関東に暮らす叔父から
私宛に手紙が届いた。
亡き父の妹である叔母の
ご主人だ。
この家の出身である叔母を
幼いころは「お姉ちゃん」と
呼んでいた。
かわいがってもらった。
ここ何年か施設で暮らしている
様子だったがしゃべることが
出来なくなったとあった。
叔父のことは認識できても
娘たちのことが分からない
とも書いてあった。
叔父も高齢ゆえに介護が
身に沁みるだろう。
その時が来たらそっと逝かせて
欲しいというのが主旨だった。
哀しいけれどそれもまた
切なる願いのひとつだ。
叔母が嫁いだ婚家の実家は、
雪深い集落で平家の落人村だ。
今は住む人はいないが、
その家のすぐ前の家を
セカンドハウスにした人と
偶然出会った。
そこでイベントをされていて
歌う為に何度か訪れた。
思いがけないことに
我が家のご先祖が都から
その土地に落ちて来たと、
後に知ることになる。
その話を聴く羽目になった経緯も
偶然の連鎖だったが、
聞いた瞬間全身に震えが来た。
嗚咽が漏れたのと同時に
足から力が抜けてその場に
座り込んでしまった。
そんな自分に私が一番驚いた。
叔母があの土地に嫁いで
我が家と縁が出来たのは
偶然ではないということだ。
普段は忘れているが
叔母のことを思う時いつも
えにしの不思議を思う。
その土地に埋まっているという
巻物の正体はきっと永遠に
分からない。
私の寿命が尽きる前に解決する
とも思えず。
思い立って2,3年前に赴き、
ご先祖の強い願いではではあるが、
時代がもう変わったのです、
安らかにお眠り下さいと
私なりにお話させてもらった。
叔父に返事を差し上げようとして
ちょっとバタバタしていた。
2階の納戸の床に3日ほど前から
古いノートが落ちていた。
気になりながら放置していたが
やっと手に取った。
ノートには祖母の名前があった。
昭和51年から57年暮れまで
祖母がつけていた日記なのだった。
3日前といえばちょうど叔父から
手紙が届いた頃だ。
父がこの家を建て替えてもう50年。
今まで一度も見たことがない
ノートだ。
床の真ん中に「置かれていた」
としか言いようがない。
一体どこから出て来たのだろう。
箪笥が3さおある。
これまで箪笥の上の不用品を
全部降ろしたのだ。
最近になって着物の着付けを
習うようになり、
それまでめったに出入りしない
納戸に前より頻繁に出入りする
ようにはなった。
古い着物を出して眺めたりも
した。
が、着物の間に挟まっていたのが
落ちたのだろうか?
しかもこのタイミングで?
実に不思議だと思いながら
ページをめくった。
祖母は勉強家で几帳面な人だった。
短歌のようなものや、
日々の気づきが書かれている。
お寺の御聴聞の内容も。
老いていく寂しさや不安も
滲み出ていたが、
生きさせてもらい有難いとあった。
このノートをどうしようかと
思いながら開いたページに
叔母の名前が目に留まった。
昭和54年だったか
「暮れになり信枝が帰ってきて
賑やかになった」とある。
祖母から娘である叔母への
手紙だと思った。
祖母が叔母を見守っていると
いうメッセージだろう。
叔母は生まれた家である
ここに帰りたいと言うと
以前叔父から聞いていた。
母である祖母が居たからで
あの頃の叔母の心象風景と今とは
だいぶ違う。
叔母の心細さを祖母が慰めたいと
その一心でノートが出現した
のだろう。
叔父がきっと伝えてくれる。
今日郵送した。
母から娘への愛の深さを知った。
おばあちゃん、届けたよ。
安心してね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます