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あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

幸せな犬、不幸な犬

2022-05-20 | 半径30メートルの事件

五月晴れの下、

戸外は暑いほどだが室内は肌寒い。

麻呂はリビングの洋式こたつで

過ごしている。

こたつ布団を上げて中を覗き込むと

お犬様用ベッドの縁に頭を預けて

横向きでいびきをかいていらっしゃる。

あまりに無防備で無邪気な寝相。

あられもない。

その寝相を見ているだけで和む。

私は麻呂に癒してもらっている

気がした。

13年ほど前も飼っていた。

外に繋いでいた。

散歩は私の仕事だった。

慌ただしい日も20~30分歩いた。

獰猛な性格で

吠えまくる顔のすさまじさは

近所でも有名なほどだったな。

「おたくの犬が嫌だった」と

死んでからも言われたものだ。

もらわれて来た彼を母が

「業なことだ」と何度も言うので

「業(ごう)」という名前をもらった。

誰彼となく噛みつく彼だった。

「飼い犬に手をかまれました」

と病院に駆け込んだことがある。

母は太ももに何度も噛みつかれた。

「犬は母さんを馬鹿にしとるよの」

と自ら言っていたが同感だった。

それでも15年ほど飼っていると

少しずつ性格がましになった。

最晩年は痩せこけてみずぼらしく、

よぼよぼな老犬になった。

若い頃ほどではないが

噛みつかれるかもしれず

触ることもできなかった。

悪臭漂うまま寒空の下、

外に繋いでいた。

今思うと糖尿病だったかもしれない。

喉が渇くらしく吠えた。

水か牛乳をやるとスゴイ勢いで

飲んだ。

しばらくすると寝床を

おしっこで濡らしたと吠えた。

日に何度も寝床を替えてやった

ものだ。

ある日、敷物を替えて裏玄関を

入ろうとしたら

背後から淡~い「ありがとう」

という思いを感じた。

「え?」と振り返ると業が居た。

人間を信頼できなかった業が

回心したんだ~と思った。

吹雪が舞う屋外の裏玄関に

ケージを置いていた。

寒風が寝床に入ったから

真冬の寒さは老いた身に

相当辛かっただろうと思う。

歩くのも不自由で

生きているのもかわいそうな

ほどだった。

それでも室内で飼うという発想は

当時の我が家にはなかった。

母もかわいそうに思っていた。

「殺すに殺せん。どうするか?」

と私に聞いてきたものだ。

ある雪の晩、業は国道を歩いていて

車にはねられて死んだ。

私がつなぎ忘れて出かけたからだ。

私のせいで死んだ。

それでも業の為にはむしろ

幸せな結末だったと

思うことにした。

人恋しいという気持ちがあった彼は

家に入りたがったものだ。

寒い日に電熱器やストーブを

与えてやれば良かったと

死んでから何度も後悔した。

業が亡くなってから

もう飼わないと決めていたが

縁あって麻呂が来た。

家の中、しかも冬はこたつ

夏はエアコンの部屋で

悠々自適な生活だ。

病院だトリミングだと

かわいがられている。

「業とえらい違いで」と母が言う。

麻呂の10分の1でもかわいがって

やれば良かったと私も思う。

こたつで爆睡する麻呂を

見てふと思った。

業からの指令で麻呂は

我が家に来たのかもしれないと。

ある晩シャワーを浴びるべく

目を閉じたところで

普賢菩薩さまが瞼の裏に見えた。

業を呼んで下さり、

業は尻尾を振りながら駆けて行った。

天界だかお浄土だかへ

連れて行って下さったと思えば、

有難くてシャワーを浴びながら

オイオイ泣いた。

ココロに傷を負った私を?

業は癒す為に?麻呂を!

我が家に送り込んで来たのか?

あるいはもっとシンプルに

麻呂は業の生まれ代わりかも

しれないと思えばほんのりと

幸せな気持ちになれるのだから

そのように勝手に思っておく。

犬嫌いさんもこんな話に

付き合って頂きありがとう。

 

 

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