SЁCRET GARDEN~シークレットガーデン

掃き溜め。書き綴って約20年。頑張ってましたが、抵抗虚しく完全に病みました。色々我慢するんじゃなかった。

熊本を無かった事にしないで。

2018年01月07日 | モノ思イ・心留メテ
今日、体のメンテに行く前にドトールによったら、
偶然、隣に座った2人が熊本地震の事(多分地元が近いのだろうけど)を、私が特に思いを寄せている場所とかかなり大きな声で話始めて、
それだけで私は落ち着かなくなってフラバ。
急にめまいがして、トイレ直行で吐いてしまった。
周りに配慮しろとは難しい話だけど、せめて怒鳴るような声で話すのはやめて欲しかった。

日頃、苦しかったり辛かったり色々抱えている上に、このような症状を抱えている私達だけど、
現実の受け入れと葛藤に苦しみながらも思いを寄せている事は間違いないんです。
現に私はお金は現地で落としたいとか、なるべく復旧のお金にして欲しいからJRQ使ったり、阿蘇神社にも通ってる。

ただ、凄く辛いんです。

刻一刻と崩れて行く熊本城。
阿蘇神社の楼閣も、神殿もが捻れて倒れてしまった。
大好きな立野駅が近寄れなくなって、誇りだったスイッチバックが埋まってしまった。
阿蘇大橋が落ちてしまって、それだけでも辛かったのに、大和晃君が犠牲になってしまった。
私は大和君の友達でもなんでもありません。
でも早く見つかって欲しいと阿蘇神様に祈ってた。見つかったと聞いたときは、泣いていた。
許されるならお花の一つでも手向けたい。

全てが無かった事にしたいくらい辛い。

私は阿蘇が大好きなんです。
子供の頃、モラルハラスメントが酷い親といるのが辛くて、学校が休みに入ると阿蘇の国民宿舎みたいな所に合宿参加してた。
周りはなんにもなくて、親の小言を気にせず勉強したり本が読めたり楽しかった。
その場所も今はまだ休業してる。
野いちごを取りに登った丘も多分もう無い。

旦那の身内が人ごとのように「ありゃだめだね〜」と呑気に行った時には、毛が逆立つ程殺意さえわいた。
私達が、私があれだけ阿蘇に行っている理由など、とうに知っているはずなのに。
「将来家長たる長男の事もその妻の話も、どうでも良かった事なんだな」って。
今でも私はあの言葉も言い方も忘れていない。許してもいない。
その時、阿蘇は私の故郷みたいなものなんです(怒)、と釘をさしたことも。

私は判ってくれなくても構わないけど、もう少し熊本に優しくしてあげられないのでしょうか。
隣の人たち、仮にも住んだところじゃないんですか・・・?

…まだ終わってないんです。まだ。


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