好坊が産声を出した年は、昭和22年の1月でこの年に「日本国憲法」が発布されました。いやな事件は「帝国銀行強盗」でした。東京のど真ん中にあつた銀行が毒殺されるといった事件でした。
家族構成は、父が関西配電(関西電力)につとめていたサラリーマンでした。母は家族が多い時代で戦後2年後しかたっていない終戦直後の時代は想像絶する時代に4男(好坊)を生んでいます。
長男は郵便局員でまじめ人間です。次男は養子にでていましたが学校の先生をしていました。
次は女性2人の姉です。長女は会社勤めで、再三田中家に帰り家庭サービスをしてくれる優しい姉です。次女は大阪府富田林市に住んでいて近所ではカラオケ娘とも言われるほど歌がすきな女性です。
3男は会社勤めで田中家の一番の秀才で男前で歌のうまい好青年でした。しかしこの兄貴も養子になりました。
画像で兄弟を紹介しますが実兄貴と姉だけです。
真正面が3男の輝夫兄さんです。右が長男の義治兄さん、ヒダリガ長女政子姉。
好坊いい服着てるがな、どこの代物なのジャマイカで、これ着てレゲーのオンパレードなんです。すばらしかったな、是非もう一度行きたいけど、お金と体力がいります。
4男の好夫は昭和40年に奈良県庁職員として出発しています。
結婚は29歳に養子として桜井市で住み始めました。百姓家に養子として行きましたがなれない農家生活で3カ年で見切りをして元の田中家に戻っています。
この時代に長男も生まれましたが、ここの家庭になじまなかったのか3年で死に至っています。かわいそうな男の子で、この家では孫としてかわいがられなかったのが残念です。
好坊が土曜日に昼から帰っておんぶしながら桜井駅まで行って電車を見せに行った思い出が彼には今でも目に浮かぶらしく、後にこの桜井駅に何回も足を運んで涙を出していた光景をみました。今でも毎年墓参りに行って。この桜井駅まで散歩して当時の子供の思い出を瞼に思い浮かべるのが楽しみのようになっているらしいです。
この田中家で、唯一の楽しみは今はありませんが兄弟で泊まりがけの旅行をしていた時代には、山陰の香住(かに料理)や賢島に行ったときにはカラオケ大会をスナックで行いました。歌手だらけで、一番歌のうまいのが3男で歌唱力と聴き手の心をとってしまうほどの小節と歌唱力がすばらしく地元天理市でも有名な歌手なんです。二番目は4男(好坊)か次女の美空ひばりの物まねもすばらしい歌唱力ですが、好坊のエントリーの多さもしかり、前川清・吉・北島・石川さゆり等なんでもこなせるほど自信にあふれている。最近は「すぎもとまさと」の歌を歌っている。
もともと音楽好きでレゲーを聴きにジャマイカに。日野皓正のトランペットを聴きにクアラルンプールに行っています。外国旅行も昭和52年に米国の本土(サンフランシスコ・ハワイ)さらにはシンガポールでゴルフまでも行っています。
そうそうゴルフ歴も50年近くでシングルプレヤーでもあった時代も懐かしく今は小休止しています。
パソコンも昭和52年に県職員時代に建設大学にパソコン研修を20日間行った実績から平成10年から今に至るまで「好夫のホームページ」を開設したり、現在は「好夫のブログ」などで奈良県に咲く花をデジタルカメラで照会し続けている。
パソコンで使ったお金がクラウン購入できるほど。またゴルフも高級車を買えるぐらい使ってしまいました。
後悔もしていますが、母(ムメノ)が言った言葉が好坊は一度死んだ身なんだから何でもやりなさい、成功しなさいなどよく言っていました。(伝染病にかかる)
今は独身生活を貫きながら、僕を大事にしてくれて余生を楽しく過ごしてくれる人を募集中です。
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家族構成は、父が関西配電(関西電力)につとめていたサラリーマンでした。母は家族が多い時代で戦後2年後しかたっていない終戦直後の時代は想像絶する時代に4男(好坊)を生んでいます。
長男は郵便局員でまじめ人間です。次男は養子にでていましたが学校の先生をしていました。
次は女性2人の姉です。長女は会社勤めで、再三田中家に帰り家庭サービスをしてくれる優しい姉です。次女は大阪府富田林市に住んでいて近所ではカラオケ娘とも言われるほど歌がすきな女性です。
3男は会社勤めで田中家の一番の秀才で男前で歌のうまい好青年でした。しかしこの兄貴も養子になりました。
画像で兄弟を紹介しますが実兄貴と姉だけです。
真正面が3男の輝夫兄さんです。右が長男の義治兄さん、ヒダリガ長女政子姉。
好坊いい服着てるがな、どこの代物なのジャマイカで、これ着てレゲーのオンパレードなんです。すばらしかったな、是非もう一度行きたいけど、お金と体力がいります。
4男の好夫は昭和40年に奈良県庁職員として出発しています。
結婚は29歳に養子として桜井市で住み始めました。百姓家に養子として行きましたがなれない農家生活で3カ年で見切りをして元の田中家に戻っています。
この時代に長男も生まれましたが、ここの家庭になじまなかったのか3年で死に至っています。かわいそうな男の子で、この家では孫としてかわいがられなかったのが残念です。
好坊が土曜日に昼から帰っておんぶしながら桜井駅まで行って電車を見せに行った思い出が彼には今でも目に浮かぶらしく、後にこの桜井駅に何回も足を運んで涙を出していた光景をみました。今でも毎年墓参りに行って。この桜井駅まで散歩して当時の子供の思い出を瞼に思い浮かべるのが楽しみのようになっているらしいです。
この田中家で、唯一の楽しみは今はありませんが兄弟で泊まりがけの旅行をしていた時代には、山陰の香住(かに料理)や賢島に行ったときにはカラオケ大会をスナックで行いました。歌手だらけで、一番歌のうまいのが3男で歌唱力と聴き手の心をとってしまうほどの小節と歌唱力がすばらしく地元天理市でも有名な歌手なんです。二番目は4男(好坊)か次女の美空ひばりの物まねもすばらしい歌唱力ですが、好坊のエントリーの多さもしかり、前川清・吉・北島・石川さゆり等なんでもこなせるほど自信にあふれている。最近は「すぎもとまさと」の歌を歌っている。
もともと音楽好きでレゲーを聴きにジャマイカに。日野皓正のトランペットを聴きにクアラルンプールに行っています。外国旅行も昭和52年に米国の本土(サンフランシスコ・ハワイ)さらにはシンガポールでゴルフまでも行っています。
そうそうゴルフ歴も50年近くでシングルプレヤーでもあった時代も懐かしく今は小休止しています。
パソコンも昭和52年に県職員時代に建設大学にパソコン研修を20日間行った実績から平成10年から今に至るまで「好夫のホームページ」を開設したり、現在は「好夫のブログ」などで奈良県に咲く花をデジタルカメラで照会し続けている。
パソコンで使ったお金がクラウン購入できるほど。またゴルフも高級車を買えるぐらい使ってしまいました。
後悔もしていますが、母(ムメノ)が言った言葉が好坊は一度死んだ身なんだから何でもやりなさい、成功しなさいなどよく言っていました。(伝染病にかかる)
今は独身生活を貫きながら、僕を大事にしてくれて余生を楽しく過ごしてくれる人を募集中です。
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