農家で子育て🍅

生きてるんじゃなくて生かされてる。全て当たり前じゃないとわかったら感謝が広がる。
農業に力を。全世代に希望を。

ラジオ体操📻

2023-07-31 19:36:00 | 日記
夏休みが始まってから

毎日、朝6時半から

同じ地区の皆様とでラジオ体操☀

今日は私が当番の日💪

みんなのカードに

スタンプをポンポン押していく



ラジオ体操って

本当にラジオで流してやるんだよね

毎日、生中継のラジオ体操📻

とても、新鮮です。




元気な声、元気な音楽

聞いているだけで明るくなる


ラジオ体操第2までやるのは

初めてでした

なかなか面白い♫


朝から運動するのは

気分がいいですね☺


一緒についてきた

3歳と1歳の息子たちは

ボ~っと突っ立って

みんなの体操を顔見👀✨

毎日ついて行きたがるので

楽しいらしい。

いつか
一緒にできるといいなぁ(*^^*)




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「てんびんの詩」

という物語を知っていますか。

商いの跡取りとして育つ

だいちゃん(男の子)

とても恵まれた生活をしていた。

自分も大きくなったら

自動的に商いを継ぐのだと思っていた。


小学校を卒業したら

お父さんに呼び出され

「なべぶた」を渡される 


お父さんは、だいちゃんに

「この鍋蓋を売ってこい、売れたら
跡継ぎとして認める

売れなかったら百姓になる」

と、突然言い渡された。


だいちゃんは

驚いたのなんのって。



心の整理がつかないまま

早速、翌日の早朝から

売りに歩くことになった。


だいちゃんは思いついた

「そうだ、親戚の家を回ろう

そしたらきっと買ってもらえる」


意気揚々とでかけだが

全て駄目だった

お父さんの商売相手にも当たったが

ことごとく駄目だった


商品も見せず、お店の顔だけで

売ろうとしたため

指摘ばかりで追い返された



だいちゃんのことを知ってる

身内ほど

だいちゃんを立派な商いにするために

強く、厳しく、愛情を込めて

追い返した。


でも

だいちゃんは不満たっぷり


しかし、諦めるわけにはいかない




どうにか買ってもらおうと

試行錯誤をはじめた


大きな声で笑顔で声をかけた


しかし、お客さんは

赤ん坊を寝かせてる途中だったらしく

叱られてしまった


今度は、へらへらと媚びを売ってみる

何してるんだと追い返された


次は情に訴えるために

哀れな自分を表現した

「買って下さい、助けて下さい、困っています」


でも、誰も買ってくれない


近くを通った子供らに馬鹿にされ

喧嘩もした。



遠い遠いところに住む

親戚のお家にも行った

それだけ頑張って時間をかければ

買ってくれると思ったのだ


でも、駄目だった


お弁当はいつも梅干しごはんだけ


「自分は実は拾い子なのでは」

とまで思って惨めになった



今度はお母さんをダシに使った

「お母さんが怖いもんで」と

そしたら
「親を馬鹿にするやつがあるか!」

と勢いよく叱られてしまった。


親にも合わす顔がない

商いは諦めて

百姓のみちに…とも考えるようになった



だいちゃんの知らないところで

お母さんは必死に祈っていた

お父さんも必死に祈っていた


ズタボロになっても

忍耐強く、甘やかすことなく

見守っていた

祖母は

「今が人生で1番大事な修行のときだ

親が手を出して台無しにしてはならん」

といった。 


お姉ちゃんは

いつもだいちゃんを

励ました。

「お父さん達だって代々みんな通過してる

あなたにだけ苦労させてはないよ」と。


だいちゃんは

何度も挫けそうになりながらも

鍋蓋を売りを続けた。


そんな、ある日

川の側に誰かの鍋や鍋蓋が

置いてあったのを発見した

川の水で洗うためだろう


だいちゃんはふと思った

「この鍋蓋を全部壊せば、困って

買ってくれるのではないか」


そこで鍋蓋を手に取って

眺めていた

………でも…

「この鍋蓋、この鍋蓋だって
きっと苦労して売ったのだろう」

そう思ったとたん、急に

鍋蓋が愛おしくなった。

愛おしくなって

一生懸命、その鍋蓋を洗い始めた。



すると


そこに、持ち主のおばさんが来て

何している!と叱られた。

だいちゃんは

謝りながら説明した。

「最初は壊してやろうと思ったのですが
鍋蓋をみてると、苦労して売ったのだと思い
急に愛おしくなったのです」

と。


おばさんは、ふっと顔が緩んだ。

あんた、偉いね。

いくつ?

「16です!」(年齢)

いや、違うんだよ

鍋蓋の値段はいくら?


……

「おばさん、今なんて?」


いくらって聞いてるの

わたしが鍋蓋、買うてやる。


「ほんまに!?」


だいちゃんは

あまりの嬉しさに

おばさんに抱きついた。そして泣いた。


おばさんは

待ってなさいというと

沢山のお友達を連れてきて

だいちゃんを紹介した。

そして沢山の鍋蓋を

みなさんが買ってくれたのだ。


ご飯も頂いて

お風呂にも入れてもらった

「あんた、今日は泊まってくかい?」

少し、迷ったけれど


「いえ、大丈夫です
お母さん達が心配してるので」

「偉い。それは大事なことだ」


皆さんに見送られて

だいちゃんは急いで母のもとへ帰る




お母さんは手を合わせて祈らながら

だいちゃんの帰りを待っていた


遠くにみえただいちゃん。

空っぽになった風呂敷をみて

お母さんは鍋蓋が売れたとわかった。


だいちゃんは母のもとへ駆け寄り

涙で抱き合った

「今日の日のことを一生忘れないでね」




だいちゃんは悟った

商いは相手あるもの

売り手と買い手の心と心が

通じ合わないといけない

自分が売れてほしいと思うだけで

相手のことを考えないのは

商いではない。




鍋蓋が売れることが目的ではなく

相手を思う心にこそ

商いの本質があることを悟った




商品は金儲けのためではない

商品を通して沢山の人を愛するためだ

手が届かない人をも愛するためだ


その心を失い金のために詐欺を働き

汚いやり方をしてはいけない

たとえ成功しても一時的だ


結局、信頼されず滅んでいく


信頼こそが宝だ。

信頼基盤こそが、人生を豊かにし

周りも豊かにする




両親も、近所の人も見知らぬ人も

みんなで

だいちゃんを育てた

我が子のように心配し、思いっきり
叱り飛ばした


そんな日本は美しい

今だと、きっと訴えられ捕まるだろう

古き良き美しい日本を

取り戻したい


欲望は悪なのか?

2023-07-29 22:12:00 | 日記
今日も育ち盛りの子供達は

お腹がペコペコ。

さっき、昼食を食べたのに

「お腹すいた〜〜」と言ってくる。

暑くなりだしてから、それが口癖だ。

すぐにお腹が空いちゃうらしい。

私はせっせとおやつ作り🥞🍚

「何作ってるのー?」

と、期待溢れる目で見つめてくる子供達。

喜んで食べてくれるから

作りがいがある🥰

沢山食べて大きくなぁれ🌷





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

人間は誰しも生来的に欲望がある

生存を維持しようとする基本的な

欲望を持っている

身体自体、生存を維持するために

必要な器官を備えて生まれてくる


酸素を取り入れるための肺もそうだ。

意識するしないに拘らず

呼吸を止めることはできない。

もし、阻害されれば苦しみ悶えてしまう。


欲望には、意識的なコントロールが

可能な欲望もある

・生存欲(睡眠欲、食欲、所有欲など)
・家庭欲(結婚欲、子孫欲など)
・社会欲(ビジネス欲、名誉欲など)


人生の第一歩は生存欲を満たすことから
始まる

その欲望は自己中心的な性格を持つ

赤ちゃんがお腹が空けば

必死に乳房を求めて泣き始める

もし赤ちゃんにその欲望がなければ

母親がどんなに飲ませようとしても

どうすることもできない

赤ちゃんが乳房を求める行動は

欲望で説明できるが

赤ちゃんのその欲望に対して

母親が満たそうとする行為は

欲望ではなく、愛情と表現される



愛情が成立するためには

相手の欲望がなければならない


相手の欲望が前提となってこそ

愛情が成立することになる


このように

愛情が欲望と無関係に存在することは

できないため

欲望もまた、愛情と同じ価値を

もっていることになる


そして

成長とは

欲望主体から愛情主体に切り替える

ことを指す


愛を潤沢に受けられず

子供のままの大人

愛情欠乏症になったら大変だ

欲望は、我欲となり

常に自分が愛されているかに執着する

相手を優先して愛するなど思いもよらない


際限のない欲望は

争いの種となり不幸の始まりとなる




欲望は悪ではない

愛情のためには、絶対的に必要なものだ

自分が欲しないものを

愛する人に与えようとは思わない


美味しいと思い

また食べたいと思うから

家族に作ろうと考える

欲望は相手の欲望を満たすこと

愛することに繋がる


しかし、その適切な範囲を超えると

悪になるのもまた、事実である


欲望をコントロールし

愛情主体の生き方を目指すことは

人生において欠かせない事だと思う




サルスベリ満開🌸

2023-07-28 12:55:46 | 農業ブログ
猛暑が続く中

お庭にあるサルスベリの木が

満開となりました🌸

富山に来て初めてみた

サルスベリ。

名前の通りツルツルして

猿でも滑りそう🙈🙊🙉

よく見ると、花が弾けて

ドレスのように着飾っています🌸




とても綺麗です。

昨年はバッサリと剪定しましたが


ほんとにニョキニョキと

生えてきて、綺麗に咲いてくれています。


寒い冬を耐えて、真夏には満開に咲き誇る。

雨風、寒さに暑さ。

耐え耐えて咲き誇る。

だから余計に美しく感動する


私も見習っていきたい🌸





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桜の木もまた美しい。

春には

花見をしようと沢山の人が集まってくる。


最も美しく咲き誇るとき

なんの未練もなく

ハラハラと散る花吹雪はなんともいえない。

普通、花は咲き終われば萎れて枯れていく。

でも桜は違う。

最もきれいに咲く時に

散っていくのだ。


この桜の精神が人々の心を打つのではないか。


地位や名誉、一位合切を

投げ捨ててでも

愛のために生きる姿に皆涙を流す。


なんの未練もなく

愛に生きる姿が人々を魅了する



車に乗っていた村田奈津恵さんは

線路に倒れてるお爺さんを救うため

迷うことなく、助けに行った。

そして、お爺さんをなんとか助けて

ご自身は帰らぬ人となった。

一緒に車に乗っていた

お父さんも「もう間に合わないよ」と

止めたのにも関わらず

居ても立っても居られない心境で

お爺さんの下へ駆け寄ったのだ。


村田奈津恵さんの葬儀には

1000人以上も集まったそうです。


村田奈津恵さんにも人生があります。

愛する家族や将来もあります。

それでも、見知らぬ人のために

命をもかけられたのです。


なかなかできることではない。

たった一個の命をなんのために使うのか

とても考えさせられる。


愛に生きると言う事は簡単だ。


無闇に命を捨てろということではない。

日頃から、与えて尽くす積み重ねを

忘れてはいけない。

桜のように

例え人生の頂点にいたとしても

潔く愛を貫く生き様は

花咲く瞬間では決まらない。

根から栄養を受け取り

雨や風、寒さに暑さを

耐え抜いてきたからこそ

立派な花を咲かせるのだ。


死に様は生き様に直結する

そして、また

生き様は死に様に直結する




人知れず日々の心の鍛錬が

実を結ぶ時がきっとくるだろう。




もみ殻いっぱい

2023-07-24 20:20:00 | 農業ブログ
危険なほどの暑さですね、、

8月はもっと暑くなるそう🥵

熱中症にはお気をつけて下さい。



我が家は米農家。

なので、収穫時期には

沢山のもみ殻がでます。

そのもみ殻は、優秀らしい

もみ殻を土に混ぜて寝かせることで

より良い土ができるとか(*^^*)


周りの農家さんがその時期になると

わざわざ貰いにきます。

お礼にと差し入れまで下さる時も🥺



大量なので、とても助かっています✨


土はほぼもみ殻状態。

草すら生えてきません😅




子供達が裸足になって遊ぶほど

ふかふか。


しっかりと耕すと

柔らかくいい土になりそう🥰




上から雑草対策にかてもよし。

メロンなどの下に敷いてもよし。

確かに優秀です✨


人間からしたら不要なものも

自然さんには価値あるもの


さすが。自然さん。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は

有名な話ですね。


主人公のかんだたが

強盗三昧の挙句に死んで

地獄に行った時のはなしです。


針の山や、血の池に苦しむ

かんだたの姿を

お釈迦様はみつめていました。

かんだたは生きている時、悪いことばかり

してきましたが

ある時、蜘蛛を見つけて踏んづけようとし

たけれど、命あるものを哀れに思って

踏みとどまり、逃してやったことが

ありました。

その一度の良い行いの故に

お釈迦様は

蜘蛛の糸を、たらさせます。


天から降りてくる蜘蛛の糸を

かんだたは発見しました。


地獄の生活に疲れ果てたかんだたは

手をついて喜び

蜘蛛の糸に掴まって上を目指して

登り始めます。

天と地獄との距離はかなりあって

なかなか辿り着けません。

疲れ果てたかんだたは

休憩することにしました。

そこで、ふと下を見ると

何千、何万と数え切れない

地獄の住人が、一列になって

蜘蛛の糸を登ってくるのがみえたのです。

それを見たかんだたは驚き

こんなに沢山の人が登れば

蜘蛛の糸は切れてしまうと焦り

その人たちに向かって叫びます。

「こら。罪人ども、これはおれの糸だぞ。誰の許可をもらって登ってる。降りろ」


その時です。

今まで何ともなかった蜘蛛の糸が

かんだたの上の方でプツリと切れ


みな、元の地獄に真っ逆さまに落ちていきました。


〜終わり〜


簡単に書きましたが

この話は教訓が沢山あります。


かんだたは、蜘蛛の糸を下ろしてもらって

脱出できる可能性が出てきました。

しかし、後から登ってくる人達を

歓迎せず、自分のことしか考えず

蹴落とそうとしました。

憐れに思ったお釈迦様のご配慮を

あたかも自分の特権かのように

偉そうな態度を示しました。


そのことでせっかくの蜘蛛の糸は

失われます。


自分の傲慢さが、また自分を

地獄に引きずり落とすことになります。



体の病も深刻ですが

それ以上に、心の病は恐ろしいものです。


自らの言動を振り返り

自らを戒めることは大切なことだと

改めて感じます。

傲慢の治療は感謝です。


全て与えられたもので

何一つ持って生まれてきていません。



自分の心は他人がどうにかできるもの

ではなく、変えられるのは自分次第。



我が身を振り返らず

列車に轢かれそうな人を助けたり

震災の時に、最後まで

非難を呼びかける人もいます。



天国に皆を導き、自分は

一番最後に入ろうとする人ほど

一番先に天国に入るのかもしれません。



多く得ようとすると失い

多く与えようとすれば富む



それは、目に見える財産だけでなく

心の財産にも共通する


空気のように
見えないけれど

なくてはならない
大事なもの


それを忘れないようにしたい。













嬉しい頂きもの🥰

2023-07-23 12:08:00 | 農業ブログ
梅雨明けして、連日暑さが続いていますね☀️

そんな時…

昨日、ご近所の方が

「スイカがあるんだけど、もう誰かからもらってる??」と

スイカの差し入れを下さったのです😆


子供達よりもわたしの方が

はしゃいでいたのかもしれません。

本当に大きくて赤いスイカ🍉🍉


早速、お昼ごはんに

頂きました😆

みんな

早くスイカが食べたくて

いつもよりご飯のスピードが早い早い👀


ムシャムシャと

甘いスイカを頬張る🍉

みんな

赤い身がなくなるまで完食!!


そして午後は


ピンポーン♪


「さっき収穫したから、食べてね


ドサッ





近くの農家さんが

大量の枝豆を持ってきて下さいました!

子供達はまたしても大喜び!


一緒に枝豆取りをしました😆




まさに、枝豆イベント。

子供達のお陰でスムーズでした(*´꒳`*)




見事な量です👏👏

本当に感謝、感謝、感謝🥲


お返しは

マイブームの

バジルフォカッチャにしましょう♪




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「天獄と地獄のスプーン」

という話をご存知でしょうか。

*引用*

ある時一人の男が地獄を覗いて見ました。すると予想とは大違いでテーブルの上にはおいしそうなご馳走がいっぱい!ところが人々はガリガリに痩せて、互いを罵り合っていました。よく見ると、彼らは椅子に片腕を縛られ、もう一つの手には腕よりも長い柄のスプーンが括りつけられていたのです。それで目の前にご馳走が並んでいても、スプーンを自分の口に持っていくことがでなかったのです。そこで今度は天国を覗いて見ました。すると天国でも人々の腕は椅子に縛られ、片手には同じ長いスプーンがくくりつけられていたのです。ところが不思議なことに、人々は飢えてはいませんでした。皆、和気あいあいと食事をしています。人々は長いスプーンで互いに食べさせていたのです。自分の口には持っていけなくても、誰かに食べさせてあげることはできるのです。自分の必要だけを考えていた人たちは、結局何も得られず、互いに助け合うことを決めた人たちは、豊かに満たされていたのです。

*引用終わり*


環境は同じでも

人の心の在り方次第で

天獄も地獄つくれる

とても考えさせられる内容では

ないでしょうか。


相手を批判し、自分ばかり優先する
人のところには

同じような人格の人が集まる

自分が相手を傷つけるように

相手も自分を傷つける

そこには嫉妬、妬み、復讐、無関心が

渦巻き、相手だけでなく

自分自身も傷つき苦しく、辛いだけである

しかし、

そういった我欲の価値観の人には

相手を尊び、自分を後回しにしてまでも

与える事が理解できない。

相手を思いやることに何の意味も

見いだせないのである。


与えるという行為は

一見、自分を犠牲にしているように

感じる。


しかし、相手の喜びが自分の喜びだと

考える人は、むしろ幸福なのである。

そして、そういう人たちが

集まれば、お互いに助け合い

愛し合い、無限の喜びが繰り返される。






1人で机を運ぶよりも

2人で運んだ方が自由自在に動かせる。

1人よりも、自由度が広がる。

私は1人でいる時間も大切にしている

心の整理や楽しみもある

1人が悪いことでは全くないと思う


ただ自分勝手に

世界が自分中心だという考えは

恐ろしく周りを傷つけ

自分自身を不自由にし、傷つける。

好き勝手して、自由になったつもりだが

実は不自由であることを知る


自分1人で生き

自分の力だけで生きている人なんて

この世に1人もいないはず



周りがあっての自分であることを

忘れてはいけない。


天国はどこか遠くにあるものではない

自ら作り出すことができると

信じている