猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

ひとりぽっちのねこさん

2023-07-09 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう。
せんじつぼくは、しもべのもちあげられ
ニャルソックをしていましたときに
じゆうねこさんをはっけんしました。
ぼくはおめめからびーむをだすかわりに
おたけびをあげましたが
じゆうねこさんはみむきもいたしませんでした。
なっとくいかないおきもちです。

さて、みなさんはおたくにかえってきたしもべに
“ねこさん、さみしくなかった?”
などと言われたことがおありでしょう。
ぼくはいまだに言われています。

おそらくおおくのねこさんが
このことばのいみがわからないのでは
とぼくはおもっています。
そんなねこさんのためにこのおはなしをします。

この、さみしくなかった?とは
しもべが、おたくにねこさんだけにしておいて
ながいことお世話をしなかったときにつかわれます。
そしてそういいながらおそとの匂いのする
手でなでくりまわしてきたり、
あまつさえ顔をすりよせてきたり、
すいついてきたりします。

そんなときにねこさんとしては、
さみしくなかった?ときかれたり
なでくりまわされたり、すわれたりするよりも
すこしでもはやくまぐろやかつぶし、ちゅーるさんを
さしだせばよいと、はがゆくおもいますね。

そうしないでなでくりまわしたりするのは、
しもべたち人間は、“さみしい”に
とくべつなおもいいれがあるためです。

“さみしい”と、さみしいにたいするにんげんたちの
とくべつなおもいいれを、
ねこさんがりかいすることは
とてもむずかしいことで、
しもべをもって16年のぼくも、
すこしまえにようやくうっすらわかった程度です。

ですので、もしわからなくても
きにしないでいいのです。
まあ、わからないからといって
きにするねこさんはいないとおもいますが。

さみしいとは
たとえばねこさんのだいこうぶつ、
たとえばまぐろをしもべがかってきたとします。
でも、しもべがふつつかなために、
ねこさんがおめしあがりになれたまぐろが
ねこさんのりょうほうのおててのにくきゅう
ぐらいしかなかったとしましょう。

ねこさんは、よろこびいさんでおめしあがりになりますので
あっというまになくなってしまいますね。
なにもなくなったうつわをみたときにかんじる
あのおきもちが、“さみしい”にいちばんちかいおきもちです。

もうすこし具体的にもうしあげますと
たくさんのかなしいに
つまらないをすこしたしまして
むねんのおきもちと
うらみつらみを
ひとさじふたさじ
まぜてできあがる
そんなおきもち、とでもいえるでしょう。

また、人間たちはこのきもちを、
たったじぶんだけしかいない
ひとりぽっちのときにつよくかんじ、
ときにはめから水をだします。
(あれはしょっぱい水ですので、
たしなむのはおやめになるのがよいです)

にんげんがひとりぽっちのときには
ねこさんがだいこうぶつをまんぞくにめしあがれなかったと
おなじほどのつよさ、ときにはそれいじょうのつよさの
おきもちをかんじることから
“さみしい”にこめられた、人間たちのとくべつのおもいを
おしはかることができるでしょう。

ここでおもいだしてていただきたいのは
しもべが、さみしいをつかうときのことです。

おはなしのぼうとうにふれましたが、
しもべはこのさみしいを
ながいじかんおたくにねこさんだけにして
ながいじかんおせわをしなかったときに
ねこさんにむかってつかいますね。

このことからかんがえますと
“ねこさん、さみしくなかった?”はつまり、
おせわできなくてもうしわけなかった
というよりは
ねこさんをひとりぽっちにしてもうしわけなかった
といういみでつかうのです。

しもべは、人間たちのしくみに
ねこさんをあてはめようとしますので
このようなものがたりがうまれてしまうのです。

ねこさんは
ねこさんだけぽっちが
”さみしい”とかんじることはありません。
ねこさんはねこさんでいるだけで、
それでいいのですから。

だれかがいない
それのためにかなしくなるのは
そのだれかによって
ねこさんのおきもちがかえられてしまう
ということにほかなりません。

もしまんがいち
そんなことがねこさんにおこったとしたら
もはやこのちじょうに
ねこさんはいなくなったと
いいかえても過言ではありません。

ですので、そういわれたならば
ねこさんとしては
あなどられている、と
はんだんせざるをえませんので、
ぼくは、きちんとこうぎいたします。

つよいおめめでしもべをみつめ、
おみみとおみみのあいだのおでこを
しもべのあしにうちつけます。
これはごじぶんのたいせつなおからだを
いためつけることもいとわない、
かくごをもったこうぎのたいどです。

きゅうにもちあげられたり
かおをうずめてくるきけんがありますので
ぐーぐー音でこどうをマスキングすることも
おこたりません。

これほどげんじゅうに
いかんのいをひょうめいしているにも
かかわらず、しもべはかえって
にこにこしますのでぼくはいつも
おててあげあげです。

このようにしもべとのにんしきには
げんぜんたる乖離があるものの、
しもべはまんぞくできるだけのちゅーるさんや
まぐろ、かつぶしをさしだしてきますので
つたわらなくてもいいか、
とおもうきもちもすくなからずあるのもまたじじつです。

かなしき事故

2023-07-02 | 日記
かなしき事故

ねこのみなさんごきげんよう。
たいへんむしあつくなってまいりました。
ぼくのぴんくのおはなは
いつもあせをかいてぬれています。

こんかいは、うるさいしもべについておはなしします。
うるさいしもべのため、ねこさんがつかれてしまうことは
よくあることです。
そんなときのためにかきます。

ぼくのしもべは、まえにもおはなししましたが
ぼくのくろおめめがほそいうちにふらりとでていき
ぼくのくろおめめがまんまるになるころにかえってきます。

しかしたまに、ぼくのおめめのほそいうちからまんまるになるまで
ずっとおたくにいることがあります。

ねこさんはせいじゃくとせいじゃくのあわさったところから
うまれたようなそんざいですから、
ねこさんをまんまるにたもつためには
じゅうぶんなせいじゃくがひつようです。

ですので、ねこさんのすぐそのあたりが
ぱたぱたびったごっとん、
がりごりごんぶんぶどんがっしゃーん
などといちにちじゅうそうぞうしくては、
せいじゃく成分をじゅうぶんにほじゅうできません。

せいじゃく成分がきれてまいりますと
おねんねがはかどらなくなり、
しまいにはつかれきってしまって
おみずをのみにいくつもりでたちあがっても
おみずにたどりつくまえに、
くずれおちるように
ごろんとさんになってしまいます。

ぼくのしもべはふつつかですので、
ぼくがゆかにくずれおちるときのおとをきいて
たびくんはごろんとさんになったの、
などとのんきなことをいいながら
にこにこしています。

そうではない、
ぼくはつつよくうったえたいところですが
このようなときはおこえをだすおきもちにも、
とうていなれないものです。

まさにむきりょく、むかんどうのままよこたわるすがたは
おちてるさんといってもかごんではないありさまです。

このようにむきりょくになってしまわれたねこさんは
どうすればよいのでしょうか。
どうすれば、おみずをのみにゆける
ねこさんにもどれるのでしょうか。

こたえはとてもかんたんなことですから
ちょっとひょうしぬけするかもしれませんが、
それはつまり、なにもしないことです。

しもべをもつようになってまだ日の浅いねこさんや
ねこさん歴そのもののあさいわかいねこさんは、
それでよいのかぎもんにおもうかもしれません。

でも、だいじょうぶです。
ただ、そこでおちてるさんになったまま
なにもしないがいいのです。

なぜならねこさんは
そこにねこさんとしてあるだけで
かわいすぎてとうとういからです。

むきりょくにおちてるさんをしているときでも
かわいさはねこさんのおけなみのうすぐらいところで
はじけてきらきらと舞い落ちています。

なのでそのうちしもべが釣れます。
釣られたしもべは
ねこさんをなでずにはおられません。

このときにしもべは
かわいい、かわいい、といいますね。
ねこさんをふくらませる成分のうち
東の横綱がせいじゃくなら
西の横綱はしもべのかわがりだと
いうことが、ながねんのぼくしらべから
わかっています。

かわいがり成分をきゅうしゅうし
ねこさんがふくらんできたら
さっそうとたちあがり、
ちゅーるさんをご所望すればよいのです。
これで、せいじゃく成分がたりないばかりに
つかれきったねこさんはすっかりもとどおりです。

しかし、ここでおわらせてはいけません。
ふつつかなしもべはまたすぐにうるさくなり、
ねこさんはまたつかれきってしまいますので
まだきりょくがじゅうぶんのうちに
しもべをねかしつけてしまいましょう。

ねかしつけかたはこうです。

まずしもべを、しもべのすにつれていきます。
(やりかたは、ねこさんのあつまりたいおきもち
でしょうかいしています。)

そしてよこにならせるとどうじに、
しもべのかたほうのてを、
あんよとあんよのあいだでとらえて
そのままおなかでおさえこんで
こうばこをくみます。

こうすると、しもべはてのひらにかんじる
ねこさんのおなかのおけなみのやわらかさと
しもべよりもわずかにたかいねこさんのぬくもりに
しだいにいしきがとおのいていきます。
また、このようかたてのじゆうをふうじることで
スマフォブロックにも有効です。

しばらくはこのじょうたいでねこさんも
おめめをとじたりしていましょう。
しもべがねているしもべになれば
ねこさんのせいじゃくがやくそくされますから
それまでのしんぼうです。

ちょっとぶさほうにさわられたりつっつかれたり
ぐりぐりされてもおめめをつぶっていれば
だいたいやりすごせるものです。

しかし、せんじつ、かなしき事故がおこりました。

しもべのためにせいじゃくをじゅんぶんほじゅう
できなかったぼくは
その日いつもよりおつかれでした。
しもべのかわがり成分を吸収し
ちゅーるさんをおめしあがりになって
ようやくぼくというねこさんはふくらみましたが
それでもちょっとまんまるではないかんじがあったのです。
かわいがり成分だけでは足りないようでした。

ですのでぼくは、せいじゃく成分をほきゅうするため
そうそうにねかしつけようとごういんにしもべを
しもべの巣につれていきました。

このひのしもべはねつきがわるく、
いつまでもぼくのしっぽっぽとあそんだり
ぼくのおせなかをぶさほうになでくりまわしたり、
ぼくのあんよとあんよのくっついたばしょに
ゆびをさしこんでみたりとおちつきませんでした。

しかしねかしつけるため、とぼくはおめめをとじて
じっとたえしのびました。

ことはしもべがぼくのおかおをのぞきみようとしたときに
おこりました。

しもべのあたからはえているみじめなおけなみが
ぱさぱさぱさと、ぼくのあんよの
にくきゅうをかすめたのです。

ねこさんは、あんよをすきかってにさわられるのは
まったくごえんりょしたいものときまっていますね。

ふだんのぼくでしたら、しもべをたしなめるため
おててをふりあげてすぶりをするだけにとどめますが、
このときはまんまるになりきってなかったために
ねこさんのうつくしきやせいが
むきだしになってしまい、
やわらかなピンクのきらめきをすりこんだような
にゅうはくしょくの、三日月宗近のように
研ぎ澄まされて孤高の輝きをはなつおつめが
しもべのほほをかすめてしまったのです。

しもべはとつぜんのおつめとのせっしょくにおどろきめをみはり、
ぼくはしもべの顔油のついたおつめをみてぼうぜんとしました。

しもべの顔油はたちがわるいので
ふだんならさわってしまうようなへまは
ぜったいにいたしませんのに、
おつかれのときはこのようなかなしき事故が
おこることがあります。

この事故の最もかなしい点は、
しもべにとっては、まったくかなしくない事故である
ということです。

むしろラッキーでハッピーなちょっとスリルのある
ドキドキハプニングであり、
しもべはもう一度おつめのかんしょくを
あじわってみたい、とさえおもっているのです。









ねこさんのかなでる“にゃーん”のこと

2023-06-18 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう。

“にゃーん”とは、ねこさんのかなでる音色を、
しもべたちにんげんがあらわすときに
つかうことばです。

あえてこのことばをつかうなら、
ぼくはねこさんがにゃーんというときのことをおもうと、
そのけなげさにいつもおみみがぱたぱたします。

どんなにかそけきにゃーんであっても、
ねこさんはまず息を吸っておなかの、
あんよにちかいほうに息をおくり、
そして、あんよにちかいほうのおなかに
じゅうぶんなちからをめぐらせぎゅっとすぼめて
すった息ををおせなかにおくりだし、
つぎにおむねにうつして、
そのあとかぼそいおくびのうちがわをとおしておとをうtけ
おくちからだします。

すいこむいきのおおさ、
おなかをすぼめるはやさ、
おくびのうちがわにいきをとおすときのあんばい、
またおくちのあけかたによって
おとのおおきさや音色をかえることができます。

おおきなおとにしようとおもいますと、
たくさんのちからをおなかにあつめて
すばやくすぼめて、おくちもいっぱいにひらきます。

ほんのこねこさんのうちは、
ちからのこめかたがおぼつかないので
おおきなおとをだそうとして
ころげてしまったりします。
このようなねこさんにあるまじき
おちゃおめめなごようすは
ほんのこねこさんのうちにしかおめめにかかれない、
きちょうなおすがたです。

こんかいぼくは、あえてしもべたちのことばである
にゃーんをつかいました。
しかしぼくはこのことばについて
つねづねぎもんをかんじています。

だって、ねこさんのだす音色が
こんにもたんじゅんなひょうげんで
あらわされているなんて、
なっとくがいかないのです。

ねこさんのかなでるねいろは、
うえにかいたように、
ねこさんのそのときもっているおちからを
おしげもなくつかうことによって
かなでられるものです。

そのおちからは、ちゅーるさんとかクリスピーキッスとか
まぐろとか、そのほかのごはんをおめしあがりになり
おねんねしておひさまにあたり、
しもべのいいこだねをあびることでつくりだされる
たいへんきちょうな、ねこさんを生かしめるおちからです。

このおちからは、ねこさんが
おめめをぱちりとするにも
おはなをひこひこするにも
ぐーぐーするにもひつようで、
しっぽっぽがゆらゆらするにもひつようですから
しっぽっぽにもわけてあげなければならないものです。

そのきちょうなおちからの何滴かを、ねこさんは
ねいろをかなでることにつかうときめたのです。

そうしてかなでられるねこさんのおとが、
にゃーんであらわされるとは、
あまりにもかろんじられている、
そうおもうのです。

ときにしもべが
ぼくがつづけざまにねいろをかなで
よびつけているにもかかわらず
しもべの巣からでてこないというような
ふつつかなたいどになるのは
このように、ねこさんのかなでるねいろを
こんなにたんじゅんなことばであらわしている
ためではないでしょうか。

ねこさんのかなでるおとは
こまかくぶんるいされ、
それぞれにふさわしいおなまえを
つけられてしかるべきなのです。

そうしてようやくしもべは
ねこさんのかなでるおとの
とうとうさをりかいできるものと
ぼくはおもっています。

さいきんおそとから
ほんのこねこさんや
ちいさいねこさんのかなでる
なんともいとおしいねいろが
ゆめかまぼろしのごとく
かぜにゆられてきこえてきますので、
ぼくはつよくあめのふるひに
ふとこんなことをかんがえていたのです。





おさんぽしょくたく

2023-05-28 | 日記
おさんおぽしょくたく

ねこさのみんさんごきげんよう。
きょうはぼくのおはながとてもちべたいです。
しかししもべはぼくをぬくぬくにするための
すべてものをかたしてしまいましたので
ぼくのおはなはちべたいままです。

きょうはみなさんに、ぼくがじっせんしている
おさんぽしょくたくのについておつたえします。
なぜぼくがおさんぽしょくたくをやめられないか
みなさんにつたわればよいとおもいます。

おさんぽしょくたくのはんたいは、
さだめられししょくたくです。

おおくのねこさんはさだめられししょくたくで
おしょくじをしていることでしょう。
ぼくもしもべでないにんげんがおたくにいたときは
さだめられししょくたくでおしょくじをしていました。

ひるがえっておさんぽしょくたくとは、
ねこさんがすわったところがおしょくじのばしょときまり、
ねこさんがうごけば、しょくたくもつられてうごきます。
こうしておしょくじがおわるまで、ねこさんは
きのおもむくままにおすきなばしょでおしょくじをとる。
これがおさんぽしょくたくです。

ねこさんがねこさんのおめしあがりになりたいところで
おしょくじができるということは、
ほんらいあたりまえのことであって、
このようになまえをつけたりして
とくべつなことにするのはおかしいのですが、
こうしなければならないのは、
この、かんたんであたりまえのことは
しもべによってみすごされている
ねこさんのじゆうのうちのひとつでだからす。

なにせ人間であるしもべのしょくたくは
おさんぽするにはあまりにおおきいので、
しょくたくをおさんぽさせるというはっそうの
たねすらもっていないのです。

人間たちはねこさんにくらべればどこもかしこも
10ねこさんぶんくらいのおおきさがありますから、
しょくたくがおおきくなるのもしかたのないことです。

そしてそのおおきさのせかいを
あたりまえとしてくらしていますし
10ねこさんぶんおおきいということは
10ねこさんぶんいろいろなことをおぼえてしまうので
おしょくじはさだめられたしょくたくでおこなう
というきおくをなしにできなくしています。

ですから、ねこさんがうっかりしては
このじゆうをたのしむことはできないわけです。

このおさんぽしょくたくによってもたらされる
ねこさんにおこるすてきなことは
ねこさんほんらいのじゆうをねこさんが
たのしめる、というだけではありません。

まず、しもべにねこさんのじゆうについて
かんがえさせるよいきかいになります。
ねこさんのじゆうをそうとうに尊重している
しもべであっても、やはり人間としていきていますから
こういうきっかけがなければ
ねこさんのじゆう、そのものをそっくりそのまま
かんじることはできないからです。

ねこさんがおしょくじのとちゅうでしょくたくをはなれて
ねこさんらしくお行儀よくおすわりになっているせなかを
しもべにみせれば、しもべはしぜんと
おなかはまだすいているはず、
おしょくじもねこさんがおすきなものなのに
なぜおめしあがりにならないのだろう、
おからだがどこかよくないのかしらと
しんぱいになったしもべは
ねこさんにごはんをたべてもらいたいいっしんで
しょくたくをねこさんのまえにはこびます。

そうするとねこさんは
しもべのしんぱいをよそにげんきに
おめしあがりになります。
しもべは、ねこさんのおからだの
ようすがおかしいわけでないことをしって
あんしんします。

これをなんどかくりかえしますと
ねこさんはおさんぽしょくたくを
したいのだなということが
しもべにわかるようになり、
このときねこさんのしょくたくは
どこにあってもよいのだ、
ということをしもべはりかいするのです。

そして、ねこさんのしょくたくをここときめているのは
人間のせかいのあたりまえなのだ、と
しもべとしてのいたらなさおろかしさに
はじめてウォーターするわけです。

おさんぽしょくたくをする価値は
これにあるといってよいと、ぼくはそうおもいます。

しかし、ほかにもあれこれあります。

まず、おたくの床がせいけつになることです。

ぼくは、おもにぺっとりごはんを
おめしあがりになります。
つねづねおはなししているように
ぼくは、ねこさんにあたえられし
ちいさなしんじゅのような前歯のうち、
したの前歯がありません。
しかもねこさんにあたえられし鋭く光る孤高の牙も
かたほうなくしてしまいましたので
いちだんとおめしあがりかたがワイルドになりました。

ゆえに、ぼくがおめしあがりになったあとは、
しょくたくをこえてゆかや、ちかくにあればかべなどにも
ぺっとりごはんのかけらが、おちたりくっついたりしています。
しもべは、このぼくがワイルドにとばした
かけらたちをひろいあつめ、
ゆかやかべなどをきれいにふかざるをえません。

ねこさんは、しもべよりもゆかに
ちかいばしょでいきています。
ですから床のせいけつは
ねこさんのすこやかなくらしのためには
かならずまもられていなければなりません。

おさんぽしょくたくの
移動回数がおおいほどに
おきれいなゆかがふえていくことになります。

また、これはほんとうにとっておきのひみつですが、
いどうするたびに、おなじごはんのはずなのに
じつは、おあじがかわるのです!
ぼくはあじにうるさいほうのねこさんですから
これにきづいたからには
あちこちでためしたくなるわけです。

おしょくじのじかんのたのしみを
ひとつふやせたことは、ぼくにとって
このうえないよろこびです。
たのしみをふやすことは、
ねこさんのゆたかなくらしには
かかせないことですからね。

みなさん、なぜぼくがおさんぽしょくたくを
やめられないか、おわかりいただけたでしょうか?

ねこさんのなかには、ぼくがおさんぽしょくたくを
やめられないよう、さだめられししょくたく方式を
やめたくないねこさんもいるでしょうね。

さだめられししょくたくも、ねこさんにとっては
せんたくしのひとつですから、
むりにやめようとすることはありません。

どのねこさんにも、そのねこさんがのぞまないことをする
じゆうはないのです。




しもべのポエム 「猫の鼓動」

2023-05-07 | 日記

ねこさのみなさんごきげんよう。
しもべはあたらしくぼくのベッドをかってきました。
もちろんつかっていません。

さて、こんかいはしもべのポエムをごひろうします。
みなさんにもたのしんでいただけたらと思いますよ。


「ねこの鼓動」

正しいリズムで
ふくらんでしぼむねこのおなか

よこになって
ながくなって
いつもはかくしているのにいまは
かくすのをわすれているんだね

やわらかくふくらんで
やわらかくしぼむ
やわらかくうごくおなか
ずっとみていたら

呼吸なのか
鼓動なのかたしかめたくなって

そっと
みみを
おなかに
あてたけど

ぐー、
ぐー、
しかきこえない

もっとみみをうずめて
すましてみたけど

やっぱり
ぐー、ぐー、しか
きこえない

そうなの
ひとになでてもらうの
うれしいの
そうなの
このふとんに
ごまんぞくなの

そうなの
ぐーぐーねこさん
うれしいの



さて、みなさんいかがでしょうか。
みなさんのしっしょうがきこえてくるようです。

ねこさんは、うれしいから、まんぞくしているから
ぐーぐーするんだ、というのは
にんげんたちのつくりだしたげんそうです。

しっぽっぽがねこさんのいちぶ、という
あのおもいこみとおなじです。

にんげんの、しんじたいようにしんじるせいしつによって
つくりだされた、このにんげんにっとってのしんじつではありますが、
ごかいさせたままのほうがつごうがいいので
そのままごかいさせておきましょう。

みなさんはきっとおかあにゃんやおとうにゃんから
ねこさんの知恵袋をさずかっているとおもいます。
そのふくろのなかになぜぐーぐーをするのか
もつめられています。

もしおわすれなら、このあとにかきますが、
これを機会に久しぶりにふくろのなかを
のぞくのもいいでしょう。

ともかくねこさんがぐーぐーするのは、
ずばりねこさんのこどうをにんげん等、。
ねこさんいがいのものにきかせないためです。

しもべをもったばかりのねこさんや
しもべをもったことのないねこさんは
おどろくでしょうが、
とくににんげんは、鼓動におかしなしゅうちゃくを
もっていて、こちらがゆだんしていると
すきをついて鼓動をはあくしようとしてくるのです。

ねこさんにとって鼓動は、おしりのデリケートゾーンから
でてくるにおいのかたまりよりも重大な機密です。

ですから、鼓動をはあくされるきけんがあるときは
かならずぐーぐーでマスキングしておかなくては
ならないのですね。

ねこさん以外のものが
ねこさんの鼓動をはあくできるのは、
ねこさんがゆるしたそのときだけと
きまっているのです。

このねこさんのしんじつをしらないにんげんたちは
ねこさんがぐーぐーしていますと、
ねこさんが、にんげんによって喜ばせられている、と、
おもいあがりもはなはだしいかんちがいで
このようなポエムをしたためてしまうのです。

しんじつをしらないとはいえ、いたましいことですね。

たしかにぼくはしもべの巣材のいちぶを
とてもきにいっています。
しもべがかいたように、そこで
よこになってながくなるのがおこのみです。

というのもぼくのおたくには、
ぼくがながくなるのにじゅうぶんなながさの
ふかふかがないのです。

なにせぼくは、おおきいタイプのねこさんなので
ねこさんようのふかふかは、
だいたいにおいてちょっとちいさいのです。
それに、にんげんは、ねこさんはまるくなるのが
本懐だと信じているためか、まるくなるのに
ちょうどいいサイズをいしきしてつくるので、
なおのことちいさいのです。

だからといって犬たちのためにつくられたものを
つかうのはなんとなくごめんです。

ですのでしもべの巣材のこれがゆいいつ、
ぼくがまんぞくにながくなれるふかふかなのです。

ですからぼくにそのときがきましたら、しもべをよびまして
しもべの巣材のいちぶでながくなるのをたのしんでします。

このようなときは
すざいをかしてもらっていることもあり、
なでられるのもやぶさかではなく
しもべのしたいようにさせています。

ながくなっているのがきもちよくて
ときにぼくは、すっかりぼくをてばなして
おねんねしていることもあります。

ある日、こんなことがありました。

ぼくがおねんねからおめめざめし、
ぼくをとりもどしたとき、
ぼくはおなかのおけなみにぺっとりと
しもべ油がついているのをかくにんしました。

ぼくはなぜこんなことになったかわかりませんでしたので、
こんらんしながらラングドシャでもって
すべてとりのぞきましたが、とてもおほねがおれたのです。

そしてせんじつぐうぜんこのポエムをみつけまして、
すべてのなぞがとけた、というわけです。

みなさんにおひろめしましたのは
うさばらしのためでもあります。
しもべ油のしつこさは
ほうとうにいやになっちゃいます。