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なんか・・・ せつないなぁ(萩原流行さん事故死) 

2015年04月23日 09時15分42秒 | 日記

俳優・萩原流行さん事故死…愛車ハーレーで転倒し乗用車と接触か(サンケイスポーツ) - goo ニュース

 

同じハーレーダビッドソン

同じ車種

同じ排気量 

のバイクに乗っている・・・。

 

萩原さん、運転中に心身喪失状態になっちゃったのかなあ。

あと、2年間で4回も事故を起こしていたみたいだけど、周りが止めさせなかったのか。

 

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

自分も気を付けよう。

 

(以下、記事全文)

俳優・萩原流行さん事故死…愛車ハーレーで転倒し乗用車と接触か

サンケイスポーツ2015年4月23日(木)05:14

俳優・萩原流行さん事故死…愛車ハーレーで転倒し乗用車と接触か
(サンケイスポーツ)

 ドラマやバラエティーで活躍した俳優、萩原流行(はぎわら・ながれ=本名・萩原光男=はぎわら・みつお)さんが22日午後6時10分ごろ、東京・杉並区高円寺南の青梅街道で大型バイクを運転中、転倒。救急搬送され、約1時間半後に心房破裂のため死亡した。62歳だった。2013年1月以降、自宅のある同区内で今回を含め4度交通事故を起こし、先月下旬に書類送検されたばかり。また、女優の妻、まゆ美(62)ともども鬱病を公表していた。

 テンガロンハットの似合うひょうきんキャラ。個性派の萩原さんが突然、この世を去った。

 警視庁杉並署の調べや後続車の目撃者情報によると、萩原さんはこの日午後6時過ぎ、杉並区高円寺南2丁目の青梅街道でハーレー・ダビッドソンを運転。片側3車線の中央車線を走行中、前方左車線を走っていたワンボックスカーが中央に車線変更した際、何らかの原因で転倒、そのまま滑走し投げ出された。

 その際、後続の右側車線を走ってきた乗用車と接触したとみられる。ワンボックスカーに触れたかは不明。バイクはほぼ無傷だったが、救急搬送された萩原さんは午後7時26分、東京都内の病院で心房破裂のため死亡した。駆けつけた妻のまゆ美が本人と確認した。同署ではワンボックスカーと乗用車の各運転手から事情を聴いている。

 後続車の目撃者らはサンケイスポーツの取材に「当時、雨が降っていた。バイクが車に接近し、接触したかどうかは分からないが、バイクがふらふら揺れながら右側に倒れて、火花を出して滑っていった」と生々しく語った。

 続けて「投げ出されたライダー(萩原さん)のヘルメットがずれ、口元から血が出ているのが見えた。あおむけになって手が動いていたが、その後、動かなくなった。駆け寄った人たちが『大丈夫ですか』と警官が来るまで声をかけていた。警官の呼びかけで毛布が集められ、萩原さんにかけられた。バイクのスピードは50キロくらいは出ていた」と振り返った。

 事故現場は環状7号線との交差点の手前で、萩原さんは自宅のある荻窪方面から新宿方面へ向かう途中だった。

 萩原さんは13年1月以降、自宅近くの同区内で事故を3度も起こしていた。昨年10月に乗用車を運転中、歩行者と接触して走り去ったとして先月下旬、自動車運転処罰法違反(過失傷害)などの疑いで警視庁から書類送検されている。

 その事実が今月初めに発覚した際、萩原さんは所属事務所を通じ「事故を起こした認識も逃げたつもりもない」と話していた。直近では先月23日にバイク事故、13年1月にも自動車の運転事故を起こしていた。いずれも青梅街道か、その付近の事故だった。

 萩原さんはつかこうへい事務所入り後、映画「蒲田行進曲」に出演。一躍注目を浴び、その後も映画「里見八犬伝」、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」や舞台、バラエティーにも出演、存在感のある演技で人気を集めていた。

★バイク好き…先月購入’15最新モデルで

 大型バイクが大好きだった萩原さん。今回の事故で乗っていたのは2015年の最新モデル「ハーレー XL883N サンドカモデニム」だった。関係者などによると、先月上旬、杉並区内のバイク店から買ったばかりで、車体は白、シートはオレンジで、萩原さんのお気に入りだった。複数台バイクを持っており、ハーレーの購入は2台目だった。

★自宅から6キロ

 東京・杉並区内にある萩原さん宅には事故の一報が流れた後、約20人の報道陣が集結。自宅は事故が起こった同じ青梅街道で東に約6キロ離れ、同街道から500メートルほど入った閑静な住宅街の一角にある。家の明かりはついていたが、インターホンを押しても応答はなかった。深夜0時35分ごろ、親族を名乗る女性が自宅前に現れ、萩原さんの事故死は「聞いています」としたが、妻の居場所や葬儀日程などについては「知りません。お話しすることはありません」と繰り返した。

★09年夫婦で鬱公表

 萩原さんが本業以外で注目されたのは09年6月。夫婦で鬱病と向き合う軌跡をまとめた「Wうつ」(廣済堂出版)を出してから。夫婦でテレビにも出演、明るい調子で鬱病を告白し、萩原さんは「鬱になったことで優しさを学んだ。2人の経験を書くことで、同じ悩みを持つ人やご家族に少しでも役に立つかもしれない」と話していた。

萩原 流行(はぎわら・ながれ)

 1953(昭和28)年4月8日生まれ、東京都出身。高校卒業後、「劇団ザ・スーパーカムパニイ」に所属し、73年初舞台。76年に「ミュージカル 母をたずねて三千里」に出演するなど舞台を中心に活動。87年、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」や「炎立つ」(93年)などに出演し、個性派俳優として人気に。2009年4月に役者を育てる目的で「萩原流行アクターズスタジオ」を開校。若手俳優の育成にも力を入れた。1メートル73。