7/9から7/12にかけて、九州を襲った豪雨。
7/8にはあんなに楽しかったのにと、現実とのギャップを受け止めきれず、
ただ「自分が大好きな阿蘇と鉄道が大変なことになった」と理解するだけでいっぱいいっぱいで。
すぐにでも飛んで行って確認したい、何かお手伝いしたいと思っても、できるはずも無く。
現状に凹んでは、自分のこれから先を見たような気もして…いろいろと考えさせられました。
この記録は忘れてはならないと思いました。
画像は持ってこられないので、リンクを貼っていますが、あまりに酷いので、閲覧注意でお願いします。
読売オンライン
くまにちコム
グーグルマップなどで確認すると更にわかりますが、坂の上トンネルと言う場所は、阿蘇外輪山の中でも大分から熊本に抜ける場所で、JR波野駅から勾配を下った先にあります。
上にはR57号線が通っており、そこは滝室坂といわれ、大きなヘアピンカープが7~9位はあるところで、一気に外輪山を上ったり下ったりするところです。
大分豊後竹田・波野あたりも被災していることから、下った雨は阿蘇側に流れ…
ここでお分かりでしょうが、外輪山を流れた雨は、漏斗(ろうと)状になった地形を経て、坂の上トンネルに流れ込んだものと思われます。
阿蘇山は、昔から地形が複雑で、急勾配を行き来するJRのスイッチバックなどが有名なところですが、その地質は、阿蘇山の火山灰が混ざっているところなので、大量の泥水が折れた樹木とともに流れこんだのでしょう。
ひとたまりも無かったと思います。
私は車で移動するとき(特にバス)、滝室坂を降りる際わくわくしていました。
左側の絶壁から、細く、線路が見え、そこから汽車が出てくるのを期待していたからです。
乗用車からは実は見えません。背の高いバスだけその谷間が一瞬見えるのです。
一度だけ、そこから「九州横断特急」が出てきたのを見たことがあり、新緑の中を走ってくる真紅の車体にすっかりとりこになってしまいました。
↑九州横断特急(大分駅)
故に、ショックは大きく…思い出しては涙していたと思います。
そんな私を気遣って、しばらくして、彼が車を走らせてくれました。
豊後竹田までは何とか進みましたが、それでも途中の道はズタズタで、玉来と、こうとう様の手前の欄干は折れ曲がり、川は木や草、コケに至るまでごっそり掻きとられ(剥ぎ取られよりこちらが適切でした)、赤茶けた…まるで手入れのいいアスレチック場のようになっていたのです。
二人ともショックと驚きで、声が出ませんでした。
竹田駅のずっと手前に、大分バスの竹田営業所があり、そこに知り合いの運転手さんたちが勤めていたのですが、そこも窓の半分くらいは泥水のあとがありました。(皆さん無事でした)
一体、阿蘇がどうなっているのか予想も付かなかった+道がなかった為、高森(宮崎側・南阿蘇の奥です)の方から降りていきましたが、途中立ち寄った山都町はあまり被害が見えず、観光のバスがよく通っていたのでそちらは一安心しましたが…
結果、見るも無残に最悪でした。
特に内牧(赤水温泉や、クリスマスのバルーンフェスタなど有名な穏やかな平地)や、行方不明者の出た一の宮といわれた阿蘇側は、写真を撮るのも憚れるほどで、谷側のガードレールはほとんどありません。
道路にもまだ泥のあとや流れてきたであろう杉の木が残っていて、ライフラインを必死に開通作業された方の努力が所々に見えて、頭が下がりました。
幸いなことに、南阿蘇鉄道も無事でした。
ただ白川・黒川と共に、竹田市の川のようになっていました。
あんなに緑がきれいな場所だったのに・・・。
それから、阿蘇駅の駅舎や宮地駅・立野駅も無事でした。
ただ、バケツどころか、ダムの放流かと思うくらいの濁流が駅の前を流れて行ったそうです。
8年前くらいにも、豪雨に見舞われ、豊肥線は暫く不通になってしまったこともありましたが、それより酷かったと話してくれました。
「よくみなさんご無事で」、と駅の人と話したところ、「大丈夫、大丈夫。皆さんがそうやって心配してくれるからがんばらんと」と涙ぐんでいらっしゃいました。
道の駅阿蘇はものすごい人で、被災したことなどがウソのように大盛況っぷりでした。
後で考えれば、熊本方面から来られた方は、アレを見なかったかも知れません。
今なら、生で見なかった方がよかったと思います。
私もあの現状を、やはり阿蘇を愛する友人に見せることはできませんでしたから。
日が落ちる前に、宮地(阿蘇大社)へ向かいました。
私たちにとってはご縁のある神社です。
行ってみると、お祭りをしていました。
屋台や出店、周辺の人たちで、盛り上がっていました。ちょっとびっくりしましたw
それと同時に、「肥後もっこす」の底力をしり、泣き笑いしてしまいました。
私は山一つ超えた、向こうの県に住んでいます。
でも、幼いときから阿蘇には良く遊びに来ていました。ですから思い入れは人一倍と自負できます。
だから、この土地は大丈夫、「あきらめない人が居る」と嬉しくなりました。
今の日本はあちこちで様々な災害が頻発しています。
その度に、心が折れたり、落ち込んだり、辛くて悲しい思いも沢山します。私も立ち上がれないほどの痛みを経験しました。
だけど、諦めないで欲しいと思います。
踏ん張る阿蘇の人たちの背中を見ていたら、そう思いました。
どうか、忘れないで下さい。
飛行機もバスもJRもちゃんと走ってます。
変な病気なんて蔓延してません。遺体が転がっている、足の踏み場も無いなんて嘘です。
根も葉もない情報に振り回されず、自分の耳で聞いて、目で見て、判断して行動してください。
それから、くまモンが頑張っている理由も、理解してあげてくださいwwwwwww
バンジー飛んだり、乗馬したり、無茶してますけど、「かわいい」だけじゃなくて、熊本のことも思ってあげてください。
中の人なんていませんよ!!!! えぇ! 居ませんとも!!!wwwww
7/8にはあんなに楽しかったのにと、現実とのギャップを受け止めきれず、
ただ「自分が大好きな阿蘇と鉄道が大変なことになった」と理解するだけでいっぱいいっぱいで。
すぐにでも飛んで行って確認したい、何かお手伝いしたいと思っても、できるはずも無く。
現状に凹んでは、自分のこれから先を見たような気もして…いろいろと考えさせられました。
この記録は忘れてはならないと思いました。
画像は持ってこられないので、リンクを貼っていますが、あまりに酷いので、閲覧注意でお願いします。
読売オンライン
くまにちコム
グーグルマップなどで確認すると更にわかりますが、坂の上トンネルと言う場所は、阿蘇外輪山の中でも大分から熊本に抜ける場所で、JR波野駅から勾配を下った先にあります。
上にはR57号線が通っており、そこは滝室坂といわれ、大きなヘアピンカープが7~9位はあるところで、一気に外輪山を上ったり下ったりするところです。
大分豊後竹田・波野あたりも被災していることから、下った雨は阿蘇側に流れ…
ここでお分かりでしょうが、外輪山を流れた雨は、漏斗(ろうと)状になった地形を経て、坂の上トンネルに流れ込んだものと思われます。
阿蘇山は、昔から地形が複雑で、急勾配を行き来するJRのスイッチバックなどが有名なところですが、その地質は、阿蘇山の火山灰が混ざっているところなので、大量の泥水が折れた樹木とともに流れこんだのでしょう。
ひとたまりも無かったと思います。
私は車で移動するとき(特にバス)、滝室坂を降りる際わくわくしていました。
左側の絶壁から、細く、線路が見え、そこから汽車が出てくるのを期待していたからです。
乗用車からは実は見えません。背の高いバスだけその谷間が一瞬見えるのです。
一度だけ、そこから「九州横断特急」が出てきたのを見たことがあり、新緑の中を走ってくる真紅の車体にすっかりとりこになってしまいました。
↑九州横断特急(大分駅)
故に、ショックは大きく…思い出しては涙していたと思います。
そんな私を気遣って、しばらくして、彼が車を走らせてくれました。
豊後竹田までは何とか進みましたが、それでも途中の道はズタズタで、玉来と、こうとう様の手前の欄干は折れ曲がり、川は木や草、コケに至るまでごっそり掻きとられ(剥ぎ取られよりこちらが適切でした)、赤茶けた…まるで手入れのいいアスレチック場のようになっていたのです。
二人ともショックと驚きで、声が出ませんでした。
竹田駅のずっと手前に、大分バスの竹田営業所があり、そこに知り合いの運転手さんたちが勤めていたのですが、そこも窓の半分くらいは泥水のあとがありました。(皆さん無事でした)
一体、阿蘇がどうなっているのか予想も付かなかった+道がなかった為、高森(宮崎側・南阿蘇の奥です)の方から降りていきましたが、途中立ち寄った山都町はあまり被害が見えず、観光のバスがよく通っていたのでそちらは一安心しましたが…
結果、見るも無残に最悪でした。
特に内牧(赤水温泉や、クリスマスのバルーンフェスタなど有名な穏やかな平地)や、行方不明者の出た一の宮といわれた阿蘇側は、写真を撮るのも憚れるほどで、谷側のガードレールはほとんどありません。
道路にもまだ泥のあとや流れてきたであろう杉の木が残っていて、ライフラインを必死に開通作業された方の努力が所々に見えて、頭が下がりました。
幸いなことに、南阿蘇鉄道も無事でした。
ただ白川・黒川と共に、竹田市の川のようになっていました。
あんなに緑がきれいな場所だったのに・・・。
それから、阿蘇駅の駅舎や宮地駅・立野駅も無事でした。
ただ、バケツどころか、ダムの放流かと思うくらいの濁流が駅の前を流れて行ったそうです。
8年前くらいにも、豪雨に見舞われ、豊肥線は暫く不通になってしまったこともありましたが、それより酷かったと話してくれました。
「よくみなさんご無事で」、と駅の人と話したところ、「大丈夫、大丈夫。皆さんがそうやって心配してくれるからがんばらんと」と涙ぐんでいらっしゃいました。
道の駅阿蘇はものすごい人で、被災したことなどがウソのように大盛況っぷりでした。
後で考えれば、熊本方面から来られた方は、アレを見なかったかも知れません。
今なら、生で見なかった方がよかったと思います。
私もあの現状を、やはり阿蘇を愛する友人に見せることはできませんでしたから。
日が落ちる前に、宮地(阿蘇大社)へ向かいました。
私たちにとってはご縁のある神社です。
行ってみると、お祭りをしていました。
屋台や出店、周辺の人たちで、盛り上がっていました。ちょっとびっくりしましたw
それと同時に、「肥後もっこす」の底力をしり、泣き笑いしてしまいました。
私は山一つ超えた、向こうの県に住んでいます。
でも、幼いときから阿蘇には良く遊びに来ていました。ですから思い入れは人一倍と自負できます。
だから、この土地は大丈夫、「あきらめない人が居る」と嬉しくなりました。
今の日本はあちこちで様々な災害が頻発しています。
その度に、心が折れたり、落ち込んだり、辛くて悲しい思いも沢山します。私も立ち上がれないほどの痛みを経験しました。
だけど、諦めないで欲しいと思います。
踏ん張る阿蘇の人たちの背中を見ていたら、そう思いました。
どうか、忘れないで下さい。
飛行機もバスもJRもちゃんと走ってます。
変な病気なんて蔓延してません。遺体が転がっている、足の踏み場も無いなんて嘘です。
根も葉もない情報に振り回されず、自分の耳で聞いて、目で見て、判断して行動してください。
それから、くまモンが頑張っている理由も、理解してあげてくださいwwwwwww
バンジー飛んだり、乗馬したり、無茶してますけど、「かわいい」だけじゃなくて、熊本のことも思ってあげてください。
中の人なんていませんよ!!!! えぇ! 居ませんとも!!!wwwww