翌朝は雨。
朝食をしっかり取り、恨めしげに傘を持って鹿児島中央駅に向かった。
ところが、なんと天気が回復!…やっぱ晴れ女だわ…私。
駅でおみやげを買い込み、はやとの風のホームへ。
ホームへ行くと、似たような目的の人でいっぱい!w 多分、「はやと」で上がって「しんぺい」に乗って、同じように人吉に行くんだろうな。
しかも、皆何故かハイテンションw 何か嬉しいぞ!!
私達は、「かれいがわ」へ向かうというお姉さんたち2人と乗り合わせたので、時間までお話をして共に乗車。
窓際の席に座ることが出来たので、錦江湾を見ながら桜島に感動。
やっぱでかい!すごいぞ鹿児島!
途中、隼人駅で乗車してきた人が沢山いた。手に手にスタンプブックw
おとうさんとおかあさんと男の子二人も乗ってきた。
だが背丈がちっさくて前が見えないらしく、悪戦苦闘していたw
私達が座っていた横長シートは、大人ならきついが子供なら座れそうと思い、呼んでみたがはにかんでしまい、座らなかったw 滅茶苦茶可愛かったが、誘い方を考えたほうが良かったかな、反省。
後ろの二両目には、前日、新水俣であった「はやと」くんたちに再開。
列車の中で情報交換をしていると、お姉さんたちは「かれいがわ」で下車。
私達は次の「霧島温泉」で一旦降りて、皆を見送った・・・が・・・
既に気が付いた人もいるだろう。
「霧島神宮」にいかなければならないのに「霧島温泉」で下車してしまったのだ
気が付いたときは後の祭り。これはとてもとても痛かった。
しかも、「霧島神宮」は日豊本線。まさに「隼人」で乗り換えねばならない。
なのにここは「霧島温泉」。肥薩線である!
ぎゃあ~もどれないじゃん!!!
もどれば「しんぺい」号に乗れない!さぁ、どうする!?
しかも、連れが行けなかった事と、間違えたことをしつこくうるさく繰り返す(帰るまで言い続けた)。
「もう、連れていかんからね」 私、大激怒w
「霧島温泉」駅で、婦人会のおばちゃんたちが、お茶とプラムとラッキョウを振舞ってくれたお陰で、ちょっと落ち着く。駅長さん(代理?)もとても優しくて親切
この駅いい駅だぁ・・・と思っていると、はやとの風から下車してきた3人の親子と同席した。
なんと、その男の子もはやと! 女の子だったらさくらにするつもりだったらしい!
なんかすげえぞ!鉄ちゃん!(そのお母さんが、どうかは謎)
とりあえず、ぐたぐた言われながら、新しいルートを構築。
その結果・・・四度目の暴挙にでる・・・。
鈍行でまずは「吉松」へ。そこで「しんぺい号」に普通に乗車。
乗ったらやっぱりみんな居るしw かなり嬉しかった。
そこで、さっきの親子のお父さんと情報交換。お父さんがJR好きらしく、今回この切符の存在を知って思い切って旅にでたそうだ。下の男の子もJR好きだという。
趣味が一緒っていいことだ!
で、急勾配を「しんぺい号」はゴンゴンいいながら、みんなを乗せて力強く登っていく。
戦後、ここで沢山の復員軍人さんが事故で亡くなった事を微塵も感じさせない力強さで。
そして、「真幸駅」に到着。この駅は昭和43年の山津波で、埋まらなかった駅という。駅のほんの少し先が、山津波で飲み込まれてしまったのに、まさに、真の幸福の駅だった。
残りの指定席を放棄する旨を乗務員さんに伝え、ここで、私達は本当に下車した。
皆が、幸せの鐘を鳴らす。
それが遠くの空まで響く。
列車のドアが閉まる。
皆が手を振る。
この駅もスイッチバックで、運転手さんがレバーを外して後ろの席に戻っていく。
ここで、本当にみんなにさよなら。
JRの旅がこんなに楽しかったのは久しぶりでした。
ほんとにほんとに有難う。
山を登っていく「しんぺい号」にいつまでも手を振った。
涙がポロポロ零れた。
気を取り直して、「吉松」駅までタクシーで戻った。
このタクシーの運転手さんがまた滅茶苦茶いい人で、吉松に行く間に、歴史とか話をしてくれた。そして、山津波の話まで至り・・・その後、別府から来たと伝えると、「揺れて怖くて辛かったでしょう」と同情してくれた。
何故か嬉しくて・・・泣いた。
吉松駅から隼人を経由して・・・ようやく「霧島神宮」へ。
ようやく、スタンプゲット・・・長かった・・・。思わず隣接の足湯に入るw そして、ここでもスタンプラリーの人とであった。
さて、「霧島神宮」のスタンプもゲットしたことだし、大分に戻るかなぁ・・・と言う前に、ここで更に暴挙に出てしまいました
ここは日豊本線なんですよ。うん。日豊本線。
都城経由したら、宮崎なんですよね。宮崎の上には日向市があるんですよ。
・・・ええ、取りに行きましたよ!!!乗りかかった泥船です!
霧島神宮から、「きりしま」に乗車して、一旦宮崎へ。宮崎で「にちりん」に乗り換えた後、日向市で下車。それから大分に戻るというルートをとりました。
帰ってきたのは22時。
体は疲れていましたが、ココロは疲れていませんでした。
そのココロが、まだ歩けるんじゃないかと体を押します。
本当にJRに乗る為だけに旅した2日間でしたが、何とも言いようのない、代えようの無いものを貰った気がします。
帰りに博多周りで帰った方は、人身事故で大変だったようなので、無事に帰れたことだけでも良かったと思えてなりません。そして、みんな無事に帰ったことを願ってやみません。
JRさん、ぜひまたやってくださいwwwwwwwwwwww
それから、霧島温泉と霧島神宮、よく間違われるそうです。
ちなみに自分は旧霧島西口で勘違いしていました・・・とほほ。
長いブログでしたが、他の写真なんかは、折をみて自分のHPに上げたいと思います。かなり特徴のある格好をしていたので、覚えている人もいるんじゃないかと思います。
これも何かの縁です。よければ、コメントくださいな
残りの佐世保と指宿と三角とゆふいんの森号は・・・取りに行きたいと思ってます