猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

みやびやかなぼくというねこさんのみやびやかなおもちゃ

2023-04-27 | 日記

ねこのみなさんごきげんよう。
ここさいきんのおひさまの力強さにぼくは
とうとさをかんじ、ぼさつのようなおかおになって
いることがしばしばです。

ぼくのおもちゃのことをたびたび
ごしょうかいしていますが、
こんかいごしょうかいするのは
たいへんみやびやかなおもちゃのことです。

。。。。。。。。。🐈‍⬛。。。。。。。。。。。。🐾。。。。。。。。。

ぼくのみやびやかなおもちゃは、
ねこさんのおててでもって打ち飛ばすのに
たいへんつごうの良い大きさです。

このてんにおいてもたいへんみやびやかですが、
このおもちゃは、うちとばすたびに
ねこさんのあそびおこころをくすぐる
みやびやかなかおりをはなつてんにおいて
みやびやかさではならぶものはないおもちゃです。

いつもはしもべが、しかるべきばしょに保管していますので
ぼくはすっかりそのそんざいのことをわすれているのですが、
ぼくがしもべをひんぱんによびつけるときにかぎって、
しもべはそのみやびやかなおもちゃをもちだしてくるのです。

みやびやかなおもちゃがはなつかおりには
ぼくをひきつけてやまず、
ぼくは
しもべをよびつけていたりゆうをまったくわすれてしまって、
おもちゃをうちとばすことにむちゅうになってしまうのです。

ぼくがとくにこのおもちゃをきにいっているのは、
ぼくが一生懸命あそべばあそぶほど、
おたくがみやびやかなかおりでみたされていくためでもあります。

ねこさんはしもべよりもいろんなにおいが
わかってしまいますから、おおかぜのときですとか
じゆうねこさんがほんのうのめいずるところにより
こねこさんをうましめるための化学反応に
いそしんでいるとき、またはしっけがおおくなり
いろんなものが息をしはじめるときなどは、
においがだいこんざつしてだいがっしょうですので
しもべがうたうよりもうるさいことがあります。

そのようなばあいでも、このみやびやかなおもちゃで
ぼくがあそびさえすれば、おたくのかおりは
みやびやかなかおりだけになり、
うるさいのはしもべのうたごえだけ、
なんとかおねんねできるようになります。

さてこのように、たいへんちょうほうなこのおもちゃ、
じつはたいへんなれきしあるおもちゃなのです。

ねこさん界でもけんいのあるれいの出版社による
ねこさんの歴史教科書『詳説ねこさん史』には、
このみやびやかなおもちゃは、
ねこさん史上、この日本ではじめて貴族となった
みょうぶのおとどさんによりみいだされた、とあります。

きぞくとは、とりわけみやびやかにいきることをさだめられた
にんげんたちのことで、みやびやかをうみだすにんげんともいえます。

おとどさんは、みやびやかなにんげんのうちでも
もっともみやびやかなにんげんをしもべにもちました。
おとどさんのおたくは、
みやびやかいがいのものはそうぞうすらもできない、
みやびやかがわきでるいずみのようなおたくです。

ねこさんにはたいへんおにあいのおたくですが
しかし、しょうしょうたいくつなおたくと
いわざるをえませんでした。

というのも、このおたくには
らいおんさんのふりができるようなたかいところもなければ、
こっそりおからだをひそめるすきまも、
あけるとほりほりができるひきだしやとびらもなく、
またじゅうぶんにもふもふしたものもありませんでした。

おもちゃといっても、ほんもののねずみやらむしといった、
やせいみあふれおもちゃはたくさんありましたが、
おとどさんはみやびやかなしもべのもとでうまれましたので、
そういう、やせいみあふれるおもちゃはちょっと
ごえんりょしたい、とおもっていたのです。

そのようなきびしいかんきょうのなか、
おとどさんがみつけたあそびは、
しもべの着脱可能なけなみのうちがわに
かくれてあそぶことです。

このころのみやびやかな種類のにんげんのけなみには
とにかくすきまがたくさんありました。
5ねこさん、6ねこさんくらいはゆうに
かくれんぼすることができたといいますから
おどろきです。

また、あっちからはいったのにこっちからでられたり、
もぐりこんださきでは、おねんねにもさいできな、
うすぐらくせまいところもあったりしたようです。

おとどさんも、ほかにたのしむものがありませんから
しもべのけなみのうちがわで
あっちにいったりこっちにいったり
ずばばっとかけのぼったりしておたのしみだったあるひ、
しもべのしもべの、腹のあたりから
みやびやかなかおりがすることにきづきました。

おとどさんは、それがなにかしりたくて
おはなでもっとくんくんし、
おててでもってほりほりしました。

しもべのしもべは、奇妙な声をあげたようです。
それでもほりほりをやめないおとどさんをしもべは
あろうことかおさえたり、とりだそうとしたようですが、
おとどさんはけっしてあきらめませんでした。

みやびやかなかおりのしょうたいをつきとめたいという、
しんしなおもいのめいずるまま
りょうのおててでほりほりするうち、
しもべのしもべはついにけなみのおくから、
みやびやかなかおりのするちいさなふくろをとりいだし、
ぽいっとゆかにほうりなげたのです。

ちいさなふくろはねこさんずきのするようすで
ころんこてんところがっていくのをみたおとどさんは、
ついにやせいみのあふれないおもちゃに
であうことができた、とこういうわけです。

このみやびやかなおもちゃは
にんげんたちのあいだでは
にほひぶくろとよばれ、いつのまにか
ねこさんのためのおもちゃだったことが
わすれられてしまし、
現在はねこさんようのおもちゃうりばではないところで
うっていると、わかっています。

きょうみのあるねこさんは、しもべが
ねているしもべになっているときに、
みみもとでかってくるようにささやきましょう。

きっとしもべは、ねこさんがささやいたこととは知らずに
それでもかならず、ねこさんにために買ってきますよ。

こちらは、ぼくがじっさいにみやびやかなおもちゃを
たのしんでいるごようすです。


ねこさんくさのあんてい供給をじつげんしたぼく 後

2023-04-09 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう。
ぼくはいつだってほんきですよ。

さっそくぜんかいのつづきをはじめましょう。

*****************`x´***************************
ねこさんくさのもとからはやすばあい、
ねこさんくさキットというものをかってくる方法
ねこさんくさのたねとつちとうつわをかってくる方法
みずをそそげばねこさんくさがはえてくるまほうのふくろを買ってくる方法
の3つがあります。

しもべには、まずキットを買ってくる方法をじっせんしてもらいましたが、
こちらは、手間のわりにいっこあたりのお値段がたかいので、
これなら、だれかがはやしたねこさんくさをかってくる方がいい、
としもべはおもったのですぐにやめになりました。

そのご、ねこさんくさのたねとつちとうつわをじっせんしてもらいました。
このほうほうの最大のメリットは、お安いということです。
しかし、めんどくささでいえば、
かってくるのがにしのよこづななら
こちらはひがしのよこづな、といえるほど
めんどくさいほうほうです。

かってくるよりも、こちらのめんどくささのほう
かくうえなのはなぜかといいますと、
おもいだしていただきたいのは、
ぼくのしもべは、めんどくさがりなだけでなく
ぶきようなしゅるいのにんげんだということです。

ねこさんくさをはやすじゅんびをするとき
しもべはつねにめんどくさいな、おもっています。

そんなふまじめなきもちですから、つちはうつわからはみでますし
みずでふやかした種の大半をながしにこぼしてしまいますし
まいかいまいかいじゅんびのたびにおおそうどうです。

それですから、ねこさんくさがはげやまとなっても
つぎのねこさんくさのじゅんびをさきのばしにします。

ぼくはきりぼしだいこんをさらに
ひからびさせたようなねこさんくさを
めしあがるほかなくなったことは
1どや2どではありませんでした。

このときぼくは、
ぼくというねこさんが
どういうおきもちできりぼしだいこんのような
ねこさんくさをおめしあがりになっているか
わからせるため、しもべがさしだした
きりぼしだいこんをじっとみつめてから、
どうやってめしあがればよいかわからない、
とでもいうのだろうか、というごようすで
さもたべにくそうに、つまらなさそうに、
ぼそ、ぼそとおめしあがりになります。
しもべにざいあくのいしきをうえつけるのです。

このぼくのおもわくは、いっていのこうかは
ありますが、しもべのめんどくさがりは
たいへんくっきょうでして、ぼくのあわれなおすがたで
もってしても、きりぼしだいこんを
たべるはめになることはなくなりませんでした。

たねとつちとうつわでねこさんくさをはやすのと
同じくらいにおやすく、それでいておてがるに
ねこさんくさをはやせるほうほうをみつける
ひつようがありました。

さいごの、まほうのふくろについてですが、
これはじつは、キットよりもさきに
じっせんしてもらったことがありました。
しかし、あまりよいねこさんくさがはえなかったものですから
そうそうにとりやめになりました。

ところが、しもべは、よほどたねとつちとうつわが、
いやだったのでしょう。
めんどくさがりのきわめつけですので、
すこしでもめんどくさくないほうほうを
いっしょうけんめいにかんがえたようです。

それで、しもべは
このまほうのふくろからねこさんくさのはえるところを
とりだすことにしたのです。

しょうじき、ぼくはしもべの正気をうたがいました。
ふくろがまほうなのに、とおもっていたからです。

しかし、しもべはただしかったのです。
しもべはねこさんくさのはえるところを
とうみょうというくさをはやすために
かってきた容器にいれてみずをジャーっとやりまして、
くらいところにとじこめました。

するとどうでしょう。

ついにいきいきとしたねこさんくさが、
わさわさとはえてきたのです。

それをしったときぼくは、
ねこさんがいもなく
はしゃいでしまいました。

ふくろのなかにいれたままにみずをジャーっとやると
ねこさんくさのはえるところに
くろきもやもやたちがはびこることに、
そしてこのくろきもやもやたちが
ねこさんくさがそだたないようにしていたのです。

しもべは、めんどくさいあまりに、
いつもではかんがえられない観察力を
はっきしたのでした。

これだけかんたんですと
ぼくのしもべであっても、ねこさんくさを
供給するサイクルをまもることができます。

こうしてぼくのねこさんくさライフは
じゅうじつしたものになったのです。

めんどくさがりははっけんのおうさま

ぼくはいつかどこかで
こういったねこさんがいたことを
おもいだしましたのでした。

ねこさんくさのあんてい供給をじつげんしたぼく

2023-03-26 | 日記

みなさん、ぼくはついに、
ねこさんくさの安定きょうきゅうを
じつげんいたしました。
ぼくはまいにち、ぼくのこころゆくだけねこさんくさを
めしあがることができるのです。

ねこさんがのぞんだことは、おそかれはやかれ、
そのとおりになるのがこのよのことわりですので
まるでごじまんするようなことでもないのですが、
たまにはしもべのおてがらもごひろうしよう、と、
そういうわけなのでおひげがかわくのをまつあいだの
たいくつしのぎにでもおつきあいください。

🐾・・・・・・・・・・・・・・º–º•・・・・・・・・・・・・・・・・・・🐾

ねこさんくさをあんてい供給するには
ねこさんくさサイクルをかくりつさせねばなりません。
いまあるねこさんくさがきいろくなるころに
つぎのねこさんくさがたべごろになっているよう
じゅんびしておけば、つねにねこさんは
ねこさんくさにごまんぞくできます。

かんたんなことのようにおもえますが、
どうしてなかなか、これがむずかしいのです。

というのも、ねこさんくさはそのときどきにより
食べごろにそだつまで、食べごろの期間、
きいろくなり、しまいに切り干し大根になるまでの
ながさがちがうのです。

ですので、つぎのねこさんくさのじゅんびを
はやまりすぎても、のんびりしすぎても
ねこさんくさをただしくじゅんびすることは
できません。

ですのでしもべはまずもって、
ねこさんくさのうつろいを
よちするちからをかくとくすることから
はじめなければなりません。

ただ、このなんかんしもべがとっぱしたからといって

それであんてい供給がじつげんするわけでもないのです。
だって、そのちからをつかうのはしもべなのですから。

ぼくのしもべのことでいいますと、
このサイクルの確立のさいだいのなんかんは、
しもべのめんどくさがりでした。

しかし、このめんどくさがりこそが
さいだいのなんかんを突破するかぎでもありました。
めんどくさがりにはじまり、めんどくさがりにおわる
さしずめそんなところでしょう。

めんどくさがりとは、人間のせいしつをあらわすことばで、
たとえば

・ごみをだしたあとのごみばこに
 ちっともあたらしいごみぶくろをかけようとしない
・せんたっきがおわりましたよとおしらせしても
 いっこうにせんたっきのなかみをつるさない
・つるされたせんたっきのなかみはずっとつるされたまま
・でんちのきれたとけいはいつまでもとまったまま
・たべるくだものはもっぱらバナナ、みかん、いちごにがきられる
・あげものはぜったいにしない
・せんざいでもなんでも、のこりがすくなくなるととたんに
 ちょびっとずつしかつかわないようになる
・ごはんは、おこめもおかずものみものもひとつの
 うつわにいれるのが流儀

うえにならべたようなこうどうをするのにんげんのことを
めんどくさがりといいます。・

ぼくのしもべは、いぜんからおはなししているとおり
このようなせいしつをきわめているタイプのにんげんですが
ぼくのおいいつけはそこなわずおこないますので
ぼくの、どりょくがいかほどであるか
おわかりただけるとおもいます。

このようなしもべのせいしつが
ねこさんくさサイクルの確立をはばむのは
なぜでしょうか。

めんどくさがりなせいしつのばあい、
つぎのねこさんくさをじゅんびするとのはいまこのとき
とよちできたとしても、そのじゅんびを
なにかとりゆうをつけて
あとまわしにするためです。


ぼくのしもべがつぎのねこさんくさをじゅんびする方法は、
だれかがはやしてくれたねこさんくさをかってくるか
ねこさんくさのもとをつかってしもべがはやすか
おおきくいうとこのふたつです。

さいしょの、だれかがはやしたねこさんくさをかってくる
というのがいっぱんてきには、いちばんかんたんとおもわれます。

しかし、めんどくさがりなしもべにとっては
まったくかんたんなことではないのです。

まず、めんどくさがりですから
ねこさんくさをかいにいくことそのものが
めんどくさいわけですね。

ですので、かいにいったほうがよいと
よちしたそのひにかいにいくことはありません。

それから3日ほどたってから、
あれもこれもそれもかってこなければならぬので
よし、ねこさんくさをかいにいこうときめます。

そうきめて2日後くらいに
しもべはようやくかいにいくわけですが、
あれこれかってくるものがありますから、
かんじんのねこさんくさを
買ってくることをわすれます。

それでやはりめんどくさがりですから、
ねこさんくさをかってくるためだけにはでかける
つもりはありません。
ついでにかうべきものをおもいえがくまで
かいにゆきません。

こうなると、ぼくはしばらく
切り干し大根様のねこさんくさをめしあがる
覚悟を決めます。

しもべがつぎにかいにいくときには
いまのねこさんくさのさきっぽが
きいろくなってきたころですが、
だいたいにおいてそのばあいには
たべごろのねこさんくさはおみせに
うってない、というのがさだめです。

かいにいくほうほうの、いちばん御し難い点は、
かいにいったばしょに、どんなねこさんくさがうってあるのかが
いってみなければわからないところです。

たべごろのねこさんくさがあるのか、ないのか
それはかけのようなもです。

そしてだいたいぼくのしもべはこのかけに負けますから
ぼくはしなびて切り干し大根様のねこさんくさを
うけいれるしかなくなります。

いちばんかんたんにおもえることが
ぼくのしもべにとってはもっともむずかしいことの
ようでしたので、ぼくはしもべにべつの、ねこさんくさの
もとからはやすほうほうをごていあんしたのです。

さて、ながくなりましたから
このつづきはじかいにいたしましょう。


しもべのいうところのまたたびちゅうどく

2023-02-25 | 日記

ねこのみなさんごきげんよう。
ぼくのうちなるライオンさんは
いままさにときをむかえ、
ぼくにさえとどめることはできません。

うちなるライオンさんは
おひさまのちからとともにおめめざめして
おたけびしかけまわることもあれば
やみにまぎれてながれこむまがまがしきけはいに
するどくいかくしとびまわることもあります。
ですのでぼくの声帯とおひざはそろそろげんかいです。

さてこのたびおはなしいたしますのは、
またたびにたいするしもべのたいどについて
ながねんおぼえてきたいわかんについてです。
そのいわかんの正体がようやくわかりましたので
ごひろういたしましょう。

*。・.゜:゜。*・†゜・゜:゜🐾`∞´・˚。:..*・。.:*゜。

しべがぼくからまたたびをとりあげるとき
いつも「またたびちゅうどくになるといかんで、もうおわり」
といいます。

また、ぼくがまたたびをけはいをさっちし
またたびのほんたいをたんさくしていますと
「きのうまたたびしたでしょ、ちゅうどくになるできょうはなし」
といったりして、そういうときはかならず
またたびほんたいにそうぐうできません。

ぼくがいわかんをおぼえていたのは、
またたびちゅうどくになる
という、このいみです。

ぼくもしもべをもって16ねんほどになりますから
このちゅうどく、といういみもこころえています。

ちゅうどくとは、それがないとごじぶんで
ごじぶんをつかまえておけない、そういうことです。

ごじぶんでごじぶんをつかまえておけないとは、
つまりねこさんのうちなるライオンさがおめめざめ
しているじょうたいとおなじことですが、
このじょうたいに、それがないことによって
なってしまうということです。

しもべたちヒト族においては、さまざまな
ちゅうどくがあり、だいひょうてきなものは
ねこさんちゅうどくですね。

しもべたちは、ねこさんがいなければ
おおよそごじぶんでいることはできず、
ねこさんがいればこそようやく
しごともできるし、ひとづきあいもできる
というものです。

さあ、ここまでおよみになったら
ぼくのいわかんがなにか
よくよくおわかりになるでしょう。

そうなのです。
ねこさんはまたたびちゅうどくになるわけがないのですから。

どうしてこのようなごかいをしもべはするのでしょうか。

ぼくは、いろいろなかのうせいをぎんみし、
ひとつのけつろんをえました。

そのヒントとなったのは、
ねこさんとまたたびのかんけいを
ヒト族と酒のかんけいになぞらえている
つぶやきでした。

みなさんのしもべが酒を嗜むタイプの
ヒト族でしたら、酒をのんだしもべが
どうなるかよくかんさつしてみましょう。
だらしなく手足をのばしたり、目がとろんとしたり
ゆらゆらゆれたり、あるくのにもよけいな
ステップがふえたり、とつぜんしもべの巣で
ごろんとしてしょうたいふめいになることがありますね。

ヒト族からすると、またたびをまえにしたねこさんは
このような、酒を摂取したヒト族とそっくりにみえるようです。

ほんとうに、ぼくはヒト族におどろかされてばかりです。
ねこさんとおなじように二つのおめめがありますのに
それはやくにたっていないようですね、といいたいのを
がまんするのがせいいっぱいです。

またたびをみてねこさんがころんころんするのは
またたびにふくまれるマタタビラクトンとかアクチニジンとか
Βーフェノキシエタノールとかいう成分をじょび器官で
かんちするからではないのです。
おおきなおつむとたくさんのじかんと資材やらをつぎこんで
なんというけんとうちがいをするのでしょうか。

ねこのみなさんにいまさらいうことではないですが、
ねこさんがまたたびをまえにしてころんころんしてしまうのは
うんどうかいで優勝するととびあがってよろこんでしまう
ヒト族でいえばそうこととおなじですね。

その昔、ねこさんが存在するようになってから
しもべをもつようになるまでずっと、
またたびはでんせつの果実でした。

とういうのも、このよにねこさんをもたらした存在は
いちばんはじめのねこさんがにゃーといったことに満足し、
またたびという果実をおててにしたねこさんは
あまねくせかいもおててにいれるだろうとつげたと
いう伝説があるからです。

それから、いろんなねこさんがまたたびをもとめ
たびにでました。
おおくのゆうかんなねこさんは帰ることはありませんでしたが、
いくらかのねこさんはまたたびを発見することができました。
その、発見できたよろこびのあまり、ねこさんはころんころん
していしまいます。

さっこんではこのようなきけんをおかさずとも
しもべたちがまたたびをはこんでくるのですが、
またたびとであえたよろこびは
ねこさんのDNAにふかくきざみこまれており
ほとんど脊髄反射とかわらない素早さで正確に、また確実に
ころんころんをひきだしてしまいます。

ですからヒト族がおちいる
酒中毒のようなことにはけっして
ならないのですが、しもべたちにはどうも
りかいができないようですね。

このごかいを、どうするべきか
ぼくはかんがえあぐねています。

またたびをまえにしたねこさんと
酒を摂取したヒト族をおなじにされるのは
はなはだいかんですが、だからといって
ねこさんくさとちがい、フリーダムまたたび
にはすこしもんだいがあるようにもおもうのです。

ぼくはかつて、まいにちまたたびを
たのしんでいたひびがあります。

ぼくのおきにいりは、またたびの原木です。
そのひしもべはぼくがまたたびをたのしんだあと、
またたびをしまいわすれたので、ぼくは
ぼくだけのばしょにしまっておいて
ひまみてはとりだし、またたびをみつけた
よろこびにみたされていました。

そんなことをなんにちもつづけていましたら
あるひ、心の臓がかつてないはやさで
リズムをきざみはじめ、ぼくはおどろいて
おもわずしもべをよびました。

しもべはころがるようにしてぼくのところに
やってきましたが、しもべになすすべもなく
ぼくをなでくりまわすのがせいいっぱいでした。

ぼくのおめめのくろいところは
まんげつのおおきさでしたし、
おくちからもれるぼくのおたけびは
ちのそこをはうようなものでした。
しっぽっぽもきんちょうして、ピーンと
なっていたようです。

しばらくしましたら、心の臓はおちつきましたが、
それいらいしもべのまたたびかんりは
きびしくなりました。

ちゅうどくにはなりませんが、
あまりよろこびがおおすぎても
いけないみたいだとぼくはしっているのです。

なのでこのまま、ちゅうどくがあると
ごかいさせておいたほうが
ねこさんのあんぜんにはよいのかもしれません。

さて、さいごに。

ねこさんをこのようにもたらしたそんざいの
おつげは、真実のようだといまにいきる
ねこさんはきづいています。
このよはねこさんのものになりつつあります
からね。

これからのねこさんはきっと
真実だったと実感する日がくるのでしょう。

とてもよいみらいですね。

↓ぼくのまたたびの舞です

ねこさんののりもの、ルンバ

2023-02-10 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう

ねこさんがうごけば、はぐれ毛が
ふわりとまうきせつとなりました。
おけなみのおてていれがかかせないので、
あごちんがつかれます。

ぼくのおたくに、すこしばかりまえに
ねこさんののりものがやってきたことは
すでにごほうこくしました。
こんかいは、こののりものについて
いいたいことがありますのでおつきあいねがいましょう。

゜:・*˙゜:†・º∞º*:˙˚・🐾。*˙˚。º:¨。•.・゜†:・.゜・。

ぼくは、このねこさんののりものが
ねこさんかいわいをさわがせていることは
ずっと前におみみにしました。

ちょうどこのあたらしいねこさんののりものが
この世に顕れたころのことだったかと思います。

しもべたちがこぞって
ねこさんが、あたらしいこののりものにのっている
おすがたを、つぶやいたりうぷしたりしていたものです。

かといって、
ぐたいてきにどういうものか
しっていたわけではありません。

そののりものにこねこさんたちがのって、ころんとおちるだとか
サメの毛皮をかぶったねこさんがのっているとか
しっているのはそういうことでした。

ですからぼくはてっきり、
ぼくがなれしたしんでいるのりものと
それほどかわりはないだろうと
おもっていたのです。

ぼくがなれしたしんでいるのりものは、
ごくごくかんたんなもので、
もとはしもべのまくらですとか
ねこさんのためのたおるとか
そういうものです。

しもべがつるつるのゆかに
まくらですとかそういうものをおきます。
ぼくがのります。
しもべがぜんりょくで
ひっぱったりまわしたりおしたりして、
ぼくははおちてしまわないようにきゅっと
おつめをたてておいて
そうやっていどうします。

しもべは
ジェットコースターァですよ
とおおきなこえをだします。

ぼくはそんなしもべのようすをたのしみながら
ぼくがおすわりになっているのに、
おめめにうつるけしきが
おめめまぐるしくかわったり
おからだがゆさぶられるのをおもしろくかんじます。
おもわず、おひげのねもとがふくらんじゃう
そんなきもちです。

ぼくにとって、ねこさんののりものとは
こういうものです。

では、ねこさんののりものとはこういうもの、と
しっているぼくのようなねこさんに、
さっこん話題のねこさんののりものルンバを
ねこさんののりもですよと、としょうかいしたら
みなさんどうなるとおもいますか。

ぼくというねこさんは、
しもべがルンバをそうぼくにしょうかいしたとき、
たいへん腹立たしくおもいました。

こんな、くろく、かたく、おもく、つめたい
むきしつで、じぶんでうごくくせに
ねこさんにあいさつもしないものが
ねこさんののりもであっていいはずがない!

なんのみやびやかさもかんじられないこれが、
ねこさんののりものだなんて
れいをしっするにもほどがある、と。

そんなぼくのおきもちをよそに
しもべといえば、あさはかにも
ぴっかりなどとなまえをつけて、
ときにはうらっかえしてていねいに
ブラシをし、なでたりしていますから、
おへそでおちゃがわきそうです。
あきれてにゃーのこえもでません。

なにしろ、このぴっかりは、
初対面にもかかわらずぶしつけにぼくに
ちかづいてきて、あろうことか
おててをふんで、しらんかおで
さってゆきました。

もういちどいいますと、
ぶしつけにちかづいてきて
ぼくのおててをふんで
さっていったのです。

さらには、しもべがふらりとおでかけすると
ふらふらとうごきだし、
ぼくのおへやの戸にごんごんたいあたりをしきます。
ぼくがきもちよくうたたおねんねしていても
ぼくがはばかりにごようじをしていても
おかまいなしなのです。

よくよくぼくははらをたていますのに、
しもべは、よかれとおもってなのか
ぼくをおにもつのようにもちあげて、
ぴっかりのうえにおこうとします。
これはねこさんののりものですから、
のってみたらどうですか、とこういうわけです。

このような扱いをうけたぼくがどうしたのか、
これいじょう、なにかもうしあげるのは
よそうとおもいます。

ひとつだけいえることは、
ぼくというねこさんが、
ぴっかりとわかいすることはない、
ただそれだけです。

おわかりいただきたいのは、
ねこさんのなかには、もちろんこののりものを
おきにめして、たのしんでいるかたもいるでしょう。
そのねこさんたちを、ひはんするものではありません。

ぼくのようにがぴっかりをゆるせないねこさんのきもちも
ぴっかりがだいすきだというねこさんのきもちも
ほうこうがちがうというだけで、
どちらもねこさんのいだくいつわりのない
おきもちだということにかわりはなく、
その点において、どちらのおきもちも
おなじだけの価値があるのですから。

最後に、ぼくがぴっかりにおててをふまれたときの
しょうこをのこしておきますのでおひまなときに
ごらんください。