフランシスコ・ハワイ)さらにはシンガポールでゴルフまでも行っています。

そうそうゴルフ歴も50年近くでシングルプレヤーでもあった時代も懐かしく今は小休止しています。

パソコンも昭和52年に県職員時代に建設大学にパソコン研修を20日間行った実績から平成10年から今に至るまで「好夫のホームページ」を開設したり、現在は「好夫のブログ」などで奈良県に咲く花をデジタルカメラで照会し続けている。

パソコンで使ったお金がクラウン購入できるほど。またゴルフも高級車を買えるぐらい使ってしまいました。

後悔もしていますが、母(ムメノ)が言った言葉が好坊は一度死んだ身なんだから何でもやりなさい、成功しなさいなどよく言っていました。(伝染病にかかる)

今は独身生活を貫きながら、僕を大事にしてくれて余生を楽しく過ごしてくれる人を募集中です。












新年を迎えた奈良公園周辺の風景

2015-01-21 02:01:34 | 日記
新しい年を迎えた奈良公園周辺を撮影しています。
まず最初は春日大社の初詣風景なんですが、早朝で神社の準備時間に遭遇しています。



興福寺周辺にある西国33カ所の札所である南円堂の早朝撮影では、誰もいない境内をカメラマンだけがいち早くお参りを済ませての撮影風景です。

すばらしい景観が醸し出されています。




大仏殿の正面からの眺めです。



画像を通じてどのような風景を想像されましたか。最後に奈良公園内に有名な釜飯屋があります。昼食時間にもなると長い行列が出来るぐらい流行っている店「しずか」なんです。



今年も私は奈良県人として、奈良県に咲く花を中心にした画像を撮り続け皆様に、ご披露させていただきます。