めがねばし

中島川にかかる眼鏡橋。いろいろな表情をもっている。そんな眼鏡橋を愛する中年男のつぶやき

長崎は今、盛り上がってます。

2010-09-23 22:20:45 | 日記


長崎は今、二つのことで盛り上がっている。一つは龍馬伝。テレビに会わせてか、このランタンの龍馬とお龍さんは鹿児島に行っているそうだ。

もう一つが長崎くんち。今は各町内の奉納踊りの練習も終わり、10月3日の庭見せに向けての準備中だ。10月の7、8、9日に神社に奉納する出し物は6月から約4ヶ月かけて練習し、準備する。約4ヶ月かけて、その年に奉納する町内は準備をしていく。非常にクリエイティブなところがある祭りである。そして、大人と子供が参加できる祭りでもある。子供たちの役割は重要で、ただのお飾りではない。町内のみんなの協力がないとできない祭りでもある。約370年続いている祭りは奥が深い。

長崎っ子はくんちのシャギリの音を聞くと落ち着かなくなる。かくいう私もその一人である。



妻の本音

2010-08-31 01:07:45 | ユーモア・ジョーク


奥さんが言ったこ言葉の裏って考えたことあります?  ありませんよね。

私は素直な人間なので言葉通りに解釈してました。でも、違ったんです。

私は鈍感な人間だったのでしょうか。そんな時、こんなジョークに出会いました。ジョーク、いえいえ、これって、本当ですよね。

妻が言う「これは、あなたが決めることよ。」  
本心は「答えは明らかでしょう。」

妻が言う「あなたは何がほしいの?」    
本心は「これは後で買ったら。」

妻が言う「私たちは話し合いが必要よ。」  
本心は「あなたに言いたいことがあるの。」

妻が言う「怒ってにないわよ。」      
本心は「もちろん、怒ってるわよ。あなたの馬鹿さ加減に。」

妻が言う「あなたは何て男らしいの。」   
本心は「無精髭が生えて、汗もたくさんかいて、どうにかしなさい。」

妻が言う「台所が不便だわ。」       
本心は「新しい家がほしいわ。」

妻が言う「新しいカーテンがほしいわ。」  
本心は「絨毯も、家具も欲しいわ。」

妻が言う「あなたは私を愛してる?」    
本心は「私は欲しいものがあるの。お願いだから買って。』

妻が言う「どれぐらい私を愛してる?」   
本心は「今日、あなたが嫌なことをしてしまいました。」

妻が言う「もうちょっとで準備できるから。」
本心は「靴脱いで、1時間ぐらい休んでて。」

妻が言う『私、太った?」         
本心は「言って、私はきれいって。」

妻が言う「あなたはもっと人とコミュニケーションをとることを学んだ方がいいわ。」
本心は「すぐに、私に賛成しなさい。」

妻が言う「あなた、聞いてるの。」     
本心は「あなたの返事が遅すぎる。」

妻が言う「ごめんなさい。」        
本心は「あなたが謝りなさい。」

妻が言う「あれ、赤ちゃん?」       
本心は「起きて、赤ちゃんを見て来て。』

「sex jokers より」









豪雨後

2010-08-31 00:14:49 | 眼鏡橋

雨が降った後の眼鏡橋です。水かさが増し、川の流れも早くなります。鯉はどこに隠れているのか。

ところで、眼鏡橋ができた1634年は出島の築造が始まった年でもあります。

また、諏訪神社の神輿が初めて大波戸にお下りし、奉納踊りが初めて行われた年でもあります。

眼鏡橋トレビの泉2

2010-08-28 02:53:58 | 眼鏡橋
下の写真ではよく場所がわからないかもしれませんが、この写真を見てください。

この写真の中央の階段状になっているところが、さっきの場所になります。

何年もそばを通っていても、気づかないことってあるもんですね。

身の回りには、気づいてないことが、他にもいろいろあるんでしょうね。あと、目に入ってても、見えてないものとか。

眼鏡橋トレビの泉1

2010-08-28 02:52:57 | 眼鏡橋
イタリアのトレビの泉には、噴水にコインを投げると願いが叶うという伝説があります。

日本では、鳥居の上に石を乗せると願いが叶うという俗信があります。(今は鳥居の上に石を投げることは危ないので止めましょう。)

眼鏡橋にも、伝説があるようです・・・・と思います。よく知らないので。

 昨年の12月29日、師走の忙しい時、たまたま、眼鏡橋のそばを通ると、橋の中央で、父親と小学生ぐらいの兄弟が、しきりに下を見ながら、話をしていました。通り過ぎようとしたのですが、気になって、家族が居なくなった後、同じ場所に行って、下を見ました。その時の写真です。

たくさんの硬貨、ほとんどが1円玉でしたが、橋の中央の出っ張りに散らばっていました。反対側も、同じでした。おそらく、旅人が、また、長崎へ来れるようにと願いを込めて、投げたのでしょう。何十年、この橋を行き来していましたが、この日まで、まったく気づきませんでした。