6日に終職後同僚と遊んだ夜、惨状開始(笑)。
早めに床についたところの23時9分位にまず第一波。割と大きかった為すぐさま退路の確保。そして身支度。
3分もしないうちに揺り戻し。これが思ったよりでかかった(汗)
避難袋、日用品などをまとめ隣の住人と共に避難開始。
そして、ここから問題発生。
すぐそばの公民館管理人に連絡がつかない。
仕方なく、棟の集会所に避難。
ところが、この集会所の鍵を持ち回りで管理している当番が、自分は避難しないからと受け渡しを拒否。
隣人がキレて鍵を奪い取り、集会所がやっと開く。
開いたら周辺住民が次々と避難してきた。
更にここで問題発生。
避難してきた家族の子供が興奮して暴れまわる為、痺れを切らした多数の住民が外の自家用車に移動。
うろたえる自分の母親は悪い話しかせず、とうとう自分がキレる。
翌日、断続的な余震の中、自宅に帰り片付けをするが、やはり大きいのが来て、途中で退避。
戻ってみると集会所の住人が増えていた。
避難拒否した住人が、自宅放棄して外に避難していたことが判明。
下手すれば集会所も開いてなかったかもしれない。
夜、ようやく市が公民館を解放したが、全て使えない遠方。
ここの住人たちは、殆どが年のいった人たちばかり。
そんな人たちに重い荷物をもって、20分も坂道を上がれというのか?
はっきりいうが・・・。
バカの集まりですか?この都市は?
相変わらず子供は暴れまくるし、馬鹿な娘が甲高い声で馬鹿な話をしてうるさくて、お話にならないので、自主的に公民館の管理人に交渉して公民館を解放してもらう。
扇風機や蚊取り線香などを持って移動しようとすると、集会場にいる人から持っていくなといわれたが、「私物ですが何か?」の一言であっさりカタがつく。
テレビを見ると、市のあちこちで避難が始まったということと、物資が供給されていることが判明。
ただし、うちらの公民館には物資なんか届かない。
「市が認めていない避難所だから」だそうだ。
そして、どこかの解説員が言っていた。
「今回は自主的な避難もですが、行政の行動も早かったですね。」
遅いよ。こいつら…バカ?
鼻で笑ってテレビを見ていると、地区の消防員がやって来た。
「けがはないですか?ご飯はたべましたか?毛布いりますか?」
怪我もなく、なんとか飯も食い、個々に毛布持参であることを伝えると、「追加の毛布を取って来ます」と出て行き、本当に綺麗な毛布を持ってきてくれた。
こういう人が使えるんだ。なのに、ここはどうも少ないようだ。
とりあえず公民館と集会場と自宅といったりきたりしている生活だったが、少し落ち着いたということと、やはり仕事はなんとかやらなればと言うことで、隣の市に行く。
ところが、隣の市どころか、一歩自分の地区から出ると、至って普通の生活が行われている。
…まるで、自分達の地区が孤立したように…被害にあっていたことに気が付いた。
…これでは、周辺の理解もえられないわけだ。
…苦笑い。
職場にでると、添乗がまっていた。
仕事をしないと食いっぱぐれるし、避難生活からちょっと気持ちを逸らせるかと思い添乗にでた。
同じ地区のお客様も居て参加を懸念していたが、一人ひとり全員を誘った。
添乗準備を終わらせて、親に電話をすると、「公民館を追い出される」と聞かされた。
「は?」と言う感じだった。
この非常事態に「歩こう会をする」という。
歩こう会で早朝、弁当を作るために公民館を使うらしいのだ。
そこまではいい。
たかが公民館を避難所にしている人間は僅か少人数としれているが、「弁当をつくるから出て行け」と言うことらしい。
すなわち、その「歩こう会の弁当取り仕切りのお局様」は、「公民館がお城で部外者は邪魔」と言うことなのだ。
…私物化はなはだしいな。
…つか、お前もバカだろ?
気になりながら添乗で山陰に向かい、市役所へ電話を入れると「この事態なのに誰も出ない」。
多分この市は、談合やら年金の管理ミスやら重複請求やら平気でやってるんじゃないのか?と思うばかりである。
正直呆れた。
やれやれ。死んでもなおらないんだよな?
早めに床についたところの23時9分位にまず第一波。割と大きかった為すぐさま退路の確保。そして身支度。
3分もしないうちに揺り戻し。これが思ったよりでかかった(汗)
避難袋、日用品などをまとめ隣の住人と共に避難開始。
そして、ここから問題発生。
すぐそばの公民館管理人に連絡がつかない。
仕方なく、棟の集会所に避難。
ところが、この集会所の鍵を持ち回りで管理している当番が、自分は避難しないからと受け渡しを拒否。
隣人がキレて鍵を奪い取り、集会所がやっと開く。
開いたら周辺住民が次々と避難してきた。
更にここで問題発生。
避難してきた家族の子供が興奮して暴れまわる為、痺れを切らした多数の住民が外の自家用車に移動。
うろたえる自分の母親は悪い話しかせず、とうとう自分がキレる。
翌日、断続的な余震の中、自宅に帰り片付けをするが、やはり大きいのが来て、途中で退避。
戻ってみると集会所の住人が増えていた。
避難拒否した住人が、自宅放棄して外に避難していたことが判明。
下手すれば集会所も開いてなかったかもしれない。
夜、ようやく市が公民館を解放したが、全て使えない遠方。
ここの住人たちは、殆どが年のいった人たちばかり。
そんな人たちに重い荷物をもって、20分も坂道を上がれというのか?
はっきりいうが・・・。
バカの集まりですか?この都市は?
相変わらず子供は暴れまくるし、馬鹿な娘が甲高い声で馬鹿な話をしてうるさくて、お話にならないので、自主的に公民館の管理人に交渉して公民館を解放してもらう。
扇風機や蚊取り線香などを持って移動しようとすると、集会場にいる人から持っていくなといわれたが、「私物ですが何か?」の一言であっさりカタがつく。
テレビを見ると、市のあちこちで避難が始まったということと、物資が供給されていることが判明。
ただし、うちらの公民館には物資なんか届かない。
「市が認めていない避難所だから」だそうだ。
そして、どこかの解説員が言っていた。
「今回は自主的な避難もですが、行政の行動も早かったですね。」
遅いよ。こいつら…バカ?
鼻で笑ってテレビを見ていると、地区の消防員がやって来た。
「けがはないですか?ご飯はたべましたか?毛布いりますか?」
怪我もなく、なんとか飯も食い、個々に毛布持参であることを伝えると、「追加の毛布を取って来ます」と出て行き、本当に綺麗な毛布を持ってきてくれた。
こういう人が使えるんだ。なのに、ここはどうも少ないようだ。
とりあえず公民館と集会場と自宅といったりきたりしている生活だったが、少し落ち着いたということと、やはり仕事はなんとかやらなればと言うことで、隣の市に行く。
ところが、隣の市どころか、一歩自分の地区から出ると、至って普通の生活が行われている。
…まるで、自分達の地区が孤立したように…被害にあっていたことに気が付いた。
…これでは、周辺の理解もえられないわけだ。
…苦笑い。
職場にでると、添乗がまっていた。
仕事をしないと食いっぱぐれるし、避難生活からちょっと気持ちを逸らせるかと思い添乗にでた。
同じ地区のお客様も居て参加を懸念していたが、一人ひとり全員を誘った。
添乗準備を終わらせて、親に電話をすると、「公民館を追い出される」と聞かされた。
「は?」と言う感じだった。
この非常事態に「歩こう会をする」という。
歩こう会で早朝、弁当を作るために公民館を使うらしいのだ。
そこまではいい。
たかが公民館を避難所にしている人間は僅か少人数としれているが、「弁当をつくるから出て行け」と言うことらしい。
すなわち、その「歩こう会の弁当取り仕切りのお局様」は、「公民館がお城で部外者は邪魔」と言うことなのだ。
…私物化はなはだしいな。
…つか、お前もバカだろ?
気になりながら添乗で山陰に向かい、市役所へ電話を入れると「この事態なのに誰も出ない」。
多分この市は、談合やら年金の管理ミスやら重複請求やら平気でやってるんじゃないのか?と思うばかりである。
正直呆れた。
やれやれ。死んでもなおらないんだよな?